2020年9月20日 (日)

「昭和十八年の冬 最後の箱根駅伝」/「見えないタスキ」を胸に全力疾走

   

今日は令和2年9月20日。

  

この本を読みました。

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「昭和十八年の冬 最後の箱根駅伝」

(早坂隆著/中央公論新社)

  

最近は太平洋戦争の頃に生きていた人たちが、

どんなことを思っていたのかに関心があります。

この本を選んだのも、その関心の流れに沿ったものです。

  

印象に残った文章を引用します。

  

 実は彼(専修大学・佐藤忠司)には、中学時代に箱根駅伝を沿道

で観戦した経験があった。昭和12(1937)年に行われた第18

回大会である。佐藤はこの大会を戸塚中継所で観戦し、その熱気に

思わず底知れぬ興奮を覚えたという。その時の「お目当て」の選手

は、ベルリンオリンピックに出場経験を持つ明治大学の南昇竜と、

中央大学の村社(むらこそ)講平であった。

(168p)

  

「村社講平」という名前を見て、ハッとしました。

この体験は昨年の秋にも体験していました。

ここでも道草 「吹雪く大地」②/村社講平さんのことを知る(2019年11月3日投稿)

やっぱり村社講平は、時代のヒーローだったのですね。

知識の蓄積。

  

  

 レースは法政大学、慶應義塾大学、日本大学という三校による優

勝争いとなった。熱戦はアンカー勝負に持ち込まれた。

「アンカー」とは「錨(いかり)」の意味である。この言葉は、元々

は綱引き競技で使用される用語だった。「綱を引く最後尾に最も体

重の重い選手を錨のように置く」という意味で、最後尾の選手を「

アンカー」と呼んだのである。それが陸上競技に転じ、最終走者が

「アンカー」と呼称されるようになった。

(211p)

  

豆知識の蓄積。

  

  

 なぜ、日本で駅伝が生まれ、かくも発展したのであろう。日本発

祥の駅伝という競技は、欧米社会には根付かなかった。欧米人が好

むのは、あくまでマラソンである。

 そこには「個」を重視する欧米人と、「和」を大切にする日本人

との民族性の違いがあるのではないか。個人の成功のみを求めるよ

りも、属する集団のために汗を流すことを美徳と感ずる日本人独特

の精神文化が、駅伝という競技を生み、そして育てたように思われ

る。

(221p)

   

う~ん、なるほど。

スッキリしすぎるような説ですが、でもやっぱりなるほどと思います。

  

  

中央大学の選手で、昭和18年の箱根駅伝のアンカーを務めた

平井文夫。

後に改姓して西内文夫となります。

名選手であって、名監督でもあった人でした。

中央大学監督として、箱根駅伝で8回優勝しています。

  

平井文夫は昭和18年の箱根駅伝に走り、

太平洋戦争のビルマ戦線で生き抜き、

昭和22年の復活した箱根駅伝を走りました。

戦争とその後の抑留生活のため体は恢復していなくて、

悲鳴をあげていました。

でも走り切りました。

こう思ったそうです。

  

「人生でいちばんつらいレースでした。でも、生きてまた走れる幸

せを、人に譲ることはできなかった」(「箱根駅伝を10倍おもし

ろく見る本」日本テレビ駅伝プロジェクトチーム)

(293p)

  

走り出したからにはそう思ったんでしょうね。

いい言葉です。

  

  

 ともあれ、何故「最後の箱根駅伝」の出場者の中から、このよう

に個性溢れる方々が多く輩出されたのであろう。

 それは、志半ばにして戦地に散華した先輩や同僚たちの分まで、

戦後社会を懸命に走ろうとした意志がもたらした結果ではないだろ

うか。戦没者たちから託された「見えないタスキ」を胸に、駅伝で

培われた使命感や責任感を精神的支柱として全力疾走したのが、彼

らの生き様だったのではないか。

(306p)

  

