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2026年3月

2026年3月31日 (火)

ヒロヘリアオイラガの相撲取りの「ハッキョヨイ!」姿勢

    

今日は令和8年3月31日。

  

3月27日のこの記事の続きです。

ここでも道草 本家のイラガの繭/ヒロヘリアオイラガの繭作り(2026年3月27日投稿)

繭を作ったヒロヘリアオイラガ。

その後、どうなったか。

そのことを書きます。

  

ヒロヘリアオイラガの成虫は「相撲取り」のように見える

と、聞いたことがあります。

繭から成虫が出てきたら、その点も調べたいと思っていました。

昨年7月中旬に繭を作ったヒロヘリアオイラガの幼虫。

成虫になって出てきたのは、8月に入ってすぐでした。

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昨年8月1日の撮影です。

まん丸の黒い眼が目立ちます。

  

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足の太さがよくわかりました。

この四つん這いに、6つ足があるので、

六つん這いかな。

この構えが相撲取りなのでしょう。

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この写真なんかが、相撲取りっぽいなあと思いました。

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ずっとこの姿勢を撮ることを目指していて、やっと撮れました。

「ハッキョヨイ」の姿勢です。

  

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緑の毛並みの良さも目を惹きました。

ただ、生まれてきたヒロヘリアオイラガの成虫は

可哀想ですが、観察後に駆除しました。

あのオコゼの被害を減らすためです。

許してね。

  







  

2026年3月30日 (月)

丸山散歩/3月23日〜28日/冬芽が花芽・葉芽になってきた

    

今日は令和8年3月30日。

  

前記事の続きで丸山の様子を記録します。

今回は3月23日以後です。

  

3月23日撮影

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何回も書くけど、不思議な山です。

全山サクラの木が覆い、完全ではありませんが、

螺旋状の道が山はだにあるのが見られます。

校区であるのに、今年になるまで気にとまりませんでした。

  

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豊川市役所の文化財係の方は、古墳としては

斜面が急だから、現在のところ古墳として見ていないとのこと。

写真の急斜面。

子どもに「こんなの登れんよね」と言うと、

子どもは「登れるよ」と言って登る子が多かったです。

写真の男の子も登った子ども。

子どもの冒険心はどんどんくすぐりたいです。

  

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少しふっくらしてきた感じ。

花芽と葉芽が区別がつくようになってきました。

  

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他のソメイヨシノの開花は近いです。

  

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まだサクラの木に葉っぱがないので、見通しがいいんだろうな。

   

この日に登ったYくんは、丸山近所の子ども。

何度も登ったことがあるそうです。

その子のお父さんが言うには、丸山には鹿が住んでいるとのこと。

鹿のすみかの穴があると言うので、2人で探しました。

発見できず。

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丸山でよく見かける動物の糞。

Yくんが言うには、これは鹿の糞だそうです。

  

この日は、丸山登山だけではすみませんでした。

  

近所のYさんの家にお邪魔して、

Y君にとって叔母さんに当たる方の育てる庭の花を見さしてもらいました。

実は以前に写真を載せたハナモモは、

Yくんの家のハナモモでした。

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叔母さんは花好き。

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「もう1本、ハナモモがあるよ」と教えてくれました。

こちらはまだ開花していませんでした。

赤白が混ざったハナモモでした。

  

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これはシャクヤク(芍薬)。

早い。もう咲くんだっけ?

