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2011年9月

2011年9月17日 (土)

腎臓・・・やっと知った透析/糸球体で行われていること

  

今日は9月17日。

   

「透析」というのはどういうことなのか、最近やっとわかりました。

 

9月14日放映の「ためしてガッテン 腎臓が突然ダメになる 急増!沈黙の新現代病」を見ました。

それを見て、よくわかりました。

    

腎臓が弱ると、血液の老廃物が除去されず、血液はきれいになりません。

腎臓が機能しなくなると、数日で命を落とすことになります。

血液をきれいに行うことを人工的に機械で行うのが、透析(人工透析)です。

週3回、最低でも4時間はかかるため、患者さんにとっては大変な負担になります。

   

疑問は「透析」の漢字。

なぜ、この2文字を使うのか。

    

「透」は、「半透膜」の「透」を表しているのでしょう。

「半透膜」とは、溶液や気体混合物などについて、成分の一部は通すが、他の成分は通さない膜のこと。

実際、腎臓では血液中の余分な物だけ糸球体(しきゅうたい)で濾過しています。

半透膜を利用しています。

 

「析」は、こまかく分かつ、こみ入ったものを解きほぐすといった意味。

「分析」「解析」「析出」など使われます。

   

「半透膜」を使って、「分かつ」するから、「透析」

自分で調べて、自分で予想して、納得しました。

      

    

「肝腎」(かんじん)と書けば、「肝臓」と「腎臓」

腎臓が大事な臓器だということを表しています。

「肝心」とも書きます。これは「肝臓」と「心臓」

「肝心要」は何と読むか?

   

「かんじんかなめ」です。最近この言葉をあまり使っていません。

  

   

番組の写真を使って、糸球体の説明をしてみます。

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腎臓の中の糸球体で血液の濾過が行われます。

   

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1つの腎臓に糸球体が100万個もあるそうです。

ちゃんと数えた人がいるわけですよね。

    

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糸球体には毛細血管があり、

糖、タンパク質、老廃物などが流れています。

    

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老廃物は、血管の壁の小さな穴から排出されます。

     

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タンパク質や糖は、比較的大きいため排出されません。

同じように赤血球や白血球も排出されません。

こうして糸球体で濾過が行われます。   

    

人間の体って、本当にうまくできているよなあ~。(つづく)

 

   

 

 

 

    

 

ヒガンバナの芽を発見

   

今日は9月17日。

昨日(16日)の朝、ついに発見。

1年間、定点観察していた場所で、ヒガンバナの芽を発見しました。

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こんな感じでスタートしていたのですね。

季節は巡る。またちゃんとヒガンバナの季節がめぐってきました。

さすが、ヒガンバナ。ちゃんと「お彼岸」に照準を合わせてきます。

勝手に人の家の庭を観察して、季節を感じていました。

いつかこの庭の持ち主には、

観察していることを言わないといかんなと考えています。

    

今週はブログが書けないほどのハードワークでしたが、

どうにか乗り切った。

修学旅行のしおりも完成させて、一段落。

(修学旅行は25日~26日)

給料日で、ディスカントの酒屋へ。

もし「秋味」があったら買おうと思っていました。

「秋味」はありませんでした。

決めた!今年の「秋味」は、今残っている10本で終了。

今年の「秋味」はイマイチでした。なぜだろう?また来年に期待しよう。

    

今から久々の豊橋の先生との勉強会。

その前に洗濯ものを干すのを手伝う。

2011年9月14日 (水)

台湾と中国

  

今日は9月14日。

12日放映の「池上彰の現代史講義~歴史を知ればニュースがわかる~中国と台湾の対立」を見ました。

中国と台湾の関係について、知っていたこと、知らなかったことをたくさん聴けて、

自分の記憶の層が、少々厚くなった気がします。

    

でもすぐに忘れていってしまう自分なので、

ここにいくつか書きとめておきます。

     