この本を読んでいて、

確かに個性あふれる人たちが多いなと思いました。

その理由をこのように説明されて、合点がいきました。

  

全力疾走の生き様はあこがれます。

退職までそうしたい。

再び仕事ができるようになった幸せを、人に譲りたくない。

自分で味わいたい。

「十二月八日 太宰治戦時著作集」/昭和16年12月8日の様子

  

今日は令和2年9月20日。

  

太宰治が入水したのは1948年(昭和23年)6月のことでした。

つまり太平洋戦争を生き抜いた人です。

太宰治のこの本を読みました。☟

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「十二月八日 太宰治戦時著作集」

(太宰治著/毎日ワンズ) 

 

8作品が収められています。

  

「十二月八日」は昭和17年2月に発表された短編です。

昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦の日、

庶民はどう思っていたのかを、

小説家の妻の立場で書かれていました。 

 

 重大なニュースが続々と発表せられている。フィリピン、グアム

空襲。ハワイ大爆撃。米国艦隊全滅す。帝国政府声明。全身が震え

て恥ずかしいほどだった。みんなに感謝したかった。

(15p) 

  

物資が不足して不安ではあったが、

「米国艦隊全滅す」の報を受けて体を震わすほど感激するような

気持ちだったんだなあ、

発表日から考えて、真実に近いと思いました。

  

  

魯迅が日本に留学していた時のことを書いた「惜別」からの引用。

 

 私がその頃、他の新入生と疎遠だったのは、そのような言葉の事

情にもよるが、また一つには、私にはやはり医専の生徒であるとい

うことの誇りがあって、烏もただ一羽枯枝にとまっているとその姿

もまんざらでなく、漆黒の翼も輝いて見事に見えるけれども、数十

羽固まって騒いでいると、ゴミのようにつまらなく見えるのと同様

に、医専の生徒も、群れをなして街を大声で笑いながら歩いている

と角帽の権威も何もあったものでなく、まことに愚かしく不潔に見

えるので、私はあくまでも高級学徒としての誇りを堅持したい心か

ら、彼らを避けていたというようなわけもあったのである、(後略)

(91~92p)

     

この表現は、なるほどと思って読みました。

読みたい本7冊/「クレシェンドで進め」他

 

今日は令和2年9月20日。

 

日々大変な日々が続きますが、

9月も下旬に差しかかっていました。

楽しいこともたいへんなことも、

いつかは終わります。

月日は否応なく流れます。

  

昨日の新聞は収穫多し。

「読みたい本」とたくさん出合いました。

いずれは図書館で借りるか、購入するためにここに書き留めます。

  

2020年9月19日朝日新聞より。

  

「クレシェンドで進め」

(宇仁田ゆみ著/白泉社)

 

書評抜粋:

(前略)多少の問題は発生するが、それを解決する高校生たちの柔

軟さと聡明さが美しい。誰もがお互いを認め合い尊重し合う。フェ

アで優しく、空気を読むのではなく気持ちを汲む。高校生にしては

人間ができすぎとも思うが、年相応にバカなところもあってホッと

する。(中略)

 驚くべきことは、クラス39人をきちんと描き分け、全員が画面

に登場する点。主要キャラだけでも十数人いるのに、それを自在に

動かす作者の技に脱帽だ。(後略)(南信長)

  

作者の技が見たくなりました。

 

  

「私の箱子(シャンズ)」

(一青妙/ひととたえ ちくま文庫)

  

書評引用:

 日本統治下の台湾で生まれ、終戦により突然「台湾人」になった

亡父・顔恵民(イエンフェイミン)の生涯を追うエッセイ。台湾と

日本、二つの祖国に揺れる家族の姿を、娘の視点から描く。著者の

妹は歌手の一青窈。(山田航)

  

日本統治下の台湾には関心あり。そして一青窈の妹の作品というの

が読みたいと思った理由ですね。

 

 

