爆撃機に同乗していたカメラマンが撮った写真
今日は9月30日。
前投稿の続きで、8月22日に行った
「豊川海軍工廠展」で見たことを書いていきます。
米軍が撮影した豊川空襲ということで、
爆撃機に同乗していたカメラマンが撮った写真が展示されていました。
昨年も展示されていたそうですが、昨年は見に行っていません。
昨年のパンフレットをいただきました。
豊川市桜ヶ丘ミュージアム制作のパンフレットです。
展示され、このパンフレットにも掲載された写真の一部を
ここに載せていきます。
↑パンフレットの表紙になった写真です。
アメリカ軍が、海軍工廠を空襲したのは1945年8月7日の
午前10時13分から午前10時39までの26分間。
その短時間に、3256発の500ポンド爆弾(250キロ級爆弾)が
投下されました。
この写真の場所は、海軍工廠ではありません。どこか?
写真の説明には「(豊川市)上佐脇の大池揚水舎付近」とあります。
今の地図(Yahoo!地図)で探ってみました。
ヒントは川の流れ。
見つけました。
現在豊川市御津町上佐脇という場所です。
地図の左下に海があります。
爆撃機はそちらから侵入してきて、海軍工廠をめざしました。
地図の一部を切り取って、上の写真と同じ向きにしてみます。
川の流れとか、道路が一致するのがわかると思います。
ほぼ確定した爆弾が落ちた場所。
今はどうなっているのか。見に行きたくなりました。
この写真が辛い写真です。
爆弾によってすでに海軍工廠は爆弾を受けて炎上。
爆煙が立ち上っています。
この爆煙の下ではすでに多くの悲劇が起こっています。
そう思うと、辛い写真です。
爆撃機に乗った軍人はどう思って見たのでしょうか?
「姫街道の金屋橋」「金屋小学校」の位置を探ります。
Yahoo!地図を利用します。
上の写真と同じ向きにしてみます。
金屋小学校は直撃を受けた場所だったのですね。
ちなみに金屋小学校の開校は1976年なので、
空襲があった時には、ここには小学校はありませんでした。
金屋橋はよく通る場所。
かつてこのようなことがあった場所だと思って、
今度は通過したい。
その爆弾が落ちる場所には、人間がいるんですよ。
逃げ惑う人たちが。
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