爆撃で手足を失った女性の淋しい目
今日は9月30日。
次の記事の続きです。
ここでも道草 戦火をくぐりぬけたキャスターの現物を見る(2017年9月28日投稿)
8月22日にキャスターを見るために「豊川海軍工廠展」に行きました。
その時に見た他の印象的なものを記録しておきたいと思います。
「豊川海軍工廠展」では、絵が多く展示されていました。
それらの絵は、1945年8月7日の工廠爆撃体験者に描いてもらったものです。
体験画を収集・公開する事業は平成18年から行っています。
次世代に伝えるための事業です。
集まってきた絵が展示されていました。
それらの絵が掲載された小冊子も販売していたので、購入しました。
爆撃があった場所で、どのような光景があったかを伝える絵が多くありました。
その中の1枚の絵の説明が辛かったです。
絵の掲載はしませんが、展示会場でその絵の横に置かれた説明を
ここに書き写します。
(手足を失った女性)
(絵の)作者:笹原貞治(伊藤等の体験談を絵画化)
海軍工廠養成工員だった私(話者:当時14歳)は、
爆撃の最中、走って逃げました。爆撃の影響を最小限
にするため、地を這い、身を低くして逃げました。
至近弾を受けて、腰まで埋った人に、私は足を引っ
張られたけれど、人を助けるどころではなく涙を飲んで、
足を蹴って逃れるのが精いっぱいでした。
途中、ダルマのように手足のない姿になった人が
いました。私に助けてもらいたいのか、私と目があった
のでした。20歳くらいの女子挺身隊でしょうか。
私が年少なので無理と思ったのか、身体の状況から
自分の生死を悟られたような淋しそうな目だった
ような気がします。
その目が思い浮かんできます。
その女性の気持ちはどのようなものだったのでしょう?
「もう死ぬんだ」と思われたくない気持ちはわかるような・・・。
この説明文はなかなか辛いものでした。
上の小冊子にも、この絵は掲載されていますが、
この説明文は載っていません。
展示会場で見た説明文は、こうやって残しておきたいです。
(つづく)
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