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2018年8月22日 (水)

「8月15日のプレーボール」その1.東北一の投手阿部正

 今日は8月22日。

  

昨日は28年目の「秋味」発売日。

昼にコンビニに行った時には、

まだ発売していませんでした。

午後6時過ぎにスーパーに行ってみたら、

販売はしていましたが、冷えてない!

再びコンビニに行ったら、

冷蔵庫に「秋味」がありました。

愛知県の片隅で、発売予定日に

ちゃんと「秋味」があることを確認。

もちろん購入。

日本の物流、小売り業のすごさを思う。

私みたいな、発売日に飲みたいという願いを叶えてくれます。

昨日は、午後から部活動で練習試合。

バスケの審判を何回かやって、たくさんの汗をかいた後だけに、

気持ちよく飲めました。

  

  

それではテレビ番組の読み物化にしばらく挑戦します。

8月1日放映の「歴史秘話ヒストリア 8月15日のプレーボール

高校野球 戦火の中の青春」の聞き書きをしていきます。

昨日の投稿で書いたように、

「ぞれぞれの街にいた、沢村さん」の一人である、

安部正さんのお話です。

  

 

ナレーター:1945年、戦争が終わって間もない頃、

  岩手県の学校の屋根裏です。

  思いがけない発見がありました。

  そこにあったのは、大量の野球道具。

  戦時中、野球道具はすべて処分されたはずでした。

  だれが、何のために道具を隠したのか。

  戦争の時代に翻弄され、若くして命を奪われた

  伝説のエースの悲劇です。

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ナレーター:1941年、夏。

  岩手県一関中学校野球部です。

  (現在の一関第一高校)

  この高校に、東北一の名をほしいままにした球児がいました。

  エースピッチャーの阿部正。

  当時最終学年の5年生でした。

  決め球は剛速球のストレート。

  新聞の見出しになるほどの怪腕投手でした。

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  正のピッチングを実際に目撃した人がいます。

  田村泰延さん(86)。

  地元の子どもにとって、正はあこがれの存在だったと言います。

田村:試合をやれば、いつも勝っていました。

  そういうすごいピッチング。

  子どもたちが、5・6人ね、(阿部正に)ついて歩いているですよ。

  スターにくっついて歩くような姿でしたね。

 

再現ドラマ場面

阿部正:俺たちの代で、甲子園行くぞ!

チームメイト:オー!

 

ナレーター:キャプテンとしてチームを引っ張っていた正。

  目指していたのは、甲子園野球大会への出場でした。 

  

ナレーター:甲子園は、戦前から若者たちの青春の舞台。

  スタンドは、試合を一目見たいという超満員の野球ファンで 

  埋め尽くされました。

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  不運にも席を取れなかった人たちが陣取ったのは、

  スコアーボードの裏!

  トイレの屋根から、木の上まで。

  ありとあらゆる場所にファンが登り、試合を見ようとしたのです。

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  各地の公園に出現したのは、試合速報の掲示板。

  今でいうところのパブリックビューイングです。

  当時の人々が、どれだけ野球に夢中になっていたかがわかります。 

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この掲示板にはビックリ。

これを見て、当時の人たちは一喜一憂していたのですね。

人びとの顔がとてもいい。

でも、今の人たちでは物足りない情報だと思うだろうなあ。

  

  

つづく

     

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