・日清戦争で日本が中国(清)に勝ち、日本は台湾を得る。

・日本は、台湾住民のの日本人化を目指す。

・台湾住民の日本人化反対運動があり、

 日本軍に1万人以上の台湾住民が殺された。

・日中戦争で国民党と共産党で「国共合作」で、日本と対峙した。

・共産党は、国民党と日本を戦わせようとした。共産党軍は、国民党軍の後ろにいた。

・日本撤退後、「国共内戦」の状態になる。国民党員は台湾へ。

・台湾にやってきた国民党員。台北の近代化に驚く。

・エレベーターが珍しく、一日ながめていた人がいた。

・水道の蛇口から水が出ることに驚き、店で蛇口だけ買って壁にとりつけた人がいた。

・水はもちろん出なかった。

・台湾の近代化は、日本人によってもたらされた。

・「二・二八事件」(1947年)・・・国民党に対する抵抗運動。

・国民党は、この抵抗運動を軍隊で鎮圧。無差別虐殺が行われた。

・死者は、少なくとも2万8千人。台湾を支えていた人たちが殺された。

・1949年10月1日。中華人民共和国成立。

・この日は、今、中国では国慶節。

・国民党員が全員台湾に移り住むのが、1949年12月。ざっと200万人。

・中華民国の首都は南京。戦時中に、重慶が仮の首都。

・台湾に移り住んでからは、台北が仮の首都。

・大陸の中華人民共和国の共産党と、台湾の国民党との対立。

・国民党のスローガン「反抗大陸 解放大陸同胞」(今一度大陸に戻る気持ちがある)

・大陸の中華人民共和国の近くに、中華民国の領地の金門島がある。

 国共内戦の前線基地であった。

・1950年に共産党は、台湾の国民党を倒すために、軍を集結した。

 しかし、朝鮮戦争が勃発したことで、軍をそちらに移動。国民党は危機を回避する。

・中国の軍隊名は「人民解放軍」・・・まだ開放すべき人民がいるということ。それが台湾。

・2005年に中華人民共和国で法律ができる。「国家分裂防止法」

 台湾が独立すると言ったら、非平和的な方法かその他の方法を使って阻止。

・台湾は「外省人」(大陸から来た)「本省人」(元々台湾に住む)に分けられる。

・Uneited Nationsに加入したい日本。敵国であった軍事同盟名である「連合国」(Uneited Nations)に入るわけにはいかない。

 Uneited Nationsを「国際連合」と訳して、加入をすすめた。外務官僚による意訳?

 中国では「国際連合」にのことを「連合国」と言っている。

    

    

ふ~、忙しい時なのに、たくさん勉強した。

そうだったんだ!ということがたくさんあった。

 

 

 

 

2011年9月12日 (月)

プール水面に映る仲秋の名月

   

今日は9月12日。

 9月9日(金)が、今年のプール最終日でした。

体育主任として、今年は藻を発生させないぞと思い管理してきましたが、

幸いにも藻は発生せず、緑色になることなく、きれいなプールで終えることができました。

本当はすぐに濾過機の運転を切るところですが、

あわただしく9日は過ぎてしまい、

土日をはさみ、今日(9月12日)やっと濾過機の運転を切ることにしました。

     

晩、プールに向かいました。

ずっと動きつづけてきた濾過機の運転をとめるのは、

体育主任をやった以前も、少々感傷的になりました。

大きめな運転音が消えると、プールの季節も終わりだと感じ、

よく頑張ってくれましたと褒めたくなります。

   

さらに感傷的になる情景がありました。

今晩の仲秋の名月が、プールの水面に反射して輝いていました。

撮影しました。

RIMG0069横写真 
RIMG0078縦写真 
   

いいものを見ました。   

   

    

今日の給食のデザート。

RIMG0030 RIMG0031
伝統が引き継がれていく方法のひとつ。
   

2011年9月11日 (日)

「歴史秘話ヒストリア 真田幸村vs.伊達政宗」を見る

   

今日は9月11日。

昨日「歴史秘話ヒストリア 激突!真田幸村vs.伊達政宗 ~めぐりあい大坂夏の陣~」を見ました。

7月27日に放映された番組です。(再放送。本放送は2010年1月6日)

真田幸村ゆかりの長野県上田市には3回行ったことがあり、

興味を持っている武将の一人が、真田幸村です。

RIMG0013幸村 
※真田幸村・・番組より

    

関ヶ原の戦いの時の、徳川秀忠との戦い。第二次上田合戦

父真田昌幸と幸村の戦上手が際立った戦い。

以前にもブログに書きました。

「映画『サマー・ウォーズ』第二次上田合戦の真実」.html   

今日の晩放映の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」は、まさに第二次上田合戦をやります。

どのように描かれるか注目。

担任している6年生にも解説して、ぜひ見るように言ったけど、

どれくらいの子どもたちが見てくれるかな。

     

