「アメリカ人が伝えるヒロシマ」を読む
今日は6月25日。
また間が開いてしまいました。
久々の投稿です。
前投稿でオバマ大統領の広島訪問ことを書きました。
今回も広島にゆかりのあるアメリカ人のことです。
この本を読みました。
(スティーブン・リーパー著/岩波書店)です。
印象に残った文章を引用します。
第1章 日本との「ご縁」
なぜ、日本に?
「なぜ、日本に来たのですか?」
と、よく質問されます。
私は37歳から広島に定住し、
59歳でに就任しました。
広島平和文化センターは広島原爆資料館
(正式名・広島平和記念資料館)の運営母体です。
その代表職をアメリカ人の私が任されたわけです。
外国人としては初めてでした。
ですから「なぜ、日本に?」はとても自然な問いかけなのです。
起点には、私の父が若いころに海軍で
日本語を学んだということがあります。
私は1歳のとき、父と一緒に日本に来ています。
その後もいろいろなことがありました。
しかし、正直なところ、「ヒロシマ」や「平和」につながる明確な意志や
目的があったわけではありません。
そうかと言って「偶然」や「成りゆき」という表現では不十分に感じます。
では、どのように答えましょうか。
日本では「ご縁ですね」とよく言いますよね。
その「ご縁」が私の感覚に最も近い答えであろうと、今、
思っています(ちなみに、「ご縁」にあたる英単語は見当たりません)。
(2p)
「ご縁」「縁」は私にとって好きな言葉です。
「縁があった」と感じたものには必ず係り合おうと思っています。
たくさんの選択肢があるはずなのに、
自分の目の前に現れ、出会ったものには、やはり「ご縁」を感じます。
失ってなるものかと思います。
一つ一つの「ご縁」を大切にしていくと、
充実した人生になっていく、
面白い人生になっていくと勝手に思っているところがあるよなあ。
「偶然」でもなく「成りゆき」でもなく「ご縁」
アメリカ人のスティーブン・リーパーさんが至った結論に
私も共感します。
スティーブン・リーパーさんがお父さんのことに触れて、
こう書いています。
日本のYMCA職員だった父は、出張で北海道を巡教した後、
1954年9月に函館から青森に向かい、
たまたま乗船した洞爺丸で海難事故に遭い、亡くなっています。
父は日米間の憎しみをなくすことを願い、
活動場所を日本としていたようです。
事故は私が6歳のときのことであり、
幼い私は父のそうした志を詳しくは知りませんでした。
ところが、今から10年ほど前に父の肉声(1951年当時)が入った
録音テープがアメリカで見つかりました。
それを聴いて、私は父の平和への思いを明確に知りました。
そして、今の自分が父と同じ思いで日米を結ぶ活動を
していることに不思議なものを感じます。
私が日本に来て、そして広島に住み、長期間にわたり
平和活動をしているのは、「偶然」という言葉では的確でなく、
「運命」という表現でも違和感があり、
やはり「ご縁」という言葉と人生観が最もふさわしいように感じています。
(9p)
アメリカ人を広島平和文化センターの理事長に
就任させる決断をした人の発想がまずいいですね。
オバマ大統領訪問以前に、
このような画期的なことが行われていたのですね。
スティーブン・リーパーさんのお父さんと洞爺丸事故については、
Wikipediaに次のように紹介されていました。
たまたま洞爺丸に乗り合わせた3名の
外国人キリスト教宣教師(ディーン・リーパー(YMCA)、
アルフレッド・ストーン(メソジスト)、ドナルド・オース(メソジスト))の
人道的な活動が伝わっている。
手品で子供を和ませたり、
救命具を着せてやったりの行動が有ったという。
リーパーとストーンは遭難死して、オースが奇跡的に生き残った。
「ディーン・リーパー」がお父さんですね。
ここも参考になりました↓
※せいあい子どもの園 聖書のお話 書き下ろし連載30 ある宣教師が残したもの
(つづく)
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