「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」その1/嫌われることを恐れない!
今日は1月20日。
「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」(テリー伊藤著/角川oenテーマ21)を
読みました。
面白い本でした。引用します。
とくにシーズン中や勝負が佳境に入ったときなどは、
ますます(落合監督は)「寡黙な勝負師」に徹するから、
マスコミやファンに落合の真意がさっぱりわからないという
欲求不満がたまっていくのだ。
やがて、シーズンオフになり、そして本人の「しゃべる条件」を
満たすときがくると、本を書き、テレビの特番に出ていく。
これでは、落合にシンパシーのある人は「待ってました」
とばかりに食いつくが、そうでない人は知らずじまい。
結局、落合が好きな人は、もっと好きになるかもしれないが、
嫌いな人には落合の言葉が届かないから、
落合を評価する人は一向に増えないのだ。
きっと落合本人も、そんな構図はとっくにわかっているはずだ。
それでも黙るのはなぜか。
それは、落合は嫌われることを恐れないからだ。
これは、日本人にとって、最も難しいことである。
たとえ、みんなに嫌われても、自分の信念や理想を貫いて生きること。
それを実行してきたのが落合博満という人間であり、
嫌われることを恐れて自己主張もできないのが日本の国民性なのだ。
落合だって、何も好き好んで人に嫌われようとしているわけではない。
人の顔色を気にすることなく、
自分の信念のもとに目標に向かって突き進んでいるだけだ。
しかし、日本人は「協調性が大事」とか
「みんなの意見をよく聞こう」といって
周りの様子をうかがってばかりで、
自分1人では何もできなくなっていったのだ。
(34~35p)
嫌われることを恐れない!
できてないよなあ。
それより信念がないのか。
自問自答。
「指導者とは、教えるのが仕事じゃない。見るのが仕事だ」
落合監督がそう言っている。
「見て、判断する」「見て、決断する」のが、
監督の仕事なのだ。
「70人全員にチャンスがある」
その言葉どおり、このキャンプで基本的に一軍・二軍の枠を撤廃していた。
全員が横一線で再スタートできる新た競争が始まっていた。
その全員を落合監督が見ていた。
(44p)
ここで言う「指導者」はイコール「教師」と言えないことがあります。
教師は「教えるのが仕事」でもあると思います。
でも「見るのが仕事」と意識するのも大事です。
杉渕先生の言う「1%を見る」の発想。
この記事を再読しました↓
3学期になって「一人コメント」を毎日書いています。
野手は1時間も2時間もぶっつけでノックの嵐を浴び、
3時間も4時間もぶっ通しでバットを振る。
こんなこと、同じプロ野球選手であっても、
やったこともなければやろうとしない「非常識」なことだ。
でも、「やっているうちに平気でできるようになる」と
落合選手も選手たちも口をそろえる。
「キツイことには変わりがないけどね」と。
「選手たちは何しに沖縄にきてるの?野球の練習のためでしょ。
休みをとるためじゃないでしょ?
このキャンプ1回に球団がいくら使うか知ってる?
2億だよ、2億。
何のためにそんな大金出すの?
明るいうちに練習を切り上げるなんて、
お金をドブに捨てるのと同じじゃないの」
そんな落合監督の考え方にも選手たちは音を上げない。
なぜなら、「やった者だけが生き残る。やらなければ落ちていくだけ」
ということを全員が胸に刻んでキャンプに臨んでいるからだ。
(48p)
「何しに沖縄にきてるの?」で始まる落合監督の言葉は鋭い!
ズシンと印象に残りました。
教師だって「練習(研修)」に時間を割く意識がいると思います。
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