調べたら5月〜6月とありました。

今年はいろいろなものが早く咲く。
   

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植えたばかりのトサミズキ。

ヒュウガミズキというよく似た品種があります。

同じ時期に黄色の花を咲かせますが、

花穂が長いのがトサミズキ、短いのがヒュウガミズキ。

近所でヒュウガミズキと教えてもらって撮影したもの。

昨年4月の撮影です。

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う〜ん、区別が難しい。

  

3月25日撮影。

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地面が緑色になってきたと感じました。

  

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サクラの冬芽に緑色が加わりました。

変化が加速中。

  

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今まではスイセンの花は丸山で何度も見ていて、

この葉っぱもスイセンだと思っていたら、

スノーフレークでした。

スノーフレークの別名は「スズランスイセン」

花がスズランに、葉っぱは水栓に似ていることから

この名前がついたそうです。見事にだまされました。

  

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なんとなくサクラの枝の冬芽が膨らんできたためか、

木の密度がほんの少し濃くなった気がします。いかがですか。

  

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つくしも増えました。

これだけの密集は嬉しくなります。

  

3月28日撮影。

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授業で丸山に登った3月13日には、すでにスイセンは目立って

咲いていました。

黄色の花もあり、黄色の八重咲もありました。

私にとっては注目度が低く、写真撮影は今回が初めてかな。

  

そのスイセンノ近くにあったのがハナニラ。

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花びらが水滴に覆われて素敵だったので、接眼レンズで撮影。

悔しいけどピンボケ。

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ソメイヨシノがいよいよ咲き始めました。

まだまだ少しですが、なんとなく木々がピンク色をまとい始めました。

  

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さて頂上の観察してる冬芽は?

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丸っこいのが花芽。とがったのが葉芽(はめ)。

もう冬芽と呼ばずに、花芽とか葉芽がいいですね。

  

次は4月1日に見に行きます。

楽しみです。今年の春は、昨年は見過ごしていた春の丸山を

じっくり観察したいです。

  

丸山でキジ(雉)のメス見かけました。

そのことも記事にしたい。

また明日ですね。  


















  

  

2026年3月28日 (土)

丸山散歩/3月13日〜18日/頂上の冬芽は固い

   

今日は令和8年3月28日。

  

今日の午前中に丸山に行ってきました。

丸山に関する記事は次の記事が最後。

ここでも道草 丸山散歩/サンシュユ、モモ?、ツクシ(2026年3月17日投稿)

この続きで、丸山のことを書いていきたいです。

  

令和7年度の通級指導学級の最後の授業は、

学校から700m歩いて丸山へ。

標高60mを登って、また700mを歩いて帰るもの。

3月13日(金)〜3月23日(月)で、

教えている子ども14人と登り、さらによその学校の

S君とも登り、15往復。

なかなかいい運動になりました。

3月13日撮影。

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丸山までの道中に生えていたホトケノザ。

しかし、よく見たら右手はヒメオドリコソウでした。

以前、春になるとホトケノザが目につくと書きましたが、

ヒメオドリコソウも負けずに、よく生えてきます。

ここは同居していた場所です。

春です。やっぱり3月は春です。

  

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丸山頂上のサクラの木。

ここに色ひもをつけて、その冬芽を観察中。

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まだ冬芽は固い。

山肌に植っている木の方が、冬芽が緩んできているように見えます。

完封を最も受けてきたサクラの木でしょうか。

  

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すでに3〜4本のサクラが咲いています。

「なんとかヒガン」という早咲きのサクラだと考えています。

これらのサクラは20年ほど前に植えたそうです。

その植えた人たちに話を聞いてみたいです。

丸山のこと、もっと知りたい。

  

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順番があっちこっちしますが、頂上にあるサクラの木の根元。

まだ緑が少ない。

根元の左にある石の状態を覚えておいてください。

今日、この石の配置が変わっていました。

  

  

3月16日撮影。

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う〜ん、まだ変化がないような。  

  

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標高60mほど上がれば、これだけ遠くまで見えます。

  

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山の麓にはお墓があります。  

お墓参りの方たちに会うことがあります。

もちろん元気よくあいさつします。

登山のマナーです。

1年の女の子と一緒だった時には、

「お孫さんかね」と言われました。

まあ、そう見えるでしょうね。

  

3月17日撮影。  

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まだ変化が見られません。

  