「七人の侍」ロケ地の謎を探る

(高田雅彦著/アルファベータブックス) 

 

書評抜粋:

(前略)ラストのすさまじい雨のシーンは大蔵のオープンセットで

撮影。水車小屋のあの物凄い火事のシーンは映画を超えた現実だ。

熱風でやけどを負った土屋嘉男さんは後に、「殺されると思った」

と僕に語った。助監督の堀川弘通さんは「死人が出てもいいんです

か」と黒澤さんに迫った。(横尾忠則)

  

この本を読んで、再び映画「七人の侍」を見てみたくなりました。

  

  

 

「東條英機 『独裁者』を演じた男」

(一ノ瀬俊也著/文春新書)

  

書評抜粋:

(前略)陸軍統制派を主導した永田鉄山の影響で東條が早い時期か

ら総力戦思想を学んでいたことに注目する。これからの戦争の勝敗

は飛行機や自動車の生産力に大きく左右されることを理解し、国民

の積極的な戦争協力なくして総力戦を勝ち抜けないことを深く認識

していた。(中略)

 東條は、陸軍の権益の維持拡大という組織の倫理に照らせば合理

的な軍人であった。問題は、局所的な合理性が大局的には非合理に

陥る点にある。(後略)

  

先日、永田鉄山に関する本を読みました。そうなると、次は東条英

機ですね。戦争が始まる直前、そして戦争時の勉強を進めたい。

  

   

 

「アインシュタインの戦争 相対論はいかにして国家主義に打ち克ったか」

(マシュー・スタンレー著/水谷淳訳/新潮社)

  

書評抜粋:

(前略)特にアインシュタインを英雄視することなく、科学者とし

ての姿のみならず、その私生活をも赤裸々に描いている点に驚かさ

れる。(後略)

  

いろいろ「てんこ盛り」されているそうです。

ちょっと好奇心をくすぐられました。

ただ本の値段が高い。4180円。

おそらく図書館で借りることになるでしょう。

    

  

  

「六十代と七十代 心と体の整え方」

(和田秀樹著/バジリコ株式会社)

  

50歳になった時に、和田秀樹さんの本が参考になりました。

ここでも道草 「『がまん』するから老化する」からたっぷり引用(2011年4月10日投稿)

60歳目前の今、同じように10年を過ごした和田さんの本を

参考にしたいと思いました。

 

  

 

「感染症の日本史」

(磯田道史著/文春新書)

  

「天然痘の大流行が奈良の大仏をつくった?」

「「原敬日記』が克明に綴るパンデミックと政局」

「志賀直哉が残したインフルエンザ小説」等々

読んでみたくなる内容です。

  

 

以上7冊。

気長に手に入れて読んでいきたい。

  

「読みたい本」で検索すればこの記事に行き当たるように、

タイトルに「読みたい本」を入れます。

  

2020年9月17日 (木)

映画を買ってしまった/ワンカットに挑戦

   

今日は令和2年9月17日。

  

先日はCDが届きましたが、今日はブルーレイが届きました。

なんと、映画を買ってしまいました。

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「1917 命をかけた伝令」

  

ワンカット風の映像は本当に衝撃的でした。

そこで、私も挑戦してみました。

担当の美化委員会前期の活動報告を、

テレビで放映することになり、

委員長と副委員長、書記の3人の生徒と、

動画づくりをしました。

その時に2つの手法を使いました。

 

ワンカットリバースです。

リバース動画を作るには、このアプリを使いました。

Photo App Store

なかなか使い勝手がいいです。

  

たった2分30秒ほどの動画ですが、

1時間15分ほどかけて撮影しました。

生徒たちから、作るなら納得がいくものをと希望され、

今日完成できませんでした。

明日、もう一度撮影します。

力作ができそうです。

 

