2012年4月21日 (土)

篤姫は近衛家の養女になった

  

今日は4月21日。再スタートから8日目。

    

3月7日放映の「ザ・今夜はヒストリー」は篤姫の特集でした。

その時に、先に調べた「近衛家」が出てきました。

「藤原氏の正体」2 藤原五摂家の近衛html  

篤姫は薩摩藩島津家一門の娘として生まれました。

将軍家に嫁ぐにあたって、まず藩主島津斉彬の養女となり、

その後京都に出て、近衛家の養女になりました。

なぜか?

ヒストリーボードではこう説明されていました。

RIMG0600異例の結婚
   

前回勉強したこともあって、

ここに藤原氏が権力と関わるための策略を感じます。

   

でも今の世の中、どうなんだろう?

昭和天皇までは、藤原氏の流れをくんだ后を迎えていたそうです。

平成天皇の后は美智子妃。この方は藤原氏と系図に関係ない人です。

現在の皇太子も、奥さんは藤原氏に関係ない雅子さんです。

(そうだと思います。調べた限りでは・・)

現在の近衛家の当主は、近衛忠煇(このえ ただてる)さん。1939年生まれ。

国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長。

奥さんは元皇族。

この方のお兄さんは79代総理大臣の細川護煕さん。

息子は近衛忠大(このえ ただひろ)さん。1970年生まれ。

奥さんは元皇族。

近衛家は天皇に近い存在だとは思いますが、

権力どうのこうのとは無縁のように思います。

でも、自分には無縁の世界だからよくわかりません。

   

   

ちなみに、徳川家には五摂家から嫁ぎましたが、

室町幕府の足利家には、藤原氏の流れの日野家から嫁いでいます。

2月22日の「ザ今夜はヒストリー 応仁の乱」では、

ヒストリーボードでその様子が示されました。

RIMG0601系図

「藤原氏の正体」3 日野氏も藤原氏の流れ.html   

 

映画「恋するトマト」・・・農業再び

 

今日は4月21日。再スタートから8日目。

  

映画「恋するトマト」を見ました。

2005年公開の映画。

RIMG05761仕事を辞める RIMG05781トマトを食べている

見た後に、映画について調べてわかったことですが、

主演の大地康雄さんが、平成3年に(1991年)にフィリピンを訪れた時に、

ここで映画を撮りたいと思い、年数をかけて実現した映画でした。

そのいきさつを、次のサイトが詳しいです。

「シネマ トピックス オンライン」96

大地さんの情熱があふれ出している映画でした。

   

厳しい現実が、映画の前半で、立て続けに主人公(大地康雄/農家の長男45歳)に襲いかかります。

フィリピンに渡り、あげくに結婚詐欺に引っ掛かり、

たくさんのお金を奪われた主人公は、フィリピンで浮浪者となります。

何もかも嫌になった主人公は、日本に帰らず、農業も捨てて、

金稼ぎに没頭します。

しかし、だんだん気づいてくるのです。

フィリピンの農家の人々との交流を通して、

農業の素晴らしさに。

そして主人公は、やっぱりもう一度農業をやると決心して日本に戻ります。

  

私の人生経験で、農業をやったのは、

40日間住み込みで高原野菜のアルバイトをやっただけです。

でもあの体験はよかった。

人の元になるものを作っているのはすごい仕事なんだと思いました。

農家の人たちが一番偉いと思ったし、

その時も胸を張って仕事をしていました。

   

引退したら、農業をやりたい。この気持ちはずっとあります。

土と水と太陽にまみれて、農業をやってみたいとあらためて思った映画です。

   

 

「藤原氏の正体」3 日野氏も藤原氏の流れ

  

今日は4月21日。再スタートから8日目。

   

投稿のつづき。

藤原氏の正体」(関裕二著/新潮文庫)より。

    

平安時代以後の藤原氏について・・・・

   

貴族社会が衰弱した中世、藤原氏の末裔は、新たな支配者に忍び寄っていく。

室町の足利将軍家には、藤原北家の末裔の日野氏が女人を送り込み、

姻戚関係を結んでいく。

第三代将軍足利義満以来九代将軍まで、室を入れ、

応仁の乱で名高い日野富子は第八代将軍足利義政の室であった。

江戸時代には、徳川将軍家とも姻戚を結んだ。

三代将軍家光の夫人は鷹司信房の娘、中の丸であり、

こののちも、将軍家と藤原氏の縁組みは続いた。

だからこそ、藤原氏の末裔は幕末にいたり、

幕府と反幕府勢力双方の橋渡し役を演じ、大きな発言力を持つにいたるのである。

また、彼らが築いた日本の官僚制度は、

江戸時代末期まで京都の朝廷に生き続け、

明治維新後の近代日本にも、大きな影を落としていく。

天皇を神といただき、「天皇のために」というスローガンによって近代日本は突き進んだ。

しかし、このような一神教的な天皇の持ち上げ方は、

本来の天皇の本質とかけ離れていて、またいっぽうで、

藤原氏が得意とする「天皇の利用法」であった。308-309p)