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こんな場所が、サクラが満開になったらきれいだろうなと

想像しました。まだ地面の緑が少ない。

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とっても華やかな木でした。

後日、この花の種類を持ち主に教えてもらいました。

ハナモモでした。

  

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やっぱり面白い山容でしょ。

  

3月18日撮影。

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「あ、ミノムシ!」

1年の女の子が発見。

今年度、本物のミノムシを飼育・観察したから、その成果かな。

よくぞ見つけた!と褒めました。

  

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まだ変化なし。と思う。

  

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他のサクラの冬芽はほころんでいました。

  

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キチョウ(写真)、アゲハチョウ、バッタ、シマヘビを目撃。

キチョウはなぜこんなに早く飛んでいるのか。

越冬はどうしているのか。

調べたら、なんと成虫越冬でした。

どこかでじっと寒さをしのぎ、今、こうやって飛び回っているのでしょう。

アゲハは?

蛹でした。蛹が一番いい方法だと思いますが、どうなんでしょう。

  

   

次は3月23日の写真を載せようと思いましたが、

もう就寝時間。寝ます。



  

2026年3月27日 (金)

通算10200本目の投稿/本家のイラガの繭/ヒロヘリアオイラガの繭作り

   

今日は令和8年3月27日。

  

通算10200本目の投稿。

10100本目は昨年の12月25日でした。

3ヶ月で100本。私には遅い!

だから書きたいことがこんなにたまるんだろうな。

次の100本は頑張ろう!

  

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3月16日に勤務校の用務員さんが、

「こんなのがあったよ」と言って私にプレゼントしてくれた

この繭。

これは珍しい。最近はもぬけの殻になった繭しか見ていませんでした。

本家のイラガの繭です。

最近はヒロヘリアオイラガばかりが私の目の前に現れ、

本家のイラガはお目にかかっていませんでした。

今は巣箱に入れて通級指導教室に置いてあります。

内側から眉を切断して、成虫が出てくるのが楽しみです。

  

イラガ関連で載せておきたい動画2本です。

この記事の続きの活動です。

ここでも道草 オコゼの飼育スタート(2025年7月14日投稿)

教室でヒロヘリアオイラガの幼虫(オコゼ)を

飼っていましたが、次々に繭になり始めました。

繭を作るところを見たいと思ったけど、

いつも見逃していて、いつの間にか繭が出来上がっていました。

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黄色の矢印がヒロヘリアオイラガの繭です。

ただよく見たら、左の枝の繭はまだ作っている最中でした。

録画しました。

その動画です。


YouTube: 2025年7月15日 ヒロヘリアオイラガの幼虫が繭を作っていました

透けて見える幼虫にドキドキしました。

    

まだ繭になっていない幼虫(オコゼ)の動画も作ってみました。

同じ7月15日撮影です。


YouTube: 2025年7月15日 飼育していたヒロヘリアオイラガの幼虫(オコゼ)の動き

  

これらの繭やオコゼがどうなったのかも

まだ記事にしていなかったですね。

それも家事にしたいです。

2026年3月26日 (木)

交差点「五条別れ」の写真から勉強したこと

    

今日は令和8年3月26日。

  

前記事に引き続き、昨年9月6日に撮影した写真を使って

記事を書きます。

  

キミヤーズ塾に向かうために名神高速道路の京都東ICから出て、

一般道を走り出してすぐに撮影したもの。

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交差点の名前「五条別れ」が面白いなと思い、

赤信号で止まったので撮影しました。

「別れ」が珍しいと思いました。

  

この交差点の位置を地図で確認します。

地図のベースはGoogleアースです。

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昔は琵琶湖疏水について調査した頃があったので、

縁があります。したがって地図中にもうちこみました。

キミヤーズ塾に来るたびに、少しずつ調べた覚えがあります。

  

