国分寺・国分尼寺下見15/金堂の須弥壇(しゅみだん)
(前投稿のつづき)
金堂跡の一段高くなったところを須弥壇(しゅみだん)と言います。
この壇の上に本尊などの仏像が置かれていました。
イメージが抱きにくいですよね。
唐招提寺金堂大修理の時の写真がありました。
※「唐招提寺 保存修理事業現場公開」
http://sendo.fc2web.com/flame02/20040911toushoudaiji/toushoudaiji.htm
この写真の仏像の下のあるのが須弥壇です。
豊川市の国分尼寺もこんな感じだったのではないでしょうか。
須弥壇は、須弥山(しゅみせん)をかたどったものだそうです。
須弥山とは、仏教の宇宙観による「宇宙の中心をなす巨大な山」のことです。
奈良時代までは、唐招提寺や国分尼寺のように低い台でした。
しかし、平安時代になってだんだん高くなっていったようです。
※参考「YAHOO!百科事典/須弥壇」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%A3%87/
国分尼寺の須弥壇の上に阿弥陀三尊像があったようです。
※参考「国府物語」http://www.st.rim.or.jp/~komatsu/mikawa.html
阿弥陀三尊(あみださんぞん)とは、仏像を置く時の形式。
中央に阿弥陀如来。
阿弥陀如来の右手に観音菩薩。左手に勢至(せいし)菩薩。
法隆寺の阿弥陀三尊像はこれ。
そこにはないものを想像することが社会科は大事です。
子どもたちに、基壇と礎石、そして須弥壇しかない現場で、
どれくらい想像できるか期待したいです。
そのためには、
ほぼ同じころに作られた唐招提寺金堂が参考になるわけです。
※国分尼寺が741年の聖武天皇の指示受けて8世紀後半に作られたもの。
※唐招提寺は759年が始まり。
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