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2017年8月18日

2017年8月18日 (金)

「遺留捜査4」第6話より・・・「誰か」は「ジグ・ジグラー」でした

  

今日は8月18にち。

  

前投稿に引き続き、昨晩放映されたドラマ「遺留捜査」より。

  

糸村さんが毎回いいことを言います。

行った後に、「て、誰かが言っていました」とつけます。

これが嫌味を消してくれます。

  

今回はこんな感じでした。

 

遺留物の離婚届についた炭らしき汚れ。

その炭をめぐって、2人の間でこんな会話。

  

村木「京都中の炭火を使っているお店を探していたら、

   1か月では終わりませんよ。」

糸村「村木さん、回り道は行き止まりの道ではない

   て、誰かが言っていました。」

村木「だれなんだ!」

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回り道は行き止まりの道ではない

 

いい言葉です。

糸村さんは「誰かが言ってました」と言っていますが、

実際に誰が言ったのか探ってみたくなりました。

  

調べました。

  

さすがインターネット。

すぐにわかりました。

ここを参考↓

英語の格言 voi.356

引用します。

  

今回は、独自の成功哲学で著名な世界的ベストセラー作家 

ジグ・ジグラーの言葉をご紹介!

"Failure is a detour, not a dead-end street." -Zig Ziglar

失敗は回り道。行き止まりの道ではない。

【解説】

“成功の伝道師”と呼ばれ、個人の潜在能力を引き出す第一人者として

世界中を飛び回ったジグ・ジグラー。

世界各国で講演活動を行い、数々のベストセラーを生み出しました。

あのサッチャー元英国首相やコリン・パウエル元国務次官をはじめ、

有名スポーツ選手やハリウッド俳優など、

多くの人が彼の成功哲学に魅了されてきたといいます。

ジグ・ジグラーは、12人兄弟の10番目の子どもとして生まれましたが、

5歳のときに父親を亡くしてしまいます。

小学校5年生ごろから働きはじめたジグラー。

たゆまぬ努力の結果、なんと30代半ばで訪問販売の

全米トップ・セールスパーソンとなります。

調理器具や洗剤、保険、教材など、ジャンルを超えて

全米トップの成績をたたき出し、そのハイレベルな仕事ぶりが評価され、

講演家・作家として活躍するようになりました。

ジグラーは、どんな人でも「成功」できる、と言います。

その「成功」が何であったとしても、個人が自己イメージを変えることによって、

どのような未来も実現できるのだそうです。

何かがうまくいかなかったとき、それを「失敗」と思って諦めてしまえば、

本当に失敗になってしまいますよね。

もしかしたらそれは、「成功」へ続く道のりの途中だったのかもしれません。

諦めるも諦めないも自分次第。肩の力を抜いて、

「今はまだ成功の手前にいる」と思えれば、もう少し、

続けてみてもいいような気がしてきます。

 

「誰か」は「ジグ・ジグラー」でした。

糸村さんに教えたくなります。

  

   

ラストシーンの写真です。

Rimg0513

Rimg0514  

京福電車の中での糸村さんと村木さんの会話で

終わっています。

気になるのは運賃箱です。

Rimg0514a

 

先日、京都に行った時に叡山鉄道に乗りました。

その時にも先頭車両(2両だけでしたが)、運賃箱がありました。

そして京福電車でも運賃箱がありました。

乗る時にはどこから乗ってもいいのですが、

無人駅で電車から降りる時には、先頭車両の前の扉から降りることになっていて、

そこに運賃箱がありました。

今回同じものを京福電車で見かけたわけです。

 

  

地元では見かけない運賃箱。

次の機会によく観察したいです。

  

以上です。

「遺留捜査4」第6話より・・・どこのお寺?どこの駅?

今日は8月18日。

  

昨晩のドラマ「遺留捜査」は面白かったです。

「京都将棋」以後、毎回楽しませてもらっている「遺留捜査」です。

  

今回はこんなところが気になりました。

  

番組冒頭のシーンです。

Rimg0501  

Rimg0504

この見事な庭のある場所は、何度か出てきます。

どこの寺だろう?