京都に限らず西日本では地名にルールがあって、

分岐のことを「別れ」と言うそうです。

「◯◯別れ」とあった場合は、本道から分岐した道の

行き先の地名が入るそうです。

したがって「五条別れ」は五条に向かうことになります。

参考:yahoo!知恵袋 五条別れという地名の由来

  

上の地図に書き込みましたが、交差点の北に

五条別れ道標があるそうです。

この道標のおかげで、交差点の名前が「五条別れ」になったと

考えます。

Yahoo news. 【京都市】山科区 (旧)東海道にある『五条別れ道標』は大切な道しるべ…

ここから道標の写真を転載します。

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この道標に書かれた文字をGeminiに読んでもらいました。

右ハ三条通 (右は三条通り)

※「条」は旧字体(異体字)で彫られています。

左ハ五条橋 (左は五条橋)

また、「左ハ五条橋」の左側には、さらにその先の目的地を示す

文字が少し小さく2行で刻まれています。

1行目:ひがしにし六条 大佛

2行目:今ぐ満きよ水 道 (※「満」は「ま」の変体仮名です)

現代の言葉で表すと、「右へ行けば三条通り、左へ行けば五条橋。

その先は東西の六条(東本願寺・西本願寺)、方広寺の大仏、

今熊野、清水寺へ続く道」という意味になります。

 

「大佛」は「方広寺大仏」、

「今ぐ満(ま)」が「今熊野」、  

「きよ水」は「清水寺」

ということですね。

  

上の写真では道標の2面しか見えていませんが、

他の面にこの道標を作った人物の名前が書いてあるそうです。

その人物についてGeminiが教えてくれました。

 

この「五条別れ道標」は、江戸時代中期の宝永4年(1707年)に、

沢村道範という人物によって建立されました。

• 人物像: 山科の四ノ宮(しのみや)周辺の住人であったと伝え

られています。

• 建立の目的: 当時の旅人が道に迷わないよう、自らの私財を投

じて道標を建てた篤志家です。道標の下の方をよく見ると「願主

沢村道範」という名前が刻まれています。

• その他の功績: 五条別れ道標だけでなく、山科六地蔵の近くに

ある「伏見六ぢざう」への案内など、山科周辺の要所にいくつも

の道標を建てたことで知られています。

  

このような人がいたんですね。

Geminiは道標の下の方に刻まれているとありますが、

見つかりません。

文化学部井上ゼミのページ 五条別れ道標

ここに載っていた写真を転載。

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下ではなく、他の面でした。Geminiも間違えます。

  

ここが本当に分岐だったのかが興味ありです。

現在の地図ではよくわかりません。

そこでこのサイトを参考にしました。

今昔マップon the web. 埼玉大学教育学部

現代の地図と昔(1892〜1910年)と

2枚の地図で比較できる便利なサイトです。

関連地図をスクリーンショットで撮影して載せます。

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旧東海道を東から来たら、この道標で左に分岐するのですが、

私の予想は赤字で示したルートです。

確かに道標のある部分で分岐すると、京都の南の方に用事の

ある人たちにとっては都合がいいなと思います。

左の地図は明治時代の地図ですが、

江戸時代から大きくは変わっていないと思って参考にしました。

そして明治時代にあった道は、現代も残っていることがわかります。

道標から左に道をとって、清水寺まで歩いたら面白そうです。


   

ちなみに「今昔マップon the web」を見るといいよと

勧めてくれたのはGeminiです。

 

キミヤーズ塾での教え/生活では活かせれないけど教養として身につく

  

今日は令和8年3月26日。

    

毎年2回キミヤーズ塾が京都で行われます。

最近では3月7日にありましたが、その日は遠来のお客さんと

飲食することが先約で入っていたため、キャンセルしました。

今回行けば16回目でした。

5回ごとにもらえる無料券によって、参加費は0円でした。

次は今年の晩夏にあるので、参加したいですね。

  

15回目に参加したのは、昨年の9月6日でした。

その時に特に印象に残った村上公也先生の言葉を

ブログ上に残しておきたいです。

  

