2011年3月29日 (火)

3月29日の本宮山/あの地震で石が落ちた?

   

今日は3月29日。

昨日(28日)、午前中の会議終了後、

年休をいただいて恒例のことをやってきました。

毎学期終了時に登っている本宮山に登ってきました。

今年6回目になるのかな。

1時間20分で頂上へ。

久々だったこともあって、きつかった!

最近読んでいる本に、自分ぐらいの年になると、

使えば鍛えられるけど、使わないと若い時より衰退しやすいと書いてありました。

将来残ってほしい機能は、日々使わないといかん。

   

それでは本宮山で出会った風景。

         

RIMG0031山桜

まだ山桜は葉も花もなし。

昨年は3月29日に登って、山桜は咲いていました。

「恒例の本宮山登山/花冷えで雪が」html 

中腹にある赤いツツジもまだ咲いていませんでした。

 RIMG0032咲いていなかった

 RIMG0033花芽のアップ

まだこんな花芽でした。

   

    

本宮山に登って確かめたかったことの一つは、

鳥居の上の落ちそうで落ちない石がどうなったか?

2月11日は落ちていませんでした。

「2月11日の本宮山」.html

昨日の鳥居の写真です。

RIMG0034鳥居    

RIMG0035まだ落ちていない 

RIMG0037石の下からアップ 

落ちそうで落ちていない石があったので、お、今回も落ちていないとホッとしていました。

ところが下山後、2月11日の写真と比べてみて、

マークしていた石が落ちていたことに気づきました。

3月11日の地震の揺れで落ちたのでしょうか。

粘っていたのに残念です。

次に登った時は、落ちた石を探したいです。     

     

 

RIMG0038梅も桜も咲いていない

ウメも、もちろんサクラも、開花していませんでした。

今年はやっぱり寒い。

でもアセビは咲いていました。

 
RIMG0039アセビは咲いていた

     

   

3月29日の頂上です。

いい天気でした。 
RIMG0042頂上

    

  

昼食のカップラーメン。

麺が太くて腰があってよかったです。

味がもっと染みているといいなあ。

 
RIMG0045今日のラーメン

   

   

お気に入りの16~15丁目の登山道。

登山道の高速道路のようないい道です。

 
RIMG0049メインストリート

    

   

下山後、こんな風景に出会いました。

 
RIMG0056菜の花と本宮山 

春ですね~。

恒例の登山がすみました。さあ、次に進もう。

三明寺と校庭のサクラ

   

今日は3月29日。

豊川市の桜ケ丘ミュージアムには、三明寺の三重塔の模型があります。

「こんなところに三明寺」html

23日に見てきました。

RIMG0012三重の塔模型 

「国指定 重要文化財 

三明寺三重塔模型 1/20

青山巳代治氏制作」

    

美しい模型です。

本物の古い味わいはありませんが、これはこれでいい。

作りをじっくり上から目線で見るのにも都合好し。

    

翌日(24日)、本物を見に行きました。

RIMG0004さんみょうじと桜 

間もなくサクラ(ソメイヨシノ)が咲いて、三重塔がさらに引き立ちそうです。


RIMG0005桜のアップ 

三重塔近くのサクラの花芽。

   

      

勤務校の校庭のサクラも気になるところです。


RIMG0023学校の桜

昨日(28日)の朝、観察に行きました。

パッと見に咲いていないように見えますが、

一輪咲いているのを見つけました。

 これです!


RIMG0024咲いていました

昨年は3月18日に1輪咲いているのを見つけています。

10日遅れです。

「ありがたい、咲いていたサクラの花/卒業式の日」.html     

しかし、ほとんどの花芽はこんな感じです。

 
RIMG0025もうじき咲くぞ 

   

ここ数年毎年サクラの花芽の観察をしていますが、

ピンクに色づく花芽は、心をワクワクさせてくれます。

本年度で引退される校長先生が、修了式で、

「4月の始業式に、きっとサクラが満開になります」

と予言されました。予言通りになりそうです。

 

東日本大震災新聞スクラップ10/3月28日

  

今日は3月29日。

大震災新聞スクラップつづき。

    