関ヶ原の戦いに勝ったのは家康で、家康は将軍になり江戸幕府の治世が始まります。

徳川に逆らったということで、真田幸村は、紀州の九度山に14年間も幽閉されます。

九度山での貧しい生活については知らなかったので、

番組でよくわかりました。

浴衣の布と交換に、焼酎をねだる幸村の手紙は、ちょっと意外でした。

※九度山=和歌山県九度山町(下に地図を示す)

   

豊臣が徳川と戦う武将を募っていると聞いて、幸村は豊臣側につきます。

48歳で大坂冬の陣に参戦。

大阪城のお堀の外に「真田丸」という要塞をつくって、大軍相手に痛快に戦います。

堀も真田丸も失っての夏の陣においても、

幸村は奮戦し、家康に迫るところまで行きましたが、戦死。49歳でした。

名が残ることを欲した幸村の行動は的中。今も名が残っているわけです。

    

幸村の大坂冬の陣・夏の陣の活躍は、

14年間の幽閉期間後のことであることがよくわかった「歴史秘話ヒストリア」でした。

ドラマチックな生き方はあこがれます。

やっぱりドラマチックに生きたいと思っています。

どう自分の人生をこれから作っていこうか。

終わりよければすべてよし。

終わりは恰好よく。それまでは地味に堅実に。なんてね。

    

今回、伊達政宗については、あまり印象に残らず。

 

 

 

 

2011年9月10日 (土)

「ピカドンたけやぶ」動き出している

   

今日は9月10日。

前年度の学芸会があったのは、平成22年11月13日でした。

6年生はシュプレヒコール劇「セロ弾きのゴーシュ」を演じました。

その直後、11月16日に図書室で本「ピカドンたけやぶ」を見つけました。

平成7年(1995年)に

地元の合唱劇団「豊川親子合唱団たけのこ」が演じたのを見に行ったのを思い出しました。

その時のことはブログに書きました。

「ピカドンたけやぶ」と再会html

   

もしも、今度6年生を担任したら、この合唱劇「ピカドンたけやぶ」をやりたいと思いました。

合唱劇団に、知っている方がいたので、

年賀状に「6年生担任になったら、『ピカドンたけやぶ』をやりたい」と書きました。

   

その機会は、すぐに来ました。

本年度も6年担任となり、夏休みに実行に移し始めました。

劇団の方に連絡をとり、楽譜(台本含む)を手に入れました。

劇団は平成17年(2005年)にも「ピカドンたけやぶ」を演じており、

その時の映像も手に入れて見ました。

あらためて心に響く素晴らしい劇に酔いました。

※楽譜(台本含む)も映像も次のサイトから注文できます。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/shiawase/shi_goods0907.pdf#search='

RIMG0016 RIMG0017

その時の音の入ったCDは、今自動車内のBGMです。

   

そんな時に耳寄りな情報を得ました。

かつて同じ県内の小学校6年生が、

「ピカドンたけやぶ」を学芸会で演じたとのこと。

それはありがたい。

参考にしたいと思っていたら、劇を録画したビデオテープが幸いにも手に入りました。

平成6年11月27日の上演。

土曜日の今日、じっくり見てみました。

    

驚き!

とてもレベルが高い劇でした。

一人でも堂々と歌う姿。

高音がよく伸びる合唱。

40分間舞台に出っぱなしで、全ての歌を歌い続ける子どもたち。

感動。

同じ6年生が演じたもの。素晴らしいお手本です。

これに迫る劇ができたら、目の前の子どもたちはグンと伸びることになるでしょう。

やる気がふつふつ沸いてきます。やるぞう!

   

この気持ちを忘れないようにと、ブログに書きとめることにしました。

本番は11月12日。あと2カ月。

その前に修学旅行(9月25日~26日)。

それまでに準備をして、修学旅行がすんだら練習スタートです。

2300本目の投稿・・・北海道への入植

  

今日は9月10日。

奈良県の十津川村が台風12号で壊滅的な被害を受けています。

8日のCBCニュース「朝ズバッ!」で、

その十津川村と、北海道の新十津川町の関係を報じていました。

   

今から122年前の明治22年(1889年)に十津川村を豪雨が襲いました。

3日間降り続いた雨で、土砂崩れも発生。

村の1/4にあたる610戸が被害を受け、168人が死亡。

約3000人が家や畑を失いました。

十津川村約2600人が北海道への移住を決意。

残った人たちは村の共有財産を売るなどして、移住者を支援したそうです。

今に至るも、十津川村と新十津川町との交流は続いています。

    