村上先生は、すでにだいぶ前に退職していますが、

その後も支援学級で担任した子どもたちを、

家に招いて今でも授業を行っています。

いちごママ塾という名前です。

その子たちも成長して、社会人になって頑張っています。

最近のキミヤーズ塾では、その子たちが参加して、

活躍しています。

とても読むことができない難読漢字をスラスラ読み、

指数関数など難しい数学の問題も解いて見せてくれます。

その時に村上先生が言いました。

   

  

支援学級の子どもたちにも、順を追ってひとつずつやったら、

ここまでになる。やればできる子たちに教えないのは

教える側がダメだということを証明したかった。

生活として活かせれんけど、教養として身についている。

  

  

支援学級の子どもたちに教えることは、社会に出て困らないようにと、

つい実践的な内容になりがちです。

でもそれって、本当の勉強の面白さを伝えていないと思うのです。

こちらが教えても無理と思わずに、

少しずつ教えていくことで、積み重なって、

子どもたちはすごい力を持ちます。

それをキミヤーズ塾では、目の前で見せてくれます。

でもふと疑問に思っていたんです。

難読漢字がいくら読めても、難しい計算ができても、

生活には役立つことが少ないよなあと。

そんな私の疑問を、村上先生は見抜いたかのように、

今回の言葉を発したのです。急いでメモをしました。

私のやっている通級指導学級でも、この考え方で授業内容を決めています。

「できる」ように教えたいけど、

そればっかりにならないように心がけています。

    

昨年9月6日のキミヤーズ会場での写真を載せます。

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隣に座った男性。

その方と話していたら、「もしかして腕時計が同じでは」と

言ってきました。確かに!CASIOのG-SHOCKで色も全て同じ。

これは面白いと思って、写真を撮らせてもらいました。

手前が私です。

私の時計は、なぜか進みやすいので、私の方が時刻が早いです。

彼の時計の時刻がきっと正確です。

   

  

昨年9月6日。京都市内で撮った写真です。

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「五条別れ」

この交差点の名前が気になりました。

そしていろいろ調べました。

内容が濃かったです。

そこで次の記事に書きます。

設楽町の巨木:イロハモミジ/山伏塚の大杉

    

今日は令和8年3月26日。

    

前記事に引き続き、昨年の8月31日に見た

設楽町での巨木の記録を書きます。

  

設楽町観光ナビ したらの巨木特集 したらの巨木に逢いに行こう!!

このサイトで地図を見ることができます。

設楽町のどこに行けば巨木が見られるかわかります。

今回は3本見たので、その部分の地図を切り取って転載します。

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前記事ではアカガシを記事にしました。

今回は「イロハモミジ」と「大杉」です。

  

「イロハモミジ」

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案内柱に書いてある文章を書き出します。

イロハモミジ

私たちには大変なじみのあるカエデとして知られ、葉の裂片が5〜

7個で「いろはにほへと」と7つに数えられることから、名が付い

たと言われている。県内でも指折りの巨木である。

  

青紅葉もいいけど、やはり紅葉も見てみたい木です。

ここも人工林に囲まれて、知る人ぞ知る状態になっていました。

すぐ近くの道からでも見ることはできません。

  

  

次は「山伏塚の大杉」

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ここから入っていきます。

ここも樹林に囲まれていて、外からはわからない。

どんな巨木があるのかワクワクするのはいいかな。

  

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説明文をここに書き写します。

  

山伏塚の大杉といわれ、逞しく荒々しさを感じさせる。

この木は自然に生えたようで、根元から二本に分かれ

上部は六本の樹幹となっている。

  

根元から2本に分かれているので、幹周りも2つあります。

  

幹周り: 4.65m

   : 6.64m

  

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設楽町が出しているパンフレットには、モデルさんの入った写真が

ありました。この大杉の写真を転載します。

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今回の3本の巨木は、どれも予想を上回る大きさでした。

  