たった2分30秒の動画を作るのにこんなに苦労するのに、

それが映画ですよ。

鼠は出てくるし、飛行機が墜落するし、

照明弾も打ちあがる映画をワンカット風にしてしまうなんて、

とんでもない発想です。

でも、とても楽しそう。

現に今日は楽しかった。

明日は完成させたい。 

  

   

2020年9月15日 (火)

今季の「秋味」終了/10月に聴き込む予定のアルバム

今日は令和2年9月15日。

  

今晩、今季最後の「秋味」を飲みました。

25本目です。

昨日から秋晴れを見ることができるようになりましたが、

30年目の「秋味」は終了です。

「秋味」から連想されるものは、

「夏休みの終わり」「残暑」です。

秋じゃない。

販売時期を考えてほしいなと思います。

今は8月半ばが販売スタートですが、

せめて9月にしてほしいです。

いやいや最近の9月は「夏」なので、

10月がいいと思います。

あいああ

  

  

今日、CDが届きました。

映画「1917 命をかけた伝令」

オリジナルサウンドトラックです。

943

映画を見て大好きになりました。

ここでも道草 映画「1917 命をかけた伝令」を見ました(2020年8月29日投稿)

「秋味」と同じです。好きになると止まりません。

曲も聴き込もうと思いました。

きっと授業でもこの映画を紹介すると思います。

  

  

9月になって生活のBGMは米津玄師のアルバム

「STRAY SHEEP」です。

おそらく9月はこのアルバムを聴き込みます。

10月からですね、「1917 命をかけた伝令」を聴くのは。

半月我慢。

  

 

2020年9月13日 (日)

アガサ・クリスティー作家デビューして100年

  

今日は令和2年9月13日。

  

昨日といい今日といい、道草を頑張っています。

寝る前に、もう一つ道草します。

  

2020年9月12日の朝日新聞朝刊の「天声人語」の

引用です。ここにも100年前のことがあったのです。

※参考:ここでも道草 日めくりより/100年前に「バンドエイド」は発明されました(2020年9月13日投稿)

  

 海外ミステリー史上もっとも有名な被害者がいる。1926年刊

行の『アクロイド殺し』に登場する英国人男性ロジャー・アクロイ

ド。その鮮やかなトリックは今も輝く▼東京都三鷹市住む数藤(す

どう)康雄さん(79)は大学院生のとき、その名作で使われてい

る機器に納得がいかなかった。思い切って作者であるアガサ・クリ

スティー本人に手紙で問い合わせる。まさかの返信が届いたのは1

か月後、文通が始まった▼6年後、会社員になった数藤さんに作家

から招待状が届く。キツネにつままれたような気分で英国へ。別荘

で会った第一印象は小柄なおばあちゃん。「お茶や夕食をいただき

ながら、無我夢中で話した。夢の2日間でした」▼ピンと立った口

ひげの名探偵ポアロをひっさげ、クリスティーが作家デビューして

今年で100年。『そして誰もいなくなった』『オリエント急行の

殺人』など多彩な作品は世界各国で読みつがれ、いまも色あせない

▼自伝を読むと、自由奔放な生き方にも引き込まれる。将校と駆け

落ち同然で結婚するが、失踪事件を起こす。再婚相手は旅先で出会

った14歳下の考古学者。「後戻りはできない、人生は一方通行な

のなのだから」。作中の台詞(セリフ)はミステリーの女王の思い

がにじむ▼何を隠そう、当方も小学生のころ、ポアロの名推理に夢

中になって以来のファンである。誰がアクロイドを殺したのか、再

びページを開きたくなってきた。結末を知っているのに、至高のト

リックにもう一度酔いしれたくて。

  

私は「アクロイド殺し」は読んでいないので、読みたくなりました。

図書館に予約。このような記事が出た日なので、

予約している人が多いかなと思ったら、私が1人でした。

  

そうそう、先日見た「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」で、

小松左京の「復活の日」のことをやっていました。

思い出深い本です。

「復活の日」も図書館で予約しました。

こちらも他の予約なし。

ニューカレドニアの「ラグーン」「バリアリーフ」

    

今日は令和2年9月13日。

   

今年の3月1日放映の「世界遺産 天国に一番近い島

ニューカレドニアのラグーン フランス」を見ました。

  

「ラグーン」とは何だったけ?