今回のストーリーで、重要な役の夫婦がよく行くお寺として

紹介されていました。

Rimg0512  

夫は殺されてしまいます。

奥さんが描いたそのお寺の絵です。

Rimg0510 

現在の「遺留捜査」の舞台は京都。

京都のどのお寺なのか興味を持ちました。

 

ラストシーンを待ちました。

Rimg0515  

ほらあった!

Rimg0515a

撮影協力で「等持院」とあります。

このお寺の可能性高し。

調べてみました。

 

この写真は等持院です↓

P0814_2224tc800x576 京都景色

絵で描かれたお寺と同じです。

この写真も等持院です↓

133465331847313119844 好奇心京都

もう決まりですね。

等持院がロケ現場です。

村木さんが珍しく糸村さんにお願いするシーンも

この庭の前でした。

場所を変えて2人だけになっての場面でした。

そんなに気楽に来れる場所?

 

調べてみました。

このお寺に入るためには500円の料金がかかります。

気楽に来れる場所ではないですね。

   

  

 

駅名が出てきました。

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「桃山東駅」

本当にある駅なの?

そう思っていたら、駅舎の改札の向こうに電車が入ってきました。

Rimg0509

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鮮明ではありませんが、焦げ茶色の電車が入ってきました。

これがヒントになるかな?

桃山東駅は存在するのか「駅名」をうって検索。

面白いサイトに行きました。

「ドラマラボ 遺留捜査4の桃山東駅とは?」

私と同じ点に目つけている人がいました。

正解があるかと思ったら、正解なし。

ただ「桃山東駅」は存在しないようです。

等持院については触れていました。等持院は正解でした。

 

 

何駅か?この写真にまたもヒントあり。

Rimg0515_2

Rimg0515b  

「京福電気鉄道株式会社」とあります。

この会社「京福電車」の駅の可能性あり。

等持院駅もこの「京福電車」なので、もしかして等持院駅なのかと思いました。

でも違いました。

しょうがない、京福電鉄の駅舎を一つ一つ調べていきました。

※参考:嵐電  京福電車・北野線 (北野白梅町~帷子ノ辻)全駅紹介♪

  

そしたらあったんですね!

「御室仁和寺(おむろにんなじ)駅」です。

やっぱり「桃山東駅」は架空の駅でした。

上記のサイトの写真は鮮明ではなかったので、

他を探しました↓

御室仁和寺駅
御室仁和寺駅 posted by (C)oseigt

「フォト蔵」より

 

ね、一緒でしょ。「桃山東駅」は本当は「御室仁和寺駅」でした。

嵐電  京福電車・北野線 (北野白梅町~帷子ノ辻)全駅紹介♪

の説明を引用します。

  

2007年3月18日までの駅名は「御室」でした。

駅名がかわった現在も駅舎には「駅室御」と旧字体で右横書きで書かれています。

  

「駅室御」の駅舎名の上に「桃山東駅」と書いた紙を貼ってあったのでしょう。

  

そうなると焦げ茶色の電車も「京福電車」の電車ということに。

探しました!

  

見つけた!

Keifukumobo27

これですよ。Wikipedia 京福電気鉄道モボ21形電車

運転士の出入りする扉の白い枠!

Rimg0509a_2

一緒です。

  

等持院、御室仁和寺駅とも、キミヤーズ塾が行われる近くにあります。

9月2日に行くので、実際に見に行きたいなあ。

時間的に等持院に入るのは難しいので、せめて御室仁和寺に行きたい。  

 

つづく

本「アメリカの教室に入ってみた」より5(最終回)・・・一人ひとりのプライドを尊重する方法

  

今日は8月18日。

  

昨晩の投稿に引き続いて、

アメリカの教室に入ってみた」(赤木和重著/ひとなる書房)より引用します。

出勤前の一仕事。朝食前の”朝飯前”

 

New Schoolで行われている異年齢教育のことを、

赤木先生は「流動的異年齢教育」と呼んでいます。

「流動的」をつける理由を、赤木先生は次のように言っています。

  

(1)活動によって異年齢になったりならなかったりすること。

(2)異年齢集団の人数も質も、1日の中で様々であることによります。

「異年齢集団でなければいけない」という固定的な教育ではなく、

あくまでも目的に応じて様々な集団がつくられます。

(161p)

  

学習形態について少し引用します。

  