巨木観察も楽しいなと思いました。

設楽町の巨木:豊邦のアカガシ/クラガシ(暗樫)と呼ばれていた

    

今日は令和8年3月26日。

   

春休み。ブログの投稿を増やしたいですね。

  

昨年撮影した写真を記事にします。

昨年8月31日に設楽町にある巨木を見てまわりました。

ここに記録として残します。

  

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「豊邦(とよくに)のアカガシ」

植林されたヒノキに囲まれて、

なかなか全体像を写しにくい場所でした。

でもよくぞこんな植林された場所で、この木が残されたなとも

思いました。

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これは次世代の幼木かな。

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ここが主幹。ここから何本かの幹が四方に伸びています。

キラッと奥三河観光ナビ 豊邦のアカガシ

このサイトからの転載です。

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「全体は雄たけびをあげているような姿」とあります。

なるほどの表現です。

悲鳴のようにも思います。

これも折れた幹のようです。

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案内板の文章を引用します。

幹周り一一・六〇m、根回り一〇・五m、樹高約一八・〇m。日本で

も指折りの大きさ。文化一二年(一八一五)の村絵図に「クラガシ」

と記載されている。

  

「赤樫」ではなく「クラガシ」なんだ。

その村絵地図が見たいですね。

  

「クラガシ」の名前についてGeminiに聞いてみました。

  

結論から言うと、「クラガシ」は漢字で「暗樫(くらがし)」と書き、

この巨木の下が昼間でも暗くなるほど葉が鬱蒼(うっそう)と茂って

いたからだと言われています。

詳しく解説しますね。

🌳 なぜ「暗樫(クラガシ)」と呼ばれたのか?

巨大な樹冠による日陰: 画像の案内板があるのは、愛知県設楽町にあ

る「豊邦のアカガシ」という木です。アカガシは常緑広葉樹で、革質

で厚みのある葉が密に茂る特徴があります。 この木は日本でもトップ

クラスの巨木(枝が四方に約15メートルも広がる)であるため、日光

を大きく遮り、木の下に広い「暗がり」を作っていました。

地元の愛称が定着: その圧倒的な暗さや存在感から、地元の人々の間

でいつしか単なる「アカガシ」ではなく「暗い樫=暗樫(クラガシ)」

と呼ばれるようになりました。

歴史的資料への記載: その呼び名が地元で完全に定着していたため、

案内板にある通り、1815年(文化12年)の村の絵図にも、まるで正

式名称のように「クラガシ」として記録されています。

つまり、生物学的な品種名ではなく、「強烈な日陰を作るほどの巨大

な樫の木」という、この木ならではの特徴を表した地元特有の愛称だ

ったというわけです。江戸時代からそう呼ばれて親しまれてきたと思

うと、歴史のロマンを感じますね。

  

なるほどです。

出典なども教えてもらいましたが、確かなようです。

文化12年の村絵地図を見たいのですが、

Geminiに聞くと、ネット上にはないとのこと。

設楽町奥三河郷土館に行って、調べることを勧められました。

見たいな村地図。

昔はこんなヒノキに囲まれることなく、

住民から目に見える場所だったのではと思います。

  

地図で場所を示します。

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さらに詳細な地図。

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2026年3月24日 (火)

初めて見に行った雨山ダム/雨山合戦跡地

    

今日は令和8年3月24日。

  

奥さんの実家に行くのに、千万町経由で行くようになって、

いつかは行きたいねと奥さんと言っていたのが、

雨山ダムです。

3月20日にミツマタ群生地を見ることができなかったので、

その代わりに、かねがね行きたいと言っていた雨山ダムに

行くことにしました。

今回走ったのは、地図の緑のコース。

ふだんは黄色のコース。

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雨山ダムは、そこを出発点にして本宮山に登れることで、

話題になったことがあります。

いつかはやってみたいと思っていました。

その第一段階で、雨山ダムを見るのが今回ですね。

  