【3月28日朝日新聞朝刊】

EPSON001朝刊1 

未曾有の大災害です。

したがって、その被害も予想を上回ります。

水田に横たわる直径約10メートルのガスタンク。

この風景からして有り得ない。

被災地には危険な物質が流失していたり、放置されたりしているそうです。

解決すべきことが多すぎます。

    

EPSON002朝刊2 

    

救援物資を自転車で運ぶ高校生。

ガソリン不足で自動車で運ぶのが難しくなった。

「それなら自転車で運ぼう」

この発想、このフットワークに感動。

写真の高校生の笑顔がいい。

「何かできることをやりたい」をちゃんと実行している。

    

    

【3月28日朝日新聞夕刊】

EPSON003夕刊 
   

人って強いなあと改めて思う記事。

大震災で妊娠9カ月の妻を失った美容師さんが、

避難所で臨時美容室を開いた。

   

   

同じ夕刊に創作家の明川哲也さんがこんな文を寄せています。

   

阪神大震災の時、物資を背負って被災地に入った。

身勝手な支援だと知りつつ、小学校の同級生の家を中心に回った。

どこも崩れ落ちていて、誰にも会えず、

結局は避難所となっている小学校に物資を届けに行った。

すると被災者の方が

「あんたの方が倒れるよ」

とジュースを差し出して下さった。

あの時、たしかに人が人のことを思っていた。

この列島に住む人たちの底力を初めて知ったような気がした。

そして今もまた、東北の人たちの忍耐力や協調性が世界を驚かせている。

だが忘れてならないのは、阪神地区でもその後に見られた多くの孤独死である。

優しくもタフにもなれるが、寂しさには弱い。打ちのめされる。それが人なのだ。(後略)

     

身内が死んでいてもういないという悲しみの爆弾を、

たくさんの被災者が抱えていると思います。

それが時には破裂して、爆風が体中に広がる時もあると思います。

耐えてください。乗り切ってください。

生き続けてください。

 

       

2011年3月28日 (月)

番組で遠藤未希さんのことが紹介される

  

今日は3月28日。

昨晩の番組「池上彰の緊急報告 大震災のなぞに答える 第2弾」を見ました。

そこに宮城県南三陸町の遠藤未希さんのことが紹介されました。

私も2回ぐらい遠藤さんのことを記事に書きました。

「残したいニュース/遠藤未希さんの頑張り」.html  

「東日本大震災新聞スクラップ2/3月15日」.html  

   

テレビの写真を並べます。

RIMG0016

RIMG0017※3階建ての建物の上に自動車。

RIMG0018※佐藤仁町長

   

遠藤さんの写真も出されました。

写真で彼女が掲げているのは婚姻届。

なんと秋には結婚が予定されていました。

自然は容赦ない。

RIMG0019 
RIMG0020

      

遠藤未希さんが防災無線で避難を呼びかけた防災対策庁舎。

非常階段を使って屋上に避難する途中に、

未希さんは津波にさらわれたそうです。
 
RIMG0022
    

番組では未希さんのお母さんの言葉を紹介しています。

お母さんは今、避難所で暮らしているそうです。

   

娘の声を聞いた人が、「最後は声が震えていた」と話してくれました。

娘は怖かったと思います。

防災無線のおかげで助かった人も多くいたと思います。

それがせめてもの救いです。

      

声が震えていたんだ・・・・身につまされる話です。

この庁舎であったことは、他のニュースに詳しい。

町長生還のニュースです。

  

「生きていたのか!」。たどりついた避難所で町民に驚かれた。

庁舎が津波の直撃を受け、安否不明になっていた宮城県南三陸町の佐藤仁町長(59)が生還した。

骨組みだけになった庁舎3階の鉄骨の上で夜を明かし、避難所にたどりついたという。 (中略)

