« 2017年9月28日 | メイン | 2017年10月1日 »

2017年9月30日

2017年9月30日 (土)

今の「金屋橋」に行ってみる

今日は9月30日。

  

親戚が送ってきてくれたマツタケ。

今晩はマツタケご飯でした。

そうなると、とっておきの1本。

最後の「秋味」を出してきて飲みました。

今年は24本買って飲んでいましたが、いよいよ最後の1本。

まだ店頭では「秋味」を売っていますが、まあこれぐらいで。

9月の最後の日に飲むのも、切りがついていいです。

  

 

前投稿の続き。

豊川海軍工廠を爆撃した爆撃機に乗っていたカメラマンの撮影した写真を

いくつか紹介してきました。

その中で、「金屋橋」「金屋小学校」付近が写ったものがありました。

 

今日、出かけた時に今の現場に行ってきました。

  

Rimg0800

Rimg0800a  

よく通る橋でしたが、橋の名前はしっかり見ていませんでした。

確かに「かなやばし(金屋橋)」でした。

 

橋のたもとから金屋小学校方面を撮影。

Rimg0801  

おっと、金屋小学校の校舎が写らない。

そうだここには歩道橋があったんだ。

その歩道橋に駆け上がって撮影しました。

 

Rimg0802

金谷橋の全体像です。

写真の右上にあるのが、金屋小学校の校舎。

もっと言えば、この写真の上の方が全て豊川海軍工廠があった場所です。

そこから猛烈な爆煙が上がっていました。

  

今一度、カメラを右から左に向けて撮影します。

Rimg0805

Rimg0806

Rimg0807  

どこからも爆煙は上がらず、秋の空です。

平和です。

  

 

爆撃機に同乗していたカメラマンが撮った写真

 

今日は9月30日。

  

前投稿の続きで、8月22日に行った

「豊川海軍工廠展」で見たことを書いていきます。

  

米軍が撮影した豊川空襲ということで、

爆撃機に同乗していたカメラマンが撮った写真が展示されていました。

昨年も展示されていたそうですが、昨年は見に行っていません。

昨年のパンフレットをいただきました。

豊川市桜ヶ丘ミュージアム制作のパンフレットです。

Epson767  

展示され、このパンフレットにも掲載された写真の一部を

ここに載せていきます。

 

 

Epson767a

↑パンフレットの表紙になった写真です。

アメリカ軍が、海軍工廠を空襲したのは1945年8月7日の

午前10時13分から午前10時39までの26分間。

その短時間に、3256発の500ポンド爆弾(250キロ級爆弾)が

投下されました。

この写真の場所は、海軍工廠ではありません。どこか?

写真の説明には「(豊川市)上佐脇の大池揚水舎付近」とあります。

今の地図(Yahoo!地図)で探ってみました。

ヒントは川の流れ。

見つけました。

現在豊川市御津町上佐脇という場所です。

Photo_5  

地図の左下に海があります。

爆撃機はそちらから侵入してきて、海軍工廠をめざしました。

地図の一部を切り取って、上の写真と同じ向きにしてみます。

2_2  

川の流れとか、道路が一致するのがわかると思います。

ほぼ確定した爆弾が落ちた場所。

今はどうなっているのか。見に行きたくなりました。

 

   

Epson768a

Epson769a

この写真が辛い写真です。

爆弾によってすでに海軍工廠は爆弾を受けて炎上。

爆煙が立ち上っています。

この爆煙の下ではすでに多くの悲劇が起こっています。

そう思うと、辛い写真です。

爆撃機に乗った軍人はどう思って見たのでしょうか?

