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2017年5月16日

2017年5月16日 (火)

検証:浜松 「チョコバット」は秋冬限定商品

  

今日は5月16日。

  

前投稿のつづき。

  

今回は「チョコバット」

 

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「SANRITSU」の文字が見られます。

三立製菓のお菓子だとわかります。

  

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これは9本入りの「がんばれチョコバットくん」という

商品だそうです。

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当たりの「ホームラン」「ヒット」がありません。残念。

  

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なぜ9本かはこの絵を見るとわかります。

野球チームに合わせたわけです。 

「チョコバット」もWikipediaで調べてみました。

  

チョコバットは、三立製菓が1964年(昭和39年)より

販売しているチョコレート菓子で、

価格は1本30円(2008年価格改定)。

シリーズ含め秋冬限定商品。

  

1964年ということは、「源氏パイ」より早い。

春夏は売っていない?秋冬限定商品!

知らなかったなあ。

暑くなるとチョコが溶けてしまうのでしょう。

でも春に売っていたなあ。

「9月末頃に販売開始」などという記事を見かけました。

暑くなってきたので、チョコバットは一度消えるのかな?

  

  

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↑遠足で行った公園で。5月1日のことでした。

検証:浜松 「源氏パイ」 なぜ「源氏」なの?

 

今日は5月16日。

  

浜松のことを書こうと思います。

  

浜松に関するテレビを見て、ささやかでも実際に確かめたり、

実際に行ってみたりした活動を書きとめておこうと思います。

シリーズ名は「検証:浜松」

  

  

ここでも道草 「アド街ック天国 浜松」⑩遠州織物⑨お菓子⑧舘山寺⑥さわやか(2017年4月29日投稿)

↑この投稿で、三立(さんりつ)製菓のお菓子のことを書きました。

引用します。

  

三立(さんりつ)製菓が「源氏パイ」「チョコバット」を

作っていたのですね。

5月1日は遠足があります。

「チョコバット」を買って、実際に「三立製菓」の製造であることを

確認したいと思います。

  

確認してみました。

地元のスーパーに行って「源氏パイ」「チョコバット」を探しました。

 

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「源氏パイ」です。

「SANRITSU」の文字が見られます。

確かに「三立製菓」のお菓子でした。

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1965年発売開始。50年以上の歴史があるのですね。

なぜ「源氏」?

Wikipediaにはこう書いありました。

 

商品名には和風の名前を付けたいと考えていたところ、

発売翌年のNHK大河ドラマが「源義経」に決まったことを知り、

そこから「源氏パイ」と名付けられたという。

  

実際に1966年の大河ドラマを調べてみました。

私はまだ幼くて見た覚えがありませんが、

確かに大河ドラマは「源義経」でした。

ここでダイジェスト版が見られます↓

NHKアーカイブス NHK名作選みのがしなつかし

その映像の写真です↓

Photo

Photo_2

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Photo_4    

  

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三立製菓の住所が書いてあります。

その住所から位置を調べました。

Photo_5

浜松駅の近くでした。(青のレ点の場所です)

  

上記Wikipediaには「平家パイ」について書いてありました。

 

「平家パイはないのか」と消費者から問い合わせが来ることもあった。

同社が発売していたレーズンパイ(1993年発売)を

2012年度のNHK大河ドラマが「平清盛」となったことに合わせて

平家パイに改称することで対応している。 

Photo_6 https://rekijin.com/?p=19064

 

やっぱり大河ドラマを絡めてきたところが楽しい。

次のサイトが勉強になりました。

Gigazine 「平家パイ」と「源氏パイ」で現代の源平合戦として食べ比べをしてみた

写真を転載↓

P1180267_m

P1180228_m

すごい!けっこう理由をつけています。

  

  

いかん、「源氏パイ」だけで長い投稿になってしまいました。

行きたくなった備中松山城 その2

  

今日は5月16日。

  

前投稿に引き続き3月10日に放映された「歴史秘話ヒストリア 

戦国・名城の魅力まるわかり!謎と驚きのお城 400年物語」の

聞き書きです。

  

ナレーター:結果、昭和14年、地元の町が予算を捻出して

  天守の復興プロジェクトが始まりました。

  天守は全て解体し新しい柱などで作り替え。

  崩れかけていた石垣も新たに積み直されました。

 

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ナレーター:ところが順調に進んでいた矢先、

  「天空の城」ならではの大きな壁が立ちはだかります。

  お城があるのは麓の町から遙か遙か山の上。

  建設業者が「重い瓦を2万枚も運ぶのは無理」だと

  言ってきたんです。

  町の予算もギリギリ。

  天守の復活は諦めるしかないのか・・・。

 

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ナレーター:そこに思わぬ手助けが。地元の学校の生徒たちです。

   