地震が起きた11日は町議会3月定例会の最終日だった。

閉会のあいさつで前々日の津波に触れ、

「引き続き災害に強いまちづくりを進めよう」と訴えている最中に、激しい揺れが襲った。

「ついに来た。宮城県沖だ」と確信。町議らとともに総合防災庁舎に移動した。

津波が見えるとの連絡を受け、3階建ての庁舎の屋上に上がった。

間もなく、津波が防潮堤を超えて押し寄せた。
 
津波は第1波で庁舎をのみ込み、全ての壁と天井を打ち抜いた。

佐藤町長の体は偶然、外の非常階段の手すりにぶつかって止まった。

第2波、第3波は鉄骨の上で無線アンテナなどにしがみついて耐えた。

「屋上には30人ほどいたが、気が付けば8人しか残っていなかった」

夜は雪の中、8人が鉄骨の上で、

流れ着いた発泡スチロールや木っ端で火を起こし、暖を取った。

12日の朝、庁舎に絡まった漁業用ロープを使って地上に下りた。(後略)

「河北新報社ニュース」.htm 

   

防災対策庁舎には30人ほどいたのです。

今は佐藤町長と遠藤さんの2人の名前が知らされています。

他にも避難のために頑張った人たちがいて、8人しか残りませんでした。(10人のこったというニュースも)

佐藤町長と遠藤さんの頑張りをたたえ、

さらにまだ名前が伝わっていない人たちの頑張りにも思いをはせたいです。

「よく頑張った!怖かったですよね」

    

本当は亡くなった人たちみんなに声をかけたい心境。
 

卒業生が探した「顔に見えるもの」

   

今日は3月28日。

本年度担任した6年生が撮った写真。

身近にあって「顔に見えるもの」がテーマ。

図工の時間にやった活動です。

    

P4230001 (2) P4230001

P4230003 (2) P4230003

P4230005P4230006 

P4230008 P4230009 
 

P4230011 (2) P4230011 

P4230012 P4230014 

P4230028 P4230054 

RIMG0011 RIMG0026  

P4230055 

 

最後の写真はコアラを連想させます。

本来縦に見ていたものを、横にして撮影。よく気がついたなあ。

「気づく」のはやっぱり楽しい。

    

「顔に見えるもの」の写真はいろいろなブログで紹介しています。

たとえば次の2つ。

※ 「顔道(かおどう)~顔にみるもの~」com/

「じっと見ているとなんとなく人間の顔に・・・」places

   



 





 



 

 

2011年3月27日 (日)

東日本大震災新聞スクラップ9/3月27日

   

今日は3月27日。

東日本大震災新聞スクラップのつづき。

  

【3月27日朝日新聞朝刊】

EPSON001朝刊1 「家族の宝を見つけた」

がれきの中での笑顔。やった。

    

    

EPSON007朝刊左本物  「海でつながっている」
EPSON005朝刊左下 EPSON003朝刊2右

「漁師たちの心意気」という言葉が出てきます。

今回の大災害では、いろいろな人の心意気に触れることができます。

すごくうれしい気持ちになります。

    

    

EPSON006天声人語 「天声人語」

「奪い合えば無くなるものも、分け合えば足り、譲り合えば余る。」

いい言葉です。

以前、たしか「奪い合えば足りず、譲り合えば余る」と書いたカレンダーを見ました。

ハッとさせられる言葉でした。

心持ちを180度変えることで結果は大きく変わります。

「分け合う」を真ん中に入れるのもいいなと思いました。

いただいたものを残さずみんな食べる(いただく)のも、相手への礼儀ですからね。

2011年3月26日 (土)

東日本大震災新聞スクラップ8/3月26日

 

今日は3月26日。

大震災新聞スクラップのつづき。

   

【3月26日朝日新聞朝刊】

EPSON014朝刊1 
とにかくありとあらゆるいろいろな面で被害あり。

日本には電波時計の送信所が2か所。

その一つが福島。現在管理できていない状況だそうです。

東日本の電波時計が正確に補正されないようです。

これはささやかな被害なんかも。

でもまだ報道されていない深刻な被害はたくさんあるはず。

    

   

     

EPSON015朝刊2 
 

アンパンマンのテーマソング。

確かにこの曲は子どもたちに元気を与えます。

どんどんこの曲を流そう。歌おう。

     

    

    

【3月26日朝日新聞夕刊】

EPSON017夕刊本物 
「安心した。(マンガの)続きが読めてよかった」と喜ぶ子どもたち。

当たり前にできていたことに喜びを感じる人たち。

生きててよかったね。    

 

