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2010年5月23日 (日)

国分寺・国分尼寺下見15/金堂の須弥壇(しゅみだん)

(前投稿のつづき)

金堂跡の一段高くなったところを須弥壇(しゅみだん)と言います。

この壇の上に本尊などの仏像が置かれていました。

イメージが抱きにくいですよね。

唐招提寺金堂大修理の時の写真がありました。

※「唐招提寺 保存修理事業現場公開」

http://sendo.fc2web.com/flame02/20040911toushoudaiji/toushoudaiji.htm

04honzon    

    

    

    

    

     

この写真の仏像の下のあるのが須弥壇です。

豊川市の国分尼寺もこんな感じだったのではないでしょうか。

    

     

須弥壇は、須弥山(しゅみせん)をかたどったものだそうです。

須弥山とは、仏教の宇宙観による「宇宙の中心をなす巨大な山」のことです。

   

奈良時代までは、唐招提寺や国分尼寺のように低い台でした。

しかし、平安時代になってだんだん高くなっていったようです。

※参考「YAHOO!百科事典/須弥壇」

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%A3%87/

    

    

国分尼寺の須弥壇の上に阿弥陀三尊像があったようです。

※参考「国府物語」http://www.st.rim.or.jp/~komatsu/mikawa.html

阿弥陀三尊(あみださんぞん)とは、仏像を置く時の形式。

中央に阿弥陀如来。

阿弥陀如来の右手に観音菩薩。左手に勢至(せいし)菩薩。

法隆寺の阿弥陀三尊像はこれ。

03    

    

    

    

      

    

そこにはないものを想像することが社会科は大事です。

子どもたちに、基壇と礎石、そして須弥壇しかない現場で、

どれくらい想像できるか期待したいです。

Rimg0106

   

    

      

   

そのためには、

ほぼ同じころに作られた唐招提寺金堂が参考になるわけです。

※国分尼寺が741年の聖武天皇の指示受けて8世紀後半に作られたもの。

※唐招提寺は759年が始まり。

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