本「GRIT やり抜く力」引用/ダーウィンはこんな人だった
今日は12月10日。
現在午前10時23分。今のところ、地震は起きていない。
本「GRIT やり抜く力」
(アンジェラ・ダックワース著/ダイヤモンド社)を読破。
今日、図書館に返すので、引用をしていきたい。
※参考:ここでも道草 TED 非認知能力「やり抜く力」を育てるためには(2016年9月22日投稿)
伝記作家たちは総じて、ダーウィンが人間離れした知能の持ち主
だったとは言っていない。(中略)
ところが、自然の法則の探究において発揮した観察力の鋭さや
根気については、(ダーウィン自身が)自画自賛している。
「私がふつうの人より優れている点は、ふつうなら見逃してしまうような
ことに気づき、それを注意深く観察することだろう。
観察にかけても、事実の集積にかけても、
私は非常に熱心にやってきた。
さらに、それにも増して重要なことは、自然科学に対して
尽きせぬ情熱を持ち続けていることだ」
(中略)
ある伝記作家はダーウィンのことを、こんなふうに描いている。
(中略)
「難問にぶつかると、ふつうの人は『またあとで考えよう』などと言って、
たいていはそのまま忘れてしまう。ところが、ダーウィンには、
そういういい加減さを自分に許さないようなところがあった。
彼は突きとめたいと思っている問題は、
すべて頭の片すみにとめておき、少しでも関連のありそうなデータが
表れたら、いつでもすぐにその問題と突き合わせることができた」
(40~41p)
いいですね、ダーウィン。失礼ながら、親近感をもちます。
見習いたいです。頭の片すみに置いておいて、
関連データが出てきたら、再び取り組む。
今の時代、こうやってブログにうっておいて、記録がすぐに呼び出せる。
さらには、テレビやインターネットのおかげで、その気になれば、
関連データとの出会いも頻繁に起きる。いい時代だと思いたいです。
学習障害と診断されて特別支援学級に入り、
今度は特別支援学校に転校することになっていたスコット。
ところが14歳のとき、生徒たちのことを注意深く見守っていた
支援学級の教師が、スコットをわきに呼んでたずねた。
「君はもっとよくできるはずなのに、どうしてこのクラスにいるの?」
え、どういうこと?
それまでスコットはずっと、自分は知能が低いと思い込んでいた。
そのせいで、おそらく将来もたいした仕事はできないだろうと
思っていた。
しかし、自分の可能性を見出してくれたひとりの教師との出会いが、
決定的なターニングポイントとなった。
「君にはせいぜいこの程度しかできない」
と決めつけられてきたが、「何だってやってみなければわからない」
という考え方に出会ったのだ。
その瞬間、生まれて初めてスコットの頭にこんな疑問が浮かんだ。
「ぼくはいったい何者なの?
なんの将来もない学習障害の子どもじゃないの?
それともひょっとして、ぼくにも可能性があるの?」
それを確かめるために、スコットは学校でありとあらゆることに
挑戦を始めた。
ラテン語の授業や、学芸会のミュージカルや、聖歌隊など、
どれも器用にこなしたとは言いがたいが、
すべてのことから学んだ。スコットが学んだこと、それは
「ぼくだって、捨てたもんじゃない」ということだ。 (53~54p)
特別支援学級の担任としては、考えさせられる文章です。
自分は目の前の子どもたちの可能性をちゃんと見極めているか?
子どもたちの伸びようとする気持ちを支えているか?
(つづく)
コメント