一緒に出てきた「バリアリーフ」とは?

そんな疑問を持って見始めたら、番組途中で説明してくれました。

  

番組の写真です。

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沖合にでき始めたのが、サンゴ礁であり、

陸地とサンゴ礁の間には、少し堆積物ができています。

このように陸地にそって、間隔をあけてできたサンゴ礁を

バリアリーフ(堡礁)と言います。

気候変動で海水面が上がった場合です。☟

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サンゴ礁(バリアリーフ)は上へ上へと成長します。

陸地との間の堆積物を積もります。

この部分をラグーン(礁湖)と言います。

  

なるほどです。

   

サンゴ礁です。

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上空からの撮影。

左手が外洋。サンゴ礁(バリアリーフ)に当たって、

白波を立てています。☟

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今度は右手が外洋。☟

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左手が外洋。ラグーンが広がります。

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この地形。

グーグルアースで迫りたい。まずはここ。☟

グーグルアース ニューカレドニア

  

  

これらの映像を使って、明日の授業を行う予定です。

明日から地理の勉強。

 

  

日めくりより/100年前に「バンドエイド」は発明されました

    

今日は令和2年9月13日。

  

最近は100年ほど前のことが気になります。

スペイン風邪に注目したのがきかっけでしょうか?

※参考:ここでも道草 「ETV特集 緊急会談 パンデミックが変える社会 歴史から何を学ぶか」から学んだこと(2020年4月11日投稿)

第一次世界大戦が終わったのもほぼ100年前。

 

これも100年前のこと。☟

 

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

  

「バンドエイド」の誕生秘話とは?

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この日めくりを見て、これを機会に会社名を調べようと思いました。

ジョンソン・エンド・ジョンソンの「ジョンソン」って誰?

と思っていたからです。

 

調べました。

有名企業の社名の由来

☝ ここから引用します。

 

ジョンソン・エンド・ジョンソン

バンドエイドで有名な、アメリカ生まれの医療品メーカーです。

1861年、創業者ロバート・ウッド・ジョンソンは

ジョージ・シーベリーと「シーベリー&ジョンソン」

を開業しました。二人の折り合いは悪く、1886年、

ジョンソンは独立して弟二人と共に新会社

「ジョンソン・アンド・ジョンソン」を設立しました。

   

ジョンソン2人ではなくて、兄弟3人だったのですね。

 

「バンドエイド」については、ジョンソン・エンド・ジョンソンの

HPにもう少し詳しく書いてありました。

  

ジョンソン・エンド・ジョンソンHP 100年史

100年史の第18話が「バンドエイド」のことでした。

  

これまた引用します。

   

1920年、ジョンソン・エンド・ジョンソンの有名な製品

「バンドエイド」® が誕生したのは、まったくの偶然だった。

購買部でバイヤーをしていた28才のアール・ディクソン

という社員は、新妻のジョセフィーヌがたいへんそそっかしく、

料理をするたびにケガをすることに常々心を痛めていた。

愛妻家のディクソンはそのたびに傷の手当てをしていたが、

傷は絶えなかった。

そこで彼は、妻がひとりでも手当てができるような

絆創膏を考えついた。

それは、医療用テープの中央にガーゼを付け、

片手でもすぐに手当てができるというものだった。

彼がこの発明を同僚に話すと、ぜひ上司に話すよう薦められた。

 

