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2017年11月19日

2017年11月19日 (日)

「英雄たちの選択 歌川国芳」その2/浮世絵の大量生産の流れ

 

今日は11月19日。

  

前投稿に引き続き、10月5日放映の

英雄たちの選択 よっ!国芳~江戸っ子に愛された浮世絵師~」より。

  

浮世絵の基本的な説明を聞き書きします。

 

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ナレーター:浮世絵の人気を支えたのは、

   分業制による大量生産だった。

   出版社である版元が、ヒットするであろう題材を

   絵師に発注する。

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   絵師が描くのは浮世絵の下絵。

   題材をどう表現すれば買い手の心をつかめるか、

   腕の見せ所だ。

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   絵師が描いた下絵をもとに彫師が版木を彫る。

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   そして摺師(すりし)によって、色が何色も重ねられた。

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   こうして浮世絵は驚くべき速さで大量に生産された。

   その値段は、およそ掛けそば一杯分の16文。

   わずか350円程度で手にできるメディアだったのだ。

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大量生産ができたおかげで350円程度となり、

庶民にも手に入れることができたのでしょう。

  

彫師の仕事に注目したい。

本当に色ごとに版木を作ったのでしょうか?

あんな細かい下絵を、正確にずれなく版木に写して

彫ることが本当にできたのでしょうか?

そこが多いに疑問であります。

カーボン紙のようなものがないとできないと思うのですが・・・。

下絵→彫るの中間の作業がもっと詳しく知りたいです。

  

  

番組の中で、色ごとに版木が作られた証拠の映像がありました。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に、

奇跡的に残された国芳の版木が保管されていました。

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その版木の画像写真です。

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この浮世絵の場合、13枚の版木で作品ができあがるそうです。

確かに色ごとに版木があります。

でももう少し具体的に見たいです。

欲を言えば、現物の版木を見て確かめたいです。

  

そんなことはできないのでしょうか?

  

   

  

放生会の「放し鰻」の浮世絵/「英雄たちの選択 歌川国芳」

  

今日は11月19日。

  
前投稿に引き続いて、放生会のこと。

「放し亀」の浮世絵はわかりましたが、

「放し鰻」の浮世絵はないのか探しました。

その結果、番組「にっぽん!歴史鑑定 江戸っ子の秋の楽しみ」(9月18日放映)

で紹介された絵ではないものがありました。

  

作品名は「山海愛度図会(さんかいめでたいずえ)にがしてやりたい)」

1 鰻雑学 

↑このサイトから引用。

  

右の絵は嘉永5年(1862)歌川国芳「山海愛度図会 

にがしてやりたい」という浮世絵です。

当時は神社仏閣で行われていた「放生会」という、

捕獲した小動物を放し、殺生を戒める宗教儀式が大衆でも大流行し、

橋の脇で「放し亀屋」などと呼ばれる露店で売られている

「亀」「鰻」「小鳥」などを買い求めて橋の上から逃がしてやっていました。

そこで逃がした亀などは再び橋のたもとの「放し亀屋」が回収し

再び売っていましたが

「ウナギ」はというと主に鰻屋では料理に使えない、

小さいウナギなどを鰻屋から安く買い使用していたそうです。

  

この浮世絵の作者、歌川国芳については以前「英雄たちの選択」で

紹介していました。

話をそらして、その番組について書きます。

  

10月5日放映の

英雄たちの選択 よっ!国芳~江戸っ子に愛された浮世絵師~」より。

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ここで疑問。

没年が1861年になっています。

ところが上記の「山海愛度図会 にがしてやりたい)」は

1862年の作品。

つまり、刷られたのは国芳死後のことだったのでしょうか。

またいつか解明したいことです。

    

  

番組中に随所で勉強になるシーンがありました。

できるだけ書き留めたいです。

  

番組冒頭の磯田道史さんの言ったこと。

参考までに、天保年間は西暦だと1831年から1845年のこと。

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磯田:国芳が一番活躍したのは、天保(てんぽう)(年間)なんですね。

   「天保世代」 僕、「天保エイジ」とすごく言いたい。

   なぜかと言うと、幕末維新の志士たちとかは、

   実は天保時代に生まれて青少年期をそこでゆりかごのように

   育った人が多い。

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   だから本当は、天保はとっても大事な時代で、

   不穏な時代だったんだけれども、民の力も絶頂に上がってくる時代であって、

   天才も生まれるわけですよね。

   天保という時代はどんな時代なのかとわからないと、

   実は日本近代の出発点がわからない。

   それを(その時代を)象徴する核?として

   国芳をぜひ今日は紹介したいんです。 

 

天保時代と言えば浮かんでくるのが「天保の飢饉」「天保の改革」「水野忠邦」

といった言葉。

この時代に歌川国芳は活躍していました。

教科書には載っていなかった勉強ができた番組でした。

また後日の投稿で。

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