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一度ダムを右手に見て、通り過ぎて上流側から

撮影したものです。

御多分に洩れず、このダム湖も水がかなり減っているようです。

  

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こんな広場があるダムなんだなあ。

でも自動車だと行き止まりの場所にある広場なので、

そんなにたくさんの人は来ないだろうな。

  

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旧額田町の水道供給のためのダムで、平成7年に出来たようです。

そりゃあ、宇連ダムや大島ダムに比較したら、

小規模だと一目でわかるダムです。

驚いたのは矢作川水系だと言うこと。

ここは矢作川水系なんだ。

矢作川の流域を地図でみたいと思って探しました。

国土交通省HP

ここにあった図を転載。

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雨山ダムは、旧音羽町の萩のすぐ近く。

なのに、雨山ダムがある場所は、

降った雨は矢作川に行くんだと思いました。

もう一つ気がついたのは、流域の頂点に大川入山があること。

矢作川の源流は大川入山なんだ。

親しみが湧いてきました。  

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ダムの上から撮影。

ダムこの名前は三和湖(みつわこ)。

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ダムから下流。田畑が広がります。

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ダムのすぐ下流にも小さな公園。

ちょっと怖いかも。

  

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興味を持ったのは雨山合戦。

織田信長の台頭によって、今川義元についていた者たちが、

織田型につくようになってきた。

それを防ぐために、寝返ったものたちを打ち取れという

今川義元の命令が出た。

織田方についた雨山の領主阿知波修理定直と五郎右衛門兄弟の

立て籠もる雨山砦を、義元の命に従った野田城主菅沼新八郎定村が

攻めた戦い。

雨山側には、作手の亀山城から本宮山を越えて奥平氏が援軍。

野田軍を打ち破ったが、その後攻めてきた伊奈城の本多軍に

敗れ敗退する。

伊奈城とは地元旧小坂井町の遺跡。

戦国時代の身近な現場です。

  

史跡夜話 雨山合戦地

ここから一部引用。定村が打ち取られるシーン。

  

敵味方必死の攻防が続き、やがて右の木戸が破られそうになった。

その時、五郎右衛門の目に谷の上で指揮する定村の姿が見えた。

砦を救うには敵将を討取るほかなしとみた五郎右衛門は谷底に下

り立ち、上げ矢で定村を射た。矢は定村の左の咽から耳の根へ射

通したという。さすがの勇将定村も落馬して息絶えた。享年三十

六歳であった。定村討死後も野田勢の攻撃は続き、定村の弟定貴

(宇利城主・二十九歳)、同じく定満(二十五歳)、その他多くの家

来が討死してしまった。

  

今川義元と織田信長の戦いといえば桶狭間の戦い。

その前哨戦でこのような戦いがあったのですね。

山に遮られているが、確かに雨山は作手、野田、そして伊奈などから

直線距離は遠くない。山をもろともしないだろうから、

この雨山に集まってくるんだろうなあ。

  

雨山ダムと雨山合戦。

勉強になりました。  

  

 

千万町のミツマタ群生地に何が起こった?②

  

今日は令和8年3月24日。

  

前記事の続きです。

  

千万町のミツマタ群生地に何が起こったんだろう?

そんなことを思って、ミツマタ群生地を後にしました。

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帰りは左側に耕地を見ながら歩きました。

よく整備された耕地なので、いい気持ちになりました。

  

下から林道を上がってきたら、この分岐で右側に行きます。

Img_5518

左の道は、昨年11月に観戦したラリーのコースです。

この道を爆音を立ててラリーカーが走ったんだなと思います。

  

往路で見逃していた「ミツマタ」の入った看板を見つけました。

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棚田の説明板ですが、ほんの数年前にまでは確実に

ミツマタの群生地があった証拠でもあります。

どうなっちゃったんだろう?ミツマタ群生地。

これが県道から林道に入る入り口。

昔の写真に写っていた黒い建物があります。

Img_5521

でもこの入り口から入って奥にミツマタの群生地があるなんて、

書いてあるものは全くありませんでした。

  

千万町楽校への帰路、印象に残ったものを写真に撮りました。

紹介します。

Img_5522

公民館と思われる建物の窓には、何やら紙が貼ってありました。

近くで撮影。

Img_5522_3

なんで貼ってるのだろう?