   

明治以後、太平洋戦争までの天皇崇拝は、ちょっと異常だと思っていました。

でもその雰囲気は藤原氏系の人たちには好都合だったのでしょう。

昭和天皇の后までは藤原氏系の方だったそうです。

しかし、平成天皇の美智子妃は藤原氏に関係がない人。

このことは、慣例を破る思ったより大きな変化だったようです。   

  

いやはや、藤原氏は興味深い。

 

「藤原氏の正体」2 藤原五摂家の近衛

   

今日は4月21日。再スタートして8日目。

     

前投稿のつづき。

藤原氏の正体」(関裕二著/新潮文庫)より。

  

藤原氏は「平安時代の人たち」というイメージですが、

そうとは限らないようです。

引用します。

   

藤原氏は中臣鎌足以来、つねに日本の頂点に君臨しつづけた。

しかも、それは、一貫して、「天皇家のため」ではなく、

自家の繁栄のためだったように思えてならない。

それは、この一族の生まれつきの習性であったようにも思えるのだ。

その習性、伝統は、古代から近代、現代にいたっても、まったく変わっていないのである。

そして、藤原氏にとって、「天皇」とは、

自家の繁栄を継続するための道具にすぎなかったのではなかったか。

じっさい、現代にいたっても、藤原氏は「天皇にもっとも近い一族」という立場を利用して、

目に見えない閨閥(けいばつ)を作り上げてしまっているのである。

そこでこのあたりの事情を、現代史に焦点を移してすこし説明しよう。56-57p)

   

現代も藤原氏の影響がある?興味津々で読み進めました。 

続きはこうなっています。

   

太平洋戦争の戦前戦中、三度総理大臣の座についた近衛文麿は、

昭和天皇に政務を上奏するとき、椅子に座り、足を組んだままで、涼しい顔をしていたという。

もちろん周囲の顰蹙を買ったが、このような不謹慎が許されるのにはわけがある。

近衛氏が藤原五摂家(ごせつけ)の筆頭だったからにほかならない。57p)

   

苗字は「近衛」でも、藤原氏と関係があった。

   

五摂家は七世紀の大物政治家・藤原不比等の4人の男子、

武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂(まろ)のなかの、

房前の末裔、藤原北家(ほっけ)が5つの家に別れ(近衛、九条、二条、一条、鷹司)、

平安時代以来、明治にいたるまで、代々摂政と関白を輩出する一族として、

貴族社会の頂点に君臨してきたのである。57p)

   

鎌倉時代以後、武士の活躍で表だって見えませんでしたが、

藤原氏の勢力は、天皇の周りでちゃんと残っていたのです。 

   

いやいや、武士の中にも藤原氏の勢力は入ってきていました。(つづく)  

  

   

 

「藤原氏の正体」1 大化の改新異説

 

今日は4月21日。再スタートから8日目。

     

NHKが2月に放映した

さかのぼり日本史 平安時代 藤原氏はなぜ権力を持ち続けることができたのか」(4回シリーズ)を見たため、

最近の私のブームは「藤原氏」です。

本「藤原氏の正体」(関裕二著/新潮文庫)を読みました。

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いろいろ新しい説があったり、知りたいと思っていたことが書いてあったりと、

楽しんで読みました。

たとえば・・・・

   

大化の改新

正義:中大兄皇子、中臣鎌足

悪:蘇我蝦夷、蘇我入鹿

といったイメージがありますが、著者はこれを否定していました。   

   

なぜ蘇我氏を討ったのかというと、

蘇我氏が百済救援に消極的だったからです

中臣鎌足は百済救援をしたかったのです。

実は、鎌足は人質で日本に来ていた百済王(王子)の豊璋(ほうしょう)だったという説です。(これが大胆な説)

一度は新羅・唐の連合軍に滅ぼされた百済は、

人質になっていた豊璋をたてて国を再建しようとします。

日本の力をかりて、百済と連合軍が戦ったのが、

白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)です。

百済援助に消極的だった蘇我氏を討って、

実権が中大兄皇子にあったから、日本は出兵したというわけです。

   

藤原氏の祖である中臣鎌足は、百済出身の日本人ではなかったという説は、

それ以後の藤原氏の動きにも関係あります。

日本は孤島だったこともあって外敵の侵略がなく、お人よしの性格が形成され、

古代豪族たちは合議によって政治を進めてきました。

しかし、藤原氏は違いました。

他の有力な勢力をつぶして、藤原氏だけが繁栄することを目指しました。

これは、藤原氏が大陸から来た勢力であって、生き残るために他を陥れる性格だったからです。

   

さあ、皆さんはどう思いますか?