この話は知っていました。いい復習ができました。

思い出すのが、小説「石狩平野」(船山馨著)です。

十津川村からの入植ではなく、新潟からの入植ですが、

同じ明治時代に北海道に入植した女性の半生を描いた作品。

読んだのは高校生くらいでしょうか。つまり30年以上前のこと。

なぜかその本を手にしていました。

図書館で借りたのかな。古い本だったと記憶に残っています。

長編で難しそうな本でしたが、読んでいくうちに引き込まれ、

読破していました。そしてずっと印象に残っています。

北海道入植の話題に触れるたびに思い出します。

何十年かぶりに再読してみようかなと思いました。

 

2011年9月 9日 (金)

秋の空と「秋味」

  

今日は9月9日。

昨日の朝、父親が階下から呼びました。

「雲がすごいぞ。カメラを持って外に来い」

カメラを持って外に出ると、秋空が広がっていました。

「こんな雲は初めて見た」

と80歳の父親。80年で初めて?程ではないと思いましたが、

なかなかいい秋空でしたので撮影しました。

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そう言えば、キリンの「秋味」

今年は何か変。

味が濃くない。そんな気がします。

何か物足りない。

冷蔵庫の冷え具合が悪いのか、自分の体調が悪いのか・・・・

理由を「秋味」側に求めていませんでしたが、

そろそろ「秋味」側に理由があるのではと疑いを向けています。

確か「秋味」はこんな味・・・には至っていません。気のせいかもしれませんが。

 

 

2011年9月 7日 (水)

ヒガンバナの花がいつ出現するか?

  

今日は9月7日。

最近撮った写真より。

   

RIMG0001パチンコ店 
8月20日の投稿で、パチンコ店ができると紹介しました。

※「跡地にはパチンコ店ができる」html 

上の写真は9月3日撮影。

予想以上の大規模なパチンコ店になりそうです。

広大な敷地だと思っていましたが、

これだけ大規模なパチンコ店で、手狭に見えてきてしまいました。

近所の雰囲気が変わるのかな。

     

RIMG0002すいません 
自販機の上にあった広告。9月3日の撮影。

以前から気になっていました。

「男ですいません」

これは、「すません」でしょう。

      

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9月6日撮影。

筆で描いたような雲。

秋空です。

    

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9月6日撮影。

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9月7日撮影。

撮影場所は、昨年からヒガンバナの定点観察をしていた場所です。

ヒガンバナの季節がいつのまにか迫ってきています。

昨年観察した場所から、今年再び出てくるのでしょうか。

出てくるならいつ、どのようにして出てくるのか見てみたくなりました。

    

唐突に出現するように思っていたヒガンバナ。

花が終わった後に葉が生い茂り、

春先まで太陽光を浴びてエネルギーをため込み、

9月のお彼岸の頃に花を咲かせます。

いきなり出現するのではなく、充分に準備した後に出現しているわけです。

   

ただ、ヒガンバナの葉が1月に刈り取られてしまう事態があったので、

はたしてどこまで大きくなるかどうか。

「ヒガンバナ 葉が刈りとられてしまった」html

観察を続けます。

 



 

 

アディダスとプーマ

   

今日は9月7日。

昨日の「く(9)つ(2)」の話のつづき。

FM豊橋の渡辺欣生(よっちゃん)の話です。

    

ニューバランス、コンバース、アディダス、プーマといった靴のメーカーがある。

最も古いのがニューバランス。

「ニュー」がつくくらいだから、最近できたように思えるが、1906年で最も古い。

ボストンで始まる。もともと偏平足を矯正する靴屋として生まれた。

次が1908年創業のコンバース。

アディダスとプーマは1920年に同時に始まったと言っていい。

1920年にドイツで、アドルフ(弟)とルドルフ(兄)がダスラ―兄弟社という靴屋を始めた。

1948年、有名なスリーラインが生まれた年に、

ルドルフがこだわりのブランドとしてプーマを作った。

アドルフもそれを機に、会社名を変更した。

アドルフのニックネーム「アディ」に、ダスラ―兄弟社の「ダス」を合わせて、アディダス。

アシックスは日本の会社名。

アシックスの「アシ」は「足」を連想させるが、そういうわけではない。

     

9月2日は、朝から「アディダスとプーマは兄弟が作った会社なんだ」と驚きながらの出勤でした。    

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