「1年生だからこの教科書を学習する」という決まりはありません。

あくまで、それぞれの子どもの理解や関心に応じて

学習内容が決定されます。

例えば、私の娘は英語ができませんので、

年長児が用いるテキストを用います。

一方、算数に関しては、語学のハンディがあまりありませんでしたので、

結果として、自分の学年より上の内容を学んでいました。

「年齢」や「学年」といった「外」から学習内容がやってくるのではありません。

あくまでも理解に応じて子どもの「内」から学習内容が決定されます。

この点は重要です。

異年齢教育と言うと、どうしても「つながり」が重視されます。

下の子どもは、上の子どもにあこがれ、上の子は見守る力がつく・・・・。

確かにそのような側面はあるのですが、New Schoolの場合は、

そのような異年齢ペアや集団だけが重視されているのではありません。

むしろ、コントラクトに象徴されるように、

徹底的に「個」が重視されています。

「異年齢ありきの異年齢教育」ではありません。 

(175p)

  

でも・・・学習内容や誰と一緒に勉強しているかで、

自分の勉強のランクがわかり、劣等感に陥ることはないのかと

勘繰りたくなります。

でもでも、New Schoolは徹底しています。

学年、学級(クラス)を取っ払っているので、

保護者であっても、自分の息子や娘が何年生か把握していないそうです。

私が体験していない世界。

そんなことをご心配無用なのでしょうか。

子どもたちの中にも、他の子との比較をしない習慣ができているのでしょうか。

  

  

赤木先生は流動的異年齢教育の意義を3つ挙げています。

①自己肯定感が強くなる

②社会性の発達を豊かにする

③「障害」という言葉をことさら意識しなくなる

  

この中で①②は特に日本の教育に漬かっている身には印象的でした。

関連するところを引用します。

  

①・・・

1つ目は、自己肯定感が高くなる(正確には自己肯定感が低くならない)ということです。

日本の学校のように、「同じ年齢の子どもたちだけで、同じ教材を用いて学び、

同じ目標が立てられ、同じ評価を受ける」教育の場合、どうしても他の子どもと

「できる/できない」が見えやすくなります。

特にテストであれば、友達の優劣が点数という形ですぐにわかります。

テストだけでなく、行動面でも同じです。

「席から外れる」という行動も、みんな同じようにしなければいけない状況では、

目立ってしまいます。

その結果、子どもたちは、他者との比較の中で自分の学力や行動を

評価する傾向が強まります。

そして一部の「できる」子をのぞいて、多くの子どもが「できない」ことを

突きつけられ、自己肯定感が低くなりやすくなります。

一方、New Schoolでの学習形態は、そもそも友達との比較がしにくくなっています。

同学年で学んでいませんし、誰1人として、

他の子どもと同じカリキュラムで学んでいる子はいません。

一人ひとり学んでいることが違うために、

「他の子どもに比べて、できる/できない」ことがわかりにくいのです。

(188~189p)

  

日本の教育が当然になっている時に、New Schoolの実践は刺激的です。

比較によって、今の日本の教育形態はこれでいいのかと考えさせられます。

  

③・・・

3つ目は、「障害」という言葉をことさら意識しなくてもいい意義です。

New Schoolには前述したように、障害のある子どもが、

およそ4分の1在籍しています。

日本のように、「同じ年齢の子どもたちが同じクラスで学ぶ」という

「同年齢学級」が基本であれば、障害の子どもが目立ちます。

みんなと同じことを同じようにするのは、どうしても難しいからです。

そのため、「できなさ」は「障害」と直結しやすくなります。

「計算ができない」「じっとできない」「一方的に話す」などが

障害特性として顕在化します。

しかし、New Schoolのように流動的異年齢教育をとっている場合、

「障害」は目立ちません。

そもそも、年齢がまぜこぜのまま授業をしていますので、

「一律の基準」なるものが存在せず、比較しようがないのです。

さらに、障害のある子どもの学びは、他の子ども同様、

その子の「できる」部分から出発します。

そのため、その子が「できない」姿が見えにくくなります。

もちろん、障害ゆえに、なかなかできにくい姿があったり、

調子の波が大きいことはあります。

しかし、それでも、自分のできる・わかるところから出発しているために、

「できなさ」が目立つことはありません。(中略)

 

