「ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男~」を見た その2
今日は5月12日。
前投稿のつづき。
4月29日放映の「ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男~」より。
「三省堂国語辞典」の第三版には、「ウルトラマン」や「怪獣」が載っていました。
これは「三省堂国語辞典」らしさ。
「三省堂国語辞典」は昭和35年(1960年)に、中学生向けに作られました。
見坊豪紀は、徹底的に現代に即した辞書であることを目指しました。
第四版に、見坊豪紀の辞書作りの姿勢を物語る次のような言葉がおさめられていました。
ワードハンティング。
見坊豪紀は、暇さえあればワードハンティングをしていたそうです。
街を歩き、写真で撮影したりもしたようです。
(今の私が、花を見つけるとすぐに写真に撮るのと同じ。共感できます)
見つけた言葉ごとに、どんな用例があるか集めます。
50年間で、集めた言葉の用例カードは145万!
「三省堂国語辞典」の現代に即した辞書と言う性格は、見坊豪紀のこういった活動からできたのでしょう。
現在の「三省堂国語辞典」の編集者である飯間浩明さんは、
東京・八王子市にある三省堂資料室にある見坊豪紀のカードを案内してくれ、
これらのカードが「見坊カード」と呼ばれていることを教えてくれました。
飯間さんも、あの「知られざる国語辞書の世界」に出てきた人です。
※ここでも道草 「知られざる国語辞書の世界」その1 (2013年4月4日)
飯間さんは私のことは知りませんが、私はしっかりおなじみになった気でいます。
見坊豪紀がワードハンティングに手を染めていて、
語釈になかなか取り組まなかったので、
見坊豪紀と山田忠雄が協力して作っていた「明解国語辞典」の改訂版が、
15年たってもできていませんでした。
そのことを山田忠雄は憂いていました。
当時、国語辞書の語釈が、どの辞書も似たりよったりであることが指摘されました。
山田忠雄は、先行書の真似ではない独自の語釈による辞書作りを考えたようです。
山田忠雄の気持ちは、用例に現れていました。
山田忠雄は行動します。
見坊豪紀抜きで、「新明解国語辞書」の出版にこぎつけるのです。
昭和47年(1972年)のことでした。
この件で、見坊と山田の仲は決裂します。
一緒に「明解国語辞典」を作ってきた2人は、
見坊は「三省堂国語辞典」、山田は「新明解国語辞典」に分かれて、
その後対面すらしなくなったそうです。同じ三省堂なのに。
平成4年(1992年)10月21日
享年77歳 見坊豪紀先生亡くなる
平成8年(1996年)2月6日
享年79歳 山田忠雄先生亡くなる
辞書の中にあったこの用例がいい。
「三省堂国語辞典」接続助詞「ば」の用例
「山田といえば、このごろあわないな」
会えばよかったのに~。
この番組のおかげで、国語辞書の勉強がまたできました。感謝。
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