国分寺・国分尼寺下見16/掘立小屋
(前投稿のつづき)
豊川市の国分尼寺の建造物配置図です。
金堂を奥に進んでいくと、右手に経蔵(きょうぞう)。
お経が納められている蔵です。
左手には鐘楼(しょうろう)。鐘つき堂です。
そして回廊をつなぐ形で講堂があります。
ここは今の学校の教室のような役目の建物。
その裏手にあるのが尼坊(にぼう)。
尼僧たちが寝起きしていた場所です。10人くらいの尼僧がいたそうです。
注目は北方建物。
この建物だけ、他の建物や廊下と作りが違います。
何が違うかと言うと、礎石を使わずに、地面に穴を掘って柱を立てて作る建物でした。
よく耳にしていましたが、こういう建物を掘立小屋(ほったてごや)と言うのですね。
(掘って立てる柱を使った小屋→掘立柱小屋→掘立小屋)
礎石の上に柱を立てて建てる建造物は、
横からの力によってずれてしまう可能性があります。
何でこんな建て方をするのかと思っていました。
Wikipediaで調べて、次の説明でちょっと解決しました。
結論は、限られた建物には礎石による建て方をしていたが、
多くの建物は、この掘立式による建て方をしていたようです。
そうですよ、地震・台風の被害に襲われやすい日本には向いていない建て方だと思います。
飛鳥~奈良時代
日本で掘立柱建物がつくられ続けた理由
中国大陸や朝鮮半島では早くから礎石・土台建物が
住居建築においても普及していたにもかかわらず、
日本では移入されてのちも限られた建物にしか用いられなかった。
その理由として次の2点が指摘されている。
1.自然災害の多い気候
律令時代の寺院・宮殿・官衙などの礎石建物は
礎石上に柱を固定させずに据え置くため、
柱径を太くして瓦屋根の重みで建物全体を安定させる必要があり、
また、柱上の屋根との接点に複雑な組物をおいて
地震や台風の横力を分散させる柔構造の建築である。
それに対して掘立柱建物は柱の足元を地中に固定し、
柱上に直接桁を置き、草・板・樹皮で葺いた軽い屋根を載せる剛構造であり、
この構造は柱の太さに関係なく地震・台風にある程度耐えることができ、
建築費が安上がりで技術的にも簡略な方法による大量生産が可能である。
2.日本民族の保守性と木材資源の豊かさ
寺院などの公共的な建築には中国大陸伝来の立派で華やかな礎石建物を採用する一方、
日常生活の場である住居には大陸様式ではなく、
弥生時代以来の伝統的な生活スタイルを保つために、
伝統的で簡素な形式の掘立柱建物を採用した。
掘立柱建物の場合は災害によって倒壊しても、
上記のような利点や木材調達の面から
再建が礎石建物に比べてはるかに容易であったものと理解される。
※参考Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%98%E7%AB%8B%E6%9F%B1%E5%BB%BA%E7%89%A9
建造物配置図によると、掘立柱塀と言うのがあります。
どんな塀が想像がつきます。
一部復元されていました。
国分尼寺跡敷地の北のはずれから撮影した写真を載せます。
奈良時代以前はノコギリが発明されていませんでした。直径60-70センチで長さ15m位の掘立柱を建てるにはどのような工法を使ったのでしょうか?
また、ノコギリが無いのに掘立柱を建てた後、水平出しはどうのようにしていたのでしょうか?
掘立柱の先端部は柱を建てる前に加工していたのでしょうか?
いろいろ考えると掘立柱方式は非常に難しい工法ではなかったかと思います。
投稿: YK | 2011年7月19日 (火) 16:33
YKさん、コメントをありがとうございます。
ノコギリがなかったのですか。
そうなるとどうやって加工したのでしょう。
掘立柱は簡単そうでしたが、
そうはいかなかったのですね。
投稿: いっぱい道草 | 2011年7月20日 (水) 04:45