 

 

パンダの歴史

  

今日は3月26日。

先日「パンダの日」にちなんで少しパンダのことを書きました。

「パンダの日」.html

今日、ほぼ2年前に放送された「世界ふしぎ発見!大熊猫 世界を変えたパンダ物語」(2009.1.31放映)を見ました。

勉強になったことを箇条書きで。

   

・パンダは800万年前からいた動物だと考えられている。

・マンモスなどが絶滅した氷河期も生きのびた。

・もともと肉食だったパンダは、氷河期でも育つ竹を食べるようになったため生きのびた。

・白黒模様も、氷河期の保護色という説が有力。

・肉食の名残りで、腸が短いので、消化が悪い。

・なので、竹を毎日20㎏も食べる。

・竹を常につかむために、指が6本ある。

RIMG0001パンダの手 
   

・固い竹を食べるためにパンダは下あごが発達。

RIMG0002頭蓋骨の比較 
  

・したがって同じ仲間の熊よりも顔が丸っこい。

RIMG0003頭部の比較 

    

・中国に生息するパンダが世界に広がったきっかけは、1869年のこと。

・フランス人宣教師がパンダの毛皮を発見したため。

(これが3月11日であって、そこから「パンダの日」が生まれました)

RIMG0004パンダの毛皮を発見 

   

・パンダの毛皮を手に入れるために、欧米からたくさんのハンターが中国に。

・20世紀になった頃には、パンダ絶滅の危機に。

・そんな事態を変えることになったのが、アメリカ人ルース・ハークネスという女性の行動。

RIMG0005ルース・ハークネス 

    

・彼女は中国の山中でパンダを探しだし、生きたままアメリカに連れて帰る。

・これは彼女の亡き夫がやろうとしたことであった。

RIMG0006ルースが発見したパンダ 

・アメリカではパンダブームが起こる。

・パンダのかわいらしさと、絶滅の危機に瀕していることが知られることに。

・パンダ狩りの熱は冷め、動物愛護の気持ちが育ってくる。

・WWF(世界自然保護基金)のマークにパンダが使われている。その理由は?

RIMG0008世界保護ロゴ
   

 

・WWF設立の1961年、ロンドン動物園にパンダの子が来ていた。

・WWF創立者の一人イギリスピーター・スコット卿が、

 パンダが愛くるしくて、自然保護のシンボルになるとしてロゴマークに選んだ。

   

・中国もパンダの保護に力を入れることに。

・1963年、パンダの生息する臥龍(四川省)を保護区に指定する。

・中国は友好のしるしとして、他の国にパンダを贈ることをする。

・日本には1972年に、カンカン、ランランが贈られて大ブームになる。

   

・中国ではパンダのことを「大熊猫」と書いて「ダーシュンマオ」と言う。

   

   

以上。肉食だったパンダが、なぜ竹を食べるようになったか疑問でしたが、

氷河期生き延び説は、なるほどと思いました。



 

日めくりより/塩の良さ/バート・ヒンクラー

   

今日は3月26日。

日めくりより。今日は2枚紹介。

EPSON005カレンダー塩たれ 
    

なるほどね。

焼肉ではないけど、今度いつもの焼き鳥屋に行ったら、この知識の踏まえて、

塩でお願いします」と言おう。

     

    

EPSON003日めくりリンドバーグ 
   

これは面白い話です。

こうなるとジョン・オルコットとアーサーブラウンについて調べたくなります。

Alcoch&brown 
http://www.moonage.info/entertainer/lovers/alcoch&brown.html

    

しかし、脱線。

ブログ「送信完了」に行きついて、

1931年に世界で2番目に「大西洋単独横断飛行」をしたバート・ヒンクラーという飛行士を知りました。

「送信完了」(2010.6.22)/p1

バート・ヒンクラーは、オーストラリア人。

彼の最大の功績は、1928年に「世界ではじめて英国~豪州間を単独横断飛行した」こと。

数々の飛行記録を打ち立てたオーストラリアの航空のパイオニア。

1933年にイタリアのトスカーナ山中で墜落事故死した際、ムッソリーニの指示でイタリアで国葬される。

当時有名で英雄であったことがうかがい知れます。

「送信完了」ではヒンクリーの遺品にまつわるお話を紹介しています。

「送信完了(201.4.15)」/p1

この記事からの引用。詳しくは上記サイトを見てください。

  

