「好きなことだけして生きていけ」引用2/”子どものようだ”と言われていない
今日は8月21日。
前投稿に引き続き、「好きなことだけして生きていけ」(PHP研究所)から引用します。
「別にどっちでも」というのは、自分では何も感じられない頭の不感症だ。
頭の不感症は、それはそれで楽チンかもしれないが、
放っておくとそれが癖になって、どんどん不感症が酷(ひど)くなっていく。(22p)
もし、あなたが本気で幸せな人生を歩みたいのであれば、
「こっちが好き」「どっちもイマイチ」というように、
好き嫌いをハッキリさせていくことだ。
もちろんそれが人を傷つける場合には、わざわざ声に出していう必要はない。
ただ自分の心の中だけは正直でありたい。
どんな些細なことでも好き嫌いをハッキリさせる習慣にすれば、
次第に感性は研ぎ澄まされていくだろう。(23p)
感性は研ぎ澄ませたいと思っています。
感じることは楽しいからです。
研ぎ澄ませるなら、そのやり方を実践したい。好きなものは好きだと言いたい。
自分で自分の人生を生きていける人間は、
「やらなかった後悔」ではなく、「やっちゃった後悔」をする。
死に際に「やっちゃった後悔」をする人が、幸せな人生を謳歌した人なのだ。(27p)
これは新任の時に、新任訓で習字の達者な教頭先生に書いてもらったものと
同じ内容です。
この考え方と、コンビニで買った本で出会いました。再確認。
今は「好きなこと=才能」とはハッキリしなくても、
必ず好きなことの周辺に才能があるものだ。(51p)
身近で一番よく観察しているのが、じつはあなたの母親だ。
母親は、幼少の頃からあなたの長所も短所も知り尽くしている。
多少親バカな部分もあるだろうが、あなたが真剣な眼差しで
「自分は何をしている時が一番輝いていたか?」
と質問すれば、真面目に答えてくれるだろう。
私も、母親から未来のヒントをもらった。(52p)
教育でも関係する内容です。母親と一緒に子どもの教育はやっていくべきですね。
開花させられるかも?できたら開花させたいとは思っている教師です。
「まるで子どものようだ」というのは、紛れもなく褒め言葉なのだ。
あなたは最近、「子どものようだ」といわれたことがあるだろうか。
思い出せないなら、かなり危険信号だと考えよう。(60p)
「まるで子どものようだ」といわれなくなったら人間はおしまいだ。
周囲から見て、それほど退屈な人間はいない。
退屈な人間には、人もお金も集まってこない。
もちろん、退屈になってしまった理由は
好きなことを放棄して生きてきたからだ。
「まるで子どものようだ」といわれるのを目標に、
熱中できるものを思い出そう。(60~61p)
言われていないなあ。
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