面白いでしょ。(つづく)

 

 

 

ブログ6年目に/ナガミヒナゲシ初見日

 

今日は4月21日。再スタートから8日目。

ブログ「ここでも道草」の誕生日。5年が過ぎて6年目に入りました。

今回が2558本目の投稿です。

いろいろありましたが、継続、というか断続しながらも続いています。

これからもよろしくお願いします。

      

   

4月19日に今年初めてナガミヒナゲシを見つけました。

またまた季節が廻ってきたことを実感しました。

下の写真は4月20日撮影です。

RIMG0701 RIMG0702

昨年は4月7日に初めて見ています。

「ナガミヒナゲシの初見日」html

昨年の投稿を見ると、2009年からの初見日が書いてありました。

こういうことが好きだなあと、自分で自分を思います。

今年も一覧表にします。

 

2009年は4月9日

2010年は4月6日

2011年は4月7日

2012年は4月19日

  

あまり外出をしない日々なので、今年は遅れたかな。

 

 

2012年4月20日 (金)

国道1号線にあふれているサクラ

  

今日は4月20日。再スタートから7日目。

     

前投稿で、4月8日に自転車でポタリングをしたと書きました。

その時に見たサクラ(桜)。

   

RIMG0590
  

国道1号線にあふれるように咲くサクラに目を奪われました。

これは近所の善住寺のというお寺のサクラです。

この寺のサクラは他にもあって、見ごたえがありました。

RIMG0593

  

境内に初めておじゃまして撮影。

RIMG0594
  

RIMG0600
   

  

この善住寺の境内でこんな石碑を発見。

RIMG0605

  

「旧小坂井東尋常高等小学校跡之碑」

え、そうなの?ここに小学校があった?

知らなかった地元の歴史と出会いました。

また調べてみたいです。

 

タイヤの日/自動車と自転車の整備

   

今日は4月20日。再スタートから7日目。

   

4月8日は「タイヤの日」でした。その日に書いたメモを手直しして投稿します。

    

「タイヤの日」を4月8日としたのは、日本自動車タイヤ協会のHPによると、

「春の全国交通安全運動の 実施月である4月を、また8は輪(タイヤ)のイメージからとったもの」

とありました。

「タイヤの日」に冬用タイヤを普通タイヤに交換しました。

この冬は、まったく冬用タイヤの活躍する時はなかったのですが、

4月はじめの降雪で役に立ちました。

これで思い残すことはないと考え、交換をしました。

オイルも交換。切れていたブレーキランプも交換。

最近、洗車WAXがけもやっており、自動車の整備は順調。

勤務復活に備えています。

   

自転車の整備も4月8日に始めました。

復帰したら、自転車通勤をどんどんしたいと思っています。

とにかくずっと乗っていなかった自転車。

申し訳ない気持ちで、磨き始めました。

今回は自動車で使っているWAXをふんだんに使いました。

フレームについた汚れが面白いように取れて、輝きが戻ってきました。

うれしくなるくらいの変化。

RIMG0578
   

さっそくポタリング。

「タイヤの日」なので、気になっていたタイヤを撮りに行きました。

  

これです。

RIMG0584
  

左から4番目のタイヤ、気になりませんか?

なんか洒落た形をしています。

今は中央に雑草が生えていますが、

あそこに花があったらいいなと思える形です。

先日自動車で信号待ちをしていて気がついたタイヤ。

気になっていました。どうなっているのだろう?