感覚的な表現で恐縮ですが、一言で言うと、

この学校に通っていると、「ほっとする」んですよね。

みんなと学んでいるのだけど、「平均に比べて遅れている/進んでる」

という視点がこの学校にはありません。

「『みんなちがってみんないい』を推進しましょう!」

といった心がけのレベルではなく、

また、教師の力量や態度がそうさせるのではなく、

学びのシステムとして必然的に他者と比較した評価をしなくなります。

 

こうして「他者比較」から抜け出ると、障害の部分が見えにくくなります。

すると、障害のある子どもは、のびのび学び、

自分を表現できるようになります。

実際、公立小学校では、1対1で先生が常にサポートしていた

行動障害のある子どもが、New Schoolに来てからは、

マンツーマンは必要がなくなりました。

(192p)

 

特別支援学級の担任としては印象に残る文章です。

通常学級の中で委縮してしまったり、

通常学級に行くことを生き渋っている子どもたちを見ているからです。

何か変えないといけないことがあるんだよなあ。

残りの夏休みに考えたい。

  

  

いよいよ最後。

  

New Schoolの学習形態がなぜ生まれたか。

古参の先生がこう言ったそうです。

  

「どの子もバカって思われたくないよね。

それを突き詰めたらこんな形の学校になったの」

(192p)

 

赤木先生はこう書いています。

 

どの子も自分が劣っているとは思われたくないし、思いたくないものです。

小さな子どもも、障害のある子どもも、障害のない子もみな同じです。

その願いを大事に大事にしたら、流動的異年齢教育に行きついたのです。

個々を大事にすることを突き詰めることが、

多様性のある集団に行きつくという結論は、

不思議なような、面白いような、納得するような、そんな感じがします。

インクルーシブ教育や異年齢教育が、先に「よきもの」「正しいもの」

としてあるのではなく、一人ひとりのプライドを尊重することが

最初にあったのです。   (192~193p)

「一人ひとりのプライドを尊重する」

ここが大事だよなあ。

子どもだってプライドがあるんだ。

それを尊重してあげる方法を考えてあげないとと思います。

残りの夏休みに考えるぞ。

いい本に出会えてよかったです。

朝飯前には終わりませんでしたが、出勤までにはできました。

これだけの文章が昨晩消えてしまったのです。

怒、ショック!でしょ。  

 

行ってきます!

木魚を叩く棒の名前

  

今日は8月18日。

  

先ほどまで赤木先生の本の内容をせっせとうっていました。

1時間ほど。

でも、アップする時に、全部消えてしまいました。

ド、ショック! 怒、ショック!

最近この不具合がよく起きます。もう夜の12時過ぎ。

うち終わって気持ちよく寝ようと思ったのに。

ブログを運営している企業に、この不具合が起きないように

手をうってほしいと依頼しようかな。いや、いや依頼しよう。

  

  

寝る前に他のネタで。

  

先日、仏壇の前にある木魚を叩く棒を

うっかり踏んづけて折ってしまいました。

しょうがないので滅多に行かない仏具店に行ってきました。

棒の名前を知らないので、事情を話しました。

「木魚を叩く棒を踏んづけて折ってしまったので・・・」

店員さんはさっそくその棒をいくつか見せてくれました。

無事に買うことができました。

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さて、この棒の名前は何だろう?

ヒントはレシート。

レシートには「バイ 皮巻 藤杢」と印字されていました。

「バイ」なのか?

カタカナで書いてあるので、すぐに「これが正解」とは思えませんでした。

  

調べました。

「バイ」がこの棒の名前でした。

漢字で書くと「棓」

「撞木(しもく/しゅもく)」とも言うそうです。

Yahoo!知恵袋 

でも他を調べると、「撞木」は違うように思えます。

「木魚撥(ばち)」という名前も見つけました。

法輪堂

そうか、「棓」はあまりお目にかかることのない漢字。

レシートに印字するには漢字がないのでしょう。

だから「バイ」

木魚が傷つかないよう、叩くところには「皮」が巻かれているそうです。

だから「皮巻」 

それでは「藤杢」は?

う~ん、これがわからず。

「杢(もく)」は和製漢字。ちょっと興味深い漢字です。

  

ちなみに「棓」の値段は1339円でした(税込だったと思う?)。

参考までに。

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