TOSTEMの宣伝かなと思いました。

Geminiに聞いてみました。

先入観に気がつかせてもらうのも生成AIだと思っています。

回答を載せます。

  

千万町(ぜんまんちょう)の公民館ですね。歴史を感じる木造の建物

の雰囲気に、真新しいTOSTEMのシールがずらりと並んでいるのは確

かに目を引きますし、まるで宣伝のように見えますよね!

実はこれ、純粋な広告目的というよりは、窓ガラスが出荷された時か

ら貼られているメーカーの製品シール(養生シール)なんです。

本来は工事が終わって引き渡す際に剥がすものなのですが、公民館の

ような場所でそのまま貼られ続けているのには、いくつか理由(目的)

が考えられます。

1. 衝突防止のため(安全対策)

一番大きな理由はこれです。新しくてピカピカの透明なガラスは、特

にご高齢の方や子どもには認識しづらく、開いていると勘違いしてぶ

つかってしまう危険があります。このシールをそのまま残しておくこ

とで、目印になり、衝突事故を防ぐことができます。

2. リフォームの「証明」として

公民館の改修は、町内会費や市の補助金を使って行われることが多い

です。「皆さんの予算で、これだけ立派な新しいサッシ(LIXIL/TOS

TEMブランド)に交換しましたよ」という、わかりやすいアピールや

報告の意味合いを兼ねて、あえて残しておくケースが田舎の公共施設

ではよく見られます。

3. 単なる剥がし忘れ・手間

単純に業者が剥がさずに引き渡し、施設を管理している地元の方々も

「まあ貼ったままでもいいか」と気にせずそのままにしているパター

ンです。

ちなみに、このシールは数年貼ったままにしておくと、紫外線でガラ

スに焼き付いてしまい、いざ剥がそうと思った時にはボロボロになっ

て非常に剥がしにくくなってしまいます。

  

私としては「2」がなるほどと思いました。

「田舎の公共施設ではよく見られます」は本当かな?

でも本当のようにも思えます。

この建物の前は、これからもちょくちょく通るので、

貼り紙がどうなるか観察していきたい。

  

ちなみにTOSTEMの歴史をWikipedia トステムを参考に

書き並べます。

1923年 妙見屋商店創業

1949年 日本建具工業株式会社設立

1971年 トーヨーサッシ株式会社設立

1992年 トステム株式会社に商号変更

2001年 INAXと経営統合

      株式会社INAXトステム・ホールディング

      (後にLIXILとなる)

このような歴史があって「リクシルの窓・ドアブランド」と

なったのですね。納得です。

  

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右を走るのが県道。ここでもミツマタが咲いていました。

  

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一面水がはられて、田んぼになるところです。

見応えのある景色です。

  

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散歩するには、本当にいい場所、いい季節でした。

  

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よっく見てください。ツクシが生えていました。

子どもの頃に、たくさん採ってきて母親に調理を頼みました。

山のようにあったツクシが、少量になってしまいがっかりでしたが、

醤油味のツクシは忘れられないなあ。

  

  

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農道の横を流れる川が乙川だと知ったのは、この看板のおかげです。

   

以上が千万町で3月20日に見てきたことです。

ミツマタ群生地に何が起こったのか?

知りたいところですが、GeminiもChatGPTも

公式に観光を止めたようなことはネット上にはないと

答えてくれました。

何が起こったのかご存知の方は、ぜひコメントで教えてください。





 

  

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