瀧山寺に行きました その1 三門
今日は1月5日。
1月3日、奥さんと娘を誘って、
岡崎の瀧山寺(たきさんじ)に行きました。
※ここでも道草 「瀧山寺に行きたい」「鬼まつりを見に行きたい」を後回しにしたくない(2017年12月29日投稿)
後回しにしたくないと思って出かけました。
高速道路を使わなくても1時間以内で余裕で行けました。
まずは瀧山寺三門に行きました。
この案内板に三門と仁王像の説明がありました。
もう少し詳しい説明が瀧山寺HPにありました。
案内板とのずれがありました。
仁王像について。
案内板には「15世紀前半頃の作」とありますが、
HPには「門の両側に控える仁王像は運慶仏師の作だといわれており」
とあります。
運慶は12世紀の中頃に生まれ、1224年(13世紀)に亡くなった人。
ずれています。
内匠(たくみ)に関する話をHPから引用します。
文永四年(1267年)、飛騨権守藤原光延(飛騨の内匠)が建立したもので、
三間一戸の壮大な楼門である。(中略)
三門の大屋根にある尾垂木(おだるき)が一カ所だけ逆さになっており、
三門の完成後ある老婆が「内匠の建てしもこの違いがあるかな」
とつぶやいたのを聞き、深く恥じて三門の階上よりノミをくわえて飛び降り、
喉元を突いて自害した。
その場所に一本の椿が生え、年々美しい花が咲いたが
実を結ぶことはなかったと伝えられる。
村人はこの椿を「内匠霊花」と呼び、ここに「飛騨権守藤原光延之塚」を築いた。
現在三門の手前(西北)にあるのがそれである。
しかし当時は完全ということは満ちれば欠けるとて
何か縁起のよくないことが起こりはしないかと恐れ、
その一部を不完全にしておいたともいわれる。
「尾垂木」はどこの部分だろうか調べました。
わかりました。
目立つ部分です。
どの尾垂木が逆さなのかは、確認していません。
また今度。
「飛騨権守藤原光延之塚」の写真も撮ってきました。
この三門で懐かしいものを見ました。
「隅鬼(すみおに)」です。
いい顔をしています。色もいい。
唐招提寺の隅鬼を思い出します。
※ここでも道草 日帰りで奈良へ7・・・本物のすみ鬼(2010年8月11日投稿)
この時以来の隅鬼だ!
なぜ三門か?
3日の記事にも南禅寺三門のことを書きました。
「三門」は「山門」だと思っていましたが、「三門」です。
調べました。
Wikipediaに次のように書いてありました。
三門(さんもん)は、元来は門の形式で、中央の大きな門と左右の小さな門との
3門を連ねて1門としたものである。
仏教寺院に用いられた結果、寺院の仏殿前の門を、形式に関わらず三門と呼ぶ。
三解脱門(さんげだつもん)とも呼ぶ。
山門とも呼ぶが、これは、寺院がもっぱら山林にあり山号を持つからという。
なるほど。
コメント