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ナレーター:その頃はちょうど夏休み。

  男子も女子も手伝いに参加。

  2㎏の瓦を何枚も背中に背負い、山の上に運んだのです。

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松本幸さん:汗がびっしょりで、

  それこそ汗まみれになっていたんですね。

  松山城がどんなにきれいになるんだろうかなあとは思いました。

  

ナレーター:2万枚の瓦運びは、子どもたち、

  そして町ぐるみの協力で、2ヶ月かけてようやく終わりました。

 

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ナレーター:昭和15年11月。天守の修復作業が完了。

  美しさを取り戻した「天空の城」は、力を合わせた人々の

  ふるさとの絆、そのものなのです。

  

  

番組のラストに次の写真が紹介されました。

説明はありませんでしたが、おそらく瓦運びをした生徒の写真でしょう。

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白黒の写真はいいですね。

歴史を感じます。

この写真を撮影した時から長い年月が経ったことを感じます。

でもその時その場に人々はいて、

1人1人人生を持っていたのですよね。

  

  

今日から生活のBGMは中島みゆきのアルバムです。

「ヘッドライト・テールライト」を思い出します。

備中松山城にかかわった人たちはテールライトですね。

しっかり、光ってますよ。

  

  

備中松山城。行きたいところがまた増えました。

行きたくなった備中松山城 その1

 

今日は5月16日。

  

4月に1回しか自転車通勤をしませんでした。

5月こそはと思いましたが、なかなかできず。

昨日が5月初の自転車通勤でした。

新年度通算2日。トホホ。

毎年めざしてきた月平均10日、年間120日の自転車通勤。

どうなる?

  

  

担任している子どもで、4年生ながら歴史大好き少年がいます。

その子が、DVD-Rを貸してくれました。

私が録画を忘れていた3月10日放映「歴史秘話ヒストリア 

戦国・名城の魅力まるわかり!謎と驚きのお城 400年物語

の入ったDVD-Rでした。

見ることができました。

そして備中松山城のことを知りました。

歴史大好き少年のおかげで知ることができた備中松山城のお話を

聞き書きしてみます。

  

  

ナレーター:1868年。明治維新の動乱、戊辰戦争で

  数多くの城が攻撃されました。

  お城が邪魔者扱いされる時代の始まりです。

  明治6年、政府は「廃城令」を発布。

  全国の城の多くを大蔵省が管理処分するというもの。

  地方の団体や民間への売却が始まりました。

  先日国宝になった松山城天守、売却価格、180円。

  (現在の約85万円)

  世界遺産姫路城天守、23円50銭。(現在の約11万円)

  100を超えるお城が学校などを建てたり、

  建築資材を取るために解体されてしまいました。

 

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ナレーター:こちらは岡山県の「天空の城」として人気がある

  備中松山城。

  標高400メートルの山頂付近にあり、江戸時代の姿を残す

  美しい天守が山々と神秘的な風景を織りなす。

 

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ナレーター:明治の「廃城令」で売却されたものの、

  険しい山の上にあったため、放置されました。

  60年もの間、忘れ去られてしまったのです。

  「天空の城」の復活。

  それはたった1人の熱意から始まりました。

  地元旧制中学校の歴史教師、信野友春(しなのともはる)。

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ナレーター:昭和の初め、他の県から赴任してきた信野が

  備中松山城を見学しに行ったところ・・・

 

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信野:これは、何ということだ。

  

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ナレーター:手入れが一切されないまま、ボロボロになった天守。

  屋根には草が生え、壁土も多くがはがれ落ち、

  建物自体が今にも崩れそうでした。

  貴重な山城が失われてしまう。

  信野は城の構造や寸法など、あらゆる姿を丁寧に記録していきました。

 

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ナレーター:この見事な天守についてまとめた本が出版されると、

  地元の人々は高い山の上に眠ってきたかけがえのない

  ふるさとの宝を思い出したのです。

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信野友春さんについて調べました。

このサイトが参考になりました↓

高梁人物「し」 2番目に「信野友春」

このサイトによると、信野さんは広島県出身。

広島県下各地の小学校・補習学校で15年間勤務。

その後なぜか遠くの宮崎県の中学校に3年間勤務し、

昭和 2年(1927)9月30日、

岡山県立高梁中学校 (現・高梁市)に赴任しています。

ここで信野さんは、備中松山城に出会ったのです。

ナレーターが言っていた本の名前は「備中松山城及其城下」です。

この本は、平成3年(1991)3月、高梁市郷土資料刊行会により

復刻再版され今日なおこの書は高く評価されているそうです。

このサイトの信野さんを紹介した文の最後はこう書いてありました。

昭和45年、その地味な学研の生涯を終えた。80歳。

  

信野さんの業績によって、備中松山城はどうなったか?

次の投稿に書きます。

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