さて時は流れて1970年代。

ヒンクラーの生家を買い取っていた人が改築のためガラクタの山を片づけていたら、

なんと60年前にヒンクラーが自作したグライダーの断片が出てきた。

これを地元の飛行クラブが譲り受けてレプリカを製作するのだが、

大事なのはその後である。

1986年初頭、前年のシャトルミッションに搭乗したアメリカの宇宙飛行士ドン・リンドが、

バンダバーグを訪れて子供相手の特別授業を行った。

彼はその際、地元民から「航空史上のパイオニアのよしみとして、

これを宇宙に持っていってほしい」と、ヒンクラーのグライダーのパーツを渡される。

帰国したリンドは、シャトルミッションを間近に控えた同僚の宇宙飛行士ディック・スコビーに

このパーツを託す。

打ち上げ当日、オービターに乗り込んだスコビーは、

ビニール袋に入れたパーツを棚にしまった。

時は1986年1月28日、ミッションナンバーはSTS-51-L、

オービターの名は〈チャレンジャー〉。

打ち上げから73秒後――オービターOV-099は宇宙飛行士7名を乗せたまま、

空中分解した。世にいう、チャレンジャー爆発事故である。

残骸は大西洋上に散乱し、すべての回収には数ヶ月を要した。

そんなある日、引揚げ作業に従事していたダイバーの一人が、

波間に漂うビニール袋を見つける。

中には、無傷の小さな木片が入っていた。

    

チャレンジャー爆発については以前いろいろ調べたことがあります。

その事故とつながったこともあって、興味深い話です。

78b5e46578a7cb482c6b8940450c52e3 6901933

 

 

 

2011年3月25日 (金)

学年通信100号/三菱 ユニボール プロテック (uni-ball UB-155)

  

今日は3月25日。

もう1本投稿しようと思います。

    

本年度6年生は3クラスでした。

担任は3人。

この3人で発行した通信の数がなかなか多かった。

学級通信。1組が196号。2組が226号。3組(私のクラス)が197号。

私は毎日1号発行でした。

出席日数が196日。夏休みの出校日も出したので「197」でした。

学年通信。3人の担任がよってたかって100号。

学年通信をこれだけ発行したのは初めて。

小学校は学級担任制なので、ついつい学級中心になってしまいます。

でも、学年通信を書くことで、教師が学年について考える時間を持てます。

ぜひやってみたかった「学年通信100」・・・うれしかった。

通信を発行しまくった本年度の同僚を誇りに思います。

みんなすごいエネルギー(情熱)でした。刺激されました。

   

   

私の通信は手書きです。

字を書く時のペンは決まっています。こだわっています。

三菱 ユニボール プロテック (uni-ball  UB-155)です。

RIMG0019yuni 

 

力を入れて書いても、ボテッとすることもなく、安定してインクが出ます。

小さな字を書くときも強いです。

書いた後に濡れても、にじみません。

筆圧が強めの人向きだと思います。

    

いつから使っているのだろう。

11年ほど前に、よく行っていた文房具屋で、

このペンはもう取り扱わないよと言われました。

製造中止と聞いたような?

その時点で、このペンはよく使っていたお気に入りのペンだったので、

長いつきあいになります。

一度このペンの歴史を調べたいです。

    

あちこちの文房具屋から姿を消していきましたが、

なぜか販売し始めた店もありました。

なんやかんやで、最近は1軒だけ売っていました。

しかし、その店からも消えてしまいました。

製造中止だと思っていたのに、10年以上使えたのはラッキーですが、

このペンに変わるペンがないだけに、困りました。

    

でも、通信販売で購入できることが判明。

さっそく10本注文しました。

    

調べると、このペンの愛好家はいます。

「同好の士」に出会えたうれしさを感じました。

「カマタスエコのブログ/UB-155を探す旅に」/

 

最近の写真

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