「職場の仲間たちはこのコンセプトがとても気に入ったようだった」

とディクソンは回想している。

1921年に初めて製品化された「バンドエイド」® は幅9センチ、

長さ54センチの必要に応じて切って使うものだった。

初年度の売り上げは3,000ドルだったが、

営業担当ははさみを持って診療所や薬局を回り、

絆創膏を切りながらその便利さを実演して歩いた。

その後、機械で今のような形態の「バンドエイド」®

百万枚単位で製造されるようになった。

「バンドエイド」® は創業以来、

最も大きい売り上げをあげる製品になった。

ディクソンはそのアイデアで副社長になり、

ジョセフィーヌの不器用さは後々まで語り継がれることになった。

   

日めくりでは、紡績工場で働いていたとされている

ディクソンさんですが、HPによると、

ジョンソン・エンド・ジョンソンの社員だったようです。

この食い違いはなぜだろう?

  

  

100年前のこと。

生き証人がほぼいなくなっている時代のこと。

気になります。

   

2020年9月12日 (土)

「あの日僕らは戦場で~少年兵の告白~」教えながら自分も学ぶ

  

今日は令和2年9月12日。

  

前記事の続きで、

「NHKスペシャル アニメドキュメント あの日僕らは戦場で

~少年兵の告白~」(2015年8月11日放映)より。

   

護郷隊が実際に戦場で戦ったシーン。☟

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これらの映像を生徒に見せました。

  

授業は終えましたが、護郷隊についてはまだ勉強ができます。

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☝ これはドキュメンタリー映画です。

これを見てみたい。

9月25日から発売開始。

予約注文しました。

この映画を監督した方が書いた本です。☟

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新書で752pの本。

分厚そう。

この本も手に入れたい。

いつも利用している図書館には置いてなかった。

買うか?

 

 

教えながら自分も学ぶ。

学びながら教える。

これが道草精神かな?

「あの日僕らは戦場で~少年兵の告白~」5年経ってやっと見ました

   

今日は令和2年9月12日。

  

最近は戦争を勉強する時に、

戦争が始まる前のことと、

戦争が始まってからのことに分ける視点をもつようになりました。

戦争が始まる前、なぜ戦争に至ってしまったのかを、

もっと知りたいと思っています。

そして戦争が始まってしまえば、

平和な時には考えられないような悲惨なことがあったかを

今までもだいぶ知ってきたつもりですが、

まだまだあったはずと思って学んでいきたいです。

  

 

今週は社会科の授業で太平洋戦争を教えました。

戦争に至ってしまった状況を教えたかったけど、

授業にできませんでした。

戦争が始まって起こった惨劇の一つを、

授業では紹介しました。

  

5年前に録画した番組を利用しました。

「NHKスペシャル アニメドキュメント あの日僕らは戦場で

~少年兵の告白~」(2015年8月11日放映)

  

5年前に録画して、今回の授業に使えるかもと思って、

やっと見ることがしました。

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太平洋戦争の沖縄戦では、14~17歳の沖縄の少年兵が、

ゲリラ戦でアメリカ兵と戦いました。

およそ1000人ほどいたそうです。

部隊の名前は「護郷隊(ごきょうたい)」

   

 

うっすら知っていた護郷隊。

この番組で認知して、教えることにしました。

護郷隊の映像は残っていないため、

生き証人の証言をもとに、アニメで再現されました。

印象的なシーンの写真を載せていきます。

  

 

国家のためなら命も惜しまない教育が行われました。☟

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「10人殺したら死んでもいい」と囁く教官 ☝

  

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兵士になるには、17歳以上という制約があったのですが、

アメリカ軍が沖縄に上陸することが必至となった時、

沖縄だけ他に先駆けて、17歳以下でも兵士になれると

軍令によって変更されたのです。

 

1945年4月1日にアメリカ軍は上陸します。☟

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アメリカ軍は2手に分かれ、攻撃を進めます。

細長い沖縄島は逃げ道のない過酷な戦場となっていきました。

 

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北進したアメリカ軍は5万人。

日本兵は3千5百人。

そのうち1000人が護郷隊。

2つの山に潜伏しました。

 

 つづく

  

  

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