  

  

Epson769b

Epson769

「姫街道の金屋橋」「金屋小学校」の位置を探ります。

Yahoo!地図を利用します。

Photo_6  

上の写真と同じ向きにしてみます。

2_3  

金屋小学校は直撃を受けた場所だったのですね。

ちなみに金屋小学校の開校は1976年なので、

空襲があった時には、ここには小学校はありませんでした。

金屋橋はよく通る場所。

かつてこのようなことがあった場所だと思って、

今度は通過したい。

  

  

Epson769e

  

Epson769c

その爆弾が落ちる場所には、人間がいるんですよ。

逃げ惑う人たちが。

 

 

爆撃で手足を失った女性の淋しい目

今日は9月30日。

 

次の記事の続きです。

ここでも道草 戦火をくぐりぬけたキャスターの現物を見る(2017年9月28日投稿)

8月22日にキャスターを見るために「豊川海軍工廠展」に行きました。

その時に見た他の印象的なものを記録しておきたいと思います。

 

「豊川海軍工廠展」では、絵が多く展示されていました。

それらの絵は、1945年8月7日の工廠爆撃体験者に描いてもらったものです。

体験画を収集・公開する事業は平成18年から行っています。

次世代に伝えるための事業です。

集まってきた絵が展示されていました。

それらの絵が掲載された小冊子も販売していたので、購入しました。

Epson766  

爆撃があった場所で、どのような光景があったかを伝える絵が多くありました。

その中の1枚の絵の説明が辛かったです。

  

絵の掲載はしませんが、展示会場でその絵の横に置かれた説明を

ここに書き写します。

  

(手足を失った女性)

(絵の)作者:笹原貞治(伊藤等の体験談を絵画化)

 海軍工廠養成工員だった私(話者:当時14歳)は、

爆撃の最中、走って逃げました。爆撃の影響を最小限

にするため、地を這い、身を低くして逃げました。

至近弾を受けて、腰まで埋った人に、私は足を引っ

張られたけれど、人を助けるどころではなく涙を飲んで、

足を蹴って逃れるのが精いっぱいでした。

 途中、ダルマのように手足のない姿になった人が

いました。私に助けてもらいたいのか、私と目があった

のでした。20歳くらいの女子挺身隊でしょうか。

私が年少なので無理と思ったのか、身体の状況から

自分の生死を悟られたような淋しそうな目だった

ような気がします。 

 

  

その目が思い浮かんできます。

その女性の気持ちはどのようなものだったのでしょう?

「もう死ぬんだ」と思われたくない気持ちはわかるような・・・。

この説明文はなかなか辛いものでした。

  

上の小冊子にも、この絵は掲載されていますが、

この説明文は載っていません。

展示会場で見た説明文は、こうやって残しておきたいです。

(つづく)

コメント「西寺跡では、ないでしょうか?」が届く

 

今日は9月30日。

2017年の9月最終日。

  

昨晩届いたコメントがうれしかったです。  

この記事にコメントが届きました↓  

ここでも道草 2017年「遺留捜査」最終回のロケ地 拝殿のある神社がわかった!(2017年9月17日投稿)

  

投稿者名のない、たった一言のコメントです。

 

西寺跡では、ないでしょうか?

  

この記事では、次の写真のロケ地がどこなのか尋ねていました

(9月14日放映「遺留捜査」より)

Photo_4

2  

この場所が「西寺跡では、ないでしょうか?」と教えてくれたのです。

全く手がかりがなかったので、とってもうれしいことでした。

さっそく調べました。

  

次のサイトに載っていた写真が決定的でした。

4travel.jp 京都のB級でマイナーな観光地めぐり1005「西寺跡」~京都~

500_19288515

500_19288516 

あの石碑には「史蹟 西寺阯」とありました。

ドラマでは読み切れなかった石碑にはこう書いてあったのですね。

すごくスッキリしました。

  

京都でかつて東寺と対で造られた西寺の勉強もできました。

何処か遠くへ 「西寺跡」

京都のITベンチャーで働く女の写真日記 西寺跡

京都トリビア × Trivia in Kyoto 西寺は存在した! ~何故、東寺は栄え、西寺は衰退したのか

 

yahoo!地図で場所を確認します。

Photo

Photo_2

Photo_3  

あの大きな木も写っています。

 

いつかは行って見たいと思っていた東寺に行く機会があったら、

セットでこの西寺跡にも行きたいですね。

また行きたい場所が増えました。

  

たった一言のコメントで、楽しいひと時を過ごせました。

最近の写真

  • Img_9442
  • Img_9441
  • Img_9440
  • Img_9439
  • Img_9438
  • Img_9227
  • Img_9226
  • Img_9224
  • Img_9223
  • Img_9422
  • Img_9100
  • Img_9098

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