今回は自転車で行って、じっくり観察。

RIMG0583 RIMG0585
  

う~ん、おそらく自動車が中央を踏んづけて、偶然できた形なのでしょう。

偶然の造形。雑草じゃなくて、花を育てたいよ。

   

「タイヤの日」らしい日でした。
   

 

 

 

 

   

   

 

春の北アルプスの山々眺望

  

今日は4月20日。再スタートから7日目。

   

4月14日と15日に、父親と長野の安曇野に行き、

親戚の通夜・葬儀に出席してきました。

その時のこと。

   

14日は雨でしたが、15日は晴れました。

故人のおばあさんは、晴れ女だったそうで、

何かやるときには晴れることが多かったそうです。

その恩恵を受けることができました。

   

北アルプスの山々が見え始めたのです。

昨年夏に登った常念岳などを見てみたいと思いました。

火葬と葬儀の間に2時間ほど余裕があったので、

父親と見に行きました。

  

どこかいい場所はないかと探しました。

行きついたのは北アルプス展望美術館。北安曇郡池田町にあります。

ここに来ると、目の前に安曇野の広大な「平ら」と、

その向こうに北アルプスの山々を見ることができる絶好の場所でした。

短時間でいい場所を見つけることができ、ラッキーでした。

   

美術館が作った山の名前の資料です。

EPSON095EPSON094

   

私が実際に撮った写真です。

うまく撮れずに補正をいろいろ試みた写真です。

  

RIMG0662常念岳

写真の左上に顔を出している雪山が常念岳

真っ白でした。

昨年夏には、あの頂上にいたんだ。

「2011北アルプス9・・・宿泊地~常念岳」html

右の方の雪山は、左から東天井岳(ひがしてんしょだけ)、大天井岳(おてんしょうだけ)と続きます。

やっぱり夏に歩いた場所です。

  

  

RIMG0644有明山
  

中央のデ~ンとした山が有明山。安曇野の風景の中に入れると似合う山。

たくさんの絵に描かれていました。

その報告は後日。

   

   

RIMG0664餓鬼岳
  

写真中央の最も高い雪山が餓鬼岳

  

   

RIMG0661針の木岳
  

中央の最も高い雪山が蓮華岳

その左奥にあるピークが、針ノ木岳

針ノ木岳に登ったのは、2007年の夏でした。

「針の木雪渓を登りました」html

   

   

RIMG0660白馬三山
   

左のピークから、爺ケ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、白馬三山と続きます。

爺ケ岳、鹿島槍ヶ岳も2007年に登っています。

五竜岳は2008年に登っています。

「今年も北アルプスその2」html

     

   

思えば、北アルプスもいろいろ連れて行ってもらったなあ~。

この夏も行く予定。

   

最後に、常念岳を別角度から。

RIMG0669
  

豊科インター付近からの撮影です。

中央のピラミッドのような三角形の山が常念岳。

形のいい山ですね。

   

   

 

 

   

 

「豚の角煮」から生じた疑問・・・まだ調査中

  

夕食で「豚の角煮♪ゆで卵とじゃがいも入り」に挑戦しました。

http://cookpad.com/recipe/1736180

   

今までの人生で、料理の体験が絶対的に少ないため、毎回疑問だらけです。

今回の疑問は2点。

「豚ばら肉」とは何だ?

「長ねぎの青い部分」を入れて煮て、最後は出してしまう理由は?

  

解決編。

「豚ばら肉」とは何だ?

イメージは「バラバラに切った豚肉」でしたが、違いました。

ばら肉とは、肋骨(あばらぼね)の周囲の肉のことを言うのですね。

「あばら肉」の「あ」が抜けて「ばら肉」となったそうです。

「あ」が抜けるから厄介です。

実際にスーパーに行って、ちゃんと「ばら肉」を確認して買ってきました。

Img36594177
http://sun-shop.jp/products/detail.php?product_id=11&PHPSESSID=injkkvytsgeiy

辞書には「赤身と脂身が三層になっていることから、『三枚肉』と呼ばれる」と書いてありました。

文字だけではイメージできません。「赤身と脂身」で二層だよと突っ込みたくなります。

沖縄では、皮つきばら肉のことを「三枚肉」と呼ぶそうです。

皮・脂身・赤身で三枚と言うわけです。これでいいのかな?

「三枚肉」については、まだまだ調査中。よかったら誰か教えてください。

   

   

「長ねぎの青い部分」を入れて煮て、最後は出してしまう理由は?

私の最大の苦手はネギです。

うどんなどにいれるみじん切りのネギは平気で食べられますが、

幾層にも実のつまったネギは食べられません。

したがって料理にネギを入れることには神経質です。

今回の料理にそのネギが登場します。

肉を煮るときに、一緒に「長ねぎの青い部分を入れる」とありました。

やだなあと思っていたら、なんとそのねぎは、煮た後に取り出して捨ててしまいます。

なぜ?

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これは肉の臭味をとるためだとわかりました。

生姜も入れましたが、これも臭味をとるためのようです。

まだ疑問。

肉の臭味を吸収するのか、それともネギの香りで肉の臭味を覆ってしまうのか?

まだ曖昧(あいまい)。こちらも調査中。誰か情報をください。

 

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