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2019年11月 3日 (日)

「吹雪く大地」②/村社講平さんのことを知る

  

今日は令和元年11月3日。

  

前投稿に引き続き、「吹雪く大地 ~新十津川物語7~

(川村たかし著/偕成社)より引用。

  

年がかわってしばらくすると、北海道から手紙がとどいた。

フキの手紙はおもしろかった。

いつも家族できいた。読み役はトヨに決まっている。

ーーーー新年おめでとうございます。内路(ないろ)の

光一たちもなかよくやっている由(よし)、なによりです。

ことし昭和15年は、ほんとうなら東京オリンピックが

ひらかれるはずだったのに、戦争でわやくちゃになりました。

ところが陸上競技に出るつもりだったあいだけは、

まだあきらめきれずに、毎朝学校へ走って出かけます。

今朝男もいっしょに走ります。ぎりぎりに家を出るのは、

練習のつもりでしょう。そこで婆ンちゃは

”フレーフレー村社(むらこそ)” ”前畑がんばれ”と応援してやります。

 

村社講平も前畑秀子も、4年前のベルリンオリンピックで

活躍した選手である。中継放送をきいて、日本じゅうが熱狂した。

(173p) 

  

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で、

昭和15年の東京オリンピック返上が扱われたのは

10月でした。

時代が重なりました。

「戦争でわやくちゃ」というイメージだったのでしょう。

  

そして村社講平の名前は、ブログでかつて登場した名前です。

ここでも道草 山下勝選手のドラマを見ました(2014年8月2日投稿)

山下勝選手中心の記事でしたが、

山下勝のライバルが村社講平でした。

いい機会なので、村社講平について調べました。

Wikipediaには次のように書いてありました。

  

中央大学在学中の1936年ベルリンオリンピックに

日本代表として出場。5000m・10000mでともに

スタートからフィンランドの3選手とせり合い観衆を沸かせ、

4位入賞を果たす。10000mのレースはレニ・リーフェンシュタールの

「民族の祭典」に収録された。

そのベルリンの村社の力走に感銘したチェコスロバキアの少年が、

後の人間機関車ことエミール・ザトペックであった。

(中略)

第二次世界大戦後、軍から復員した後は毎日新聞の運動部記者になり、

スポーツ取材をする傍ら毎日マラソン(現在のびわ湖毎日マラソン)、

全国高等学校駅伝競走大会、全日本実業団対抗陸上競技大会等の創設に携わった。  

 

  

これから3月に行われるびわ湖毎日マラソンを見ると、

村社講平さんが思い浮かぶことになりそうです。

ザトペックがみた「民族の祭典」の映像を見てみたいですね。

確か家にあったぞ。

なぜかレーザーディスクだったはず。

なぜレーザーディスクだったのかは不明。

再生できないのに手に入れていました?

きっと天井裏にあるはず。

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