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2017年5月16日 (火)

行きたくなった備中松山城 その2

  

今日は5月16日。

  

前投稿に引き続き3月10日に放映された「歴史秘話ヒストリア 

戦国・名城の魅力まるわかり!謎と驚きのお城 400年物語」の

聞き書きです。

  

ナレーター:結果、昭和14年、地元の町が予算を捻出して

  天守の復興プロジェクトが始まりました。

  天守は全て解体し新しい柱などで作り替え。

  崩れかけていた石垣も新たに積み直されました。

 

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ナレーター:ところが順調に進んでいた矢先、

  「天空の城」ならではの大きな壁が立ちはだかります。

  お城があるのは麓の町から遙か遙か山の上。

  建設業者が「重い瓦を2万枚も運ぶのは無理」だと

  言ってきたんです。

  町の予算もギリギリ。

  天守の復活は諦めるしかないのか・・・。

 

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ナレーター:そこに思わぬ手助けが。地元の学校の生徒たちです。

   

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ナレーター:その頃はちょうど夏休み。

  男子も女子も手伝いに参加。

  2㎏の瓦を何枚も背中に背負い、山の上に運んだのです。

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松本幸さん:汗がびっしょりで、

  それこそ汗まみれになっていたんですね。

  松山城がどんなにきれいになるんだろうかなあとは思いました。

  

ナレーター:2万枚の瓦運びは、子どもたち、

  そして町ぐるみの協力で、2ヶ月かけてようやく終わりました。

 

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ナレーター:昭和15年11月。天守の修復作業が完了。

  美しさを取り戻した「天空の城」は、力を合わせた人々の

  ふるさとの絆、そのものなのです。

  

  

番組のラストに次の写真が紹介されました。

説明はありませんでしたが、おそらく瓦運びをした生徒の写真でしょう。

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白黒の写真はいいですね。

歴史を感じます。

この写真を撮影した時から長い年月が経ったことを感じます。

でもその時その場に人々はいて、

1人1人人生を持っていたのですよね。

  

  

今日から生活のBGMは中島みゆきのアルバムです。

「ヘッドライト・テールライト」を思い出します。

備中松山城にかかわった人たちはテールライトですね。

しっかり、光ってますよ。

  

  

備中松山城。行きたいところがまた増えました。

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