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2026年3月26日

2026年3月26日 (木)

交差点「五条別れ」の写真から勉強したこと

    

今日は令和8年3月26日。

  

前記事に引き続き、昨年9月6日に撮影した写真を使って

記事を書きます。

  

キミヤーズ塾に向かうために名神高速道路の京都東ICから出て、

一般道を走り出してすぐに撮影したもの。

Img_7733_7

Img_7733_8

交差点の名前「五条別れ」が面白いなと思い、

赤信号で止まったので撮影しました。

「別れ」が珍しいと思いました。

  

この交差点の位置を地図で確認します。

地図のベースはGoogleアースです。

Img_7735_3

昔は琵琶湖疏水について調査した頃があったので、

縁があります。したがって地図中にもうちこみました。

キミヤーズ塾に来るたびに、少しずつ調べた覚えがあります。

  

京都に限らず西日本では地名にルールがあって、

分岐のことを「別れ」と言うそうです。

「◯◯別れ」とあった場合は、本道から分岐した道の

行き先の地名が入るそうです。

したがって「五条別れ」は五条に向かうことになります。

参考:yahoo!知恵袋 五条別れという地名の由来

  

上の地図に書き込みましたが、交差点の北に

五条別れ道標があるそうです。

この道標のおかげで、交差点の名前が「五条別れ」になったと

考えます。

Yahoo news. 【京都市】山科区 (旧)東海道にある『五条別れ道標』は大切な道しるべ…

ここから道標の写真を転載します。

Img_7736

この道標に書かれた文字をGeminiに読んでもらいました。

右ハ三条通 (右は三条通り)

※「条」は旧字体(異体字)で彫られています。

左ハ五条橋 (左は五条橋)

また、「左ハ五条橋」の左側には、さらにその先の目的地を示す

文字が少し小さく2行で刻まれています。

1行目:ひがしにし六条 大佛

2行目:今ぐ満きよ水 道 (※「満」は「ま」の変体仮名です)

現代の言葉で表すと、「右へ行けば三条通り、左へ行けば五条橋。

その先は東西の六条(東本願寺・西本願寺)、方広寺の大仏、

今熊野、清水寺へ続く道」という意味になります。

 

「大佛」は「方広寺大仏」、

「今ぐ満(ま)」が「今熊野」、  

「きよ水」は「清水寺」

ということですね。

  

上の写真では道標の2面しか見えていませんが、

他の面にこの道標を作った人物の名前が書いてあるそうです。

その人物についてGeminiが教えてくれました。

 

この「五条別れ道標」は、江戸時代中期の宝永4年(1707年)に、

沢村道範という人物によって建立されました。

• 人物像: 山科の四ノ宮(しのみや)周辺の住人であったと伝え

られています。

• 建立の目的: 当時の旅人が道に迷わないよう、自らの私財を投

じて道標を建てた篤志家です。道標の下の方をよく見ると「願主

沢村道範」という名前が刻まれています。

• その他の功績: 五条別れ道標だけでなく、山科六地蔵の近くに

ある「伏見六ぢざう」への案内など、山科周辺の要所にいくつも

の道標を建てたことで知られています。

  

このような人がいたんですね。

Geminiは道標の下の方に刻まれているとありますが、

見つかりません。

文化学部井上ゼミのページ 五条別れ道標

ここに載っていた写真を転載。

Img_7738

下ではなく、他の面でした。Geminiも間違えます。

  

ここが本当に分岐だったのかが興味ありです。

現在の地図ではよくわかりません。

そこでこのサイトを参考にしました。

今昔マップon the web. 埼玉大学教育学部

現代の地図と昔(1892〜1910年)と

2枚の地図で比較できる便利なサイトです。

関連地図をスクリーンショットで撮影して載せます。

Img_7737

旧東海道を東から来たら、この道標で左に分岐するのですが、

私の予想は赤字で示したルートです。

確かに道標のある部分で分岐すると、京都の南の方に用事の

ある人たちにとっては都合がいいなと思います。

左の地図は明治時代の地図ですが、

江戸時代から大きくは変わっていないと思って参考にしました。

そして明治時代にあった道は、現代も残っていることがわかります。

道標から左に道をとって、清水寺まで歩いたら面白そうです。


   

ちなみに「今昔マップon the web」を見るといいよと

勧めてくれたのはGeminiです。

 

キミヤーズ塾での教え/生活では活かせれないけど教養として身につく

  

今日は令和8年3月26日。

    

毎年2回キミヤーズ塾が京都で行われます。

最近では3月7日にありましたが、その日は遠来のお客さんと

飲食することが先約で入っていたため、キャンセルしました。

今回行けば16回目でした。

5回ごとにもらえる無料券によって、参加費は0円でした。

次は今年の晩夏にあるので、参加したいですね。

  

15回目に参加したのは、昨年の9月6日でした。

その時に特に印象に残った村上公也先生の言葉を

ブログ上に残しておきたいです。

  

村上先生は、すでにだいぶ前に退職していますが、

その後も支援学級で担任した子どもたちを、

家に招いて今でも授業を行っています。

いちごママ塾という名前です。

その子たちも成長して、社会人になって頑張っています。

最近のキミヤーズ塾では、その子たちが参加して、

活躍しています。

とても読むことができない難読漢字をスラスラ読み、

指数関数など難しい数学の問題も解いて見せてくれます。

その時に村上先生が言いました。

   

  

支援学級の子どもたちにも、順を追ってひとつずつやったら、

ここまでになる。やればできる子たちに教えないのは

教える側がダメだということを証明したかった。

生活として活かせれんけど、教養として身についている。

  

  

支援学級の子どもたちに教えることは、社会に出て困らないようにと、

つい実践的な内容になりがちです。

でもそれって、本当の勉強の面白さを伝えていないと思うのです。

こちらが教えても無理と思わずに、

少しずつ教えていくことで、積み重なって、

子どもたちはすごい力を持ちます。

それをキミヤーズ塾では、目の前で見せてくれます。

でもふと疑問に思っていたんです。

難読漢字がいくら読めても、難しい計算ができても、

生活には役立つことが少ないよなあと。

そんな私の疑問を、村上先生は見抜いたかのように、

今回の言葉を発したのです。急いでメモをしました。

私のやっている通級指導学級でも、この考え方で授業内容を決めています。

「できる」ように教えたいけど、

そればっかりにならないように心がけています。

    

昨年9月6日のキミヤーズ会場での写真を載せます。

Img_2891

隣に座った男性。

その方と話していたら、「もしかして腕時計が同じでは」と

言ってきました。確かに!CASIOのG-SHOCKで色も全て同じ。

これは面白いと思って、写真を撮らせてもらいました。

手前が私です。

私の時計は、なぜか進みやすいので、私の方が時刻が早いです。

彼の時計の時刻がきっと正確です。

   

  

昨年9月6日。京都市内で撮った写真です。

Img_7733

Img_7733_2

「五条別れ」

この交差点の名前が気になりました。

そしていろいろ調べました。

内容が濃かったです。

そこで次の記事に書きます。

設楽町の巨木:イロハモミジ/山伏塚の大杉

    

今日は令和8年3月26日。

    

前記事に引き続き、昨年の8月31日に見た

設楽町での巨木の記録を書きます。

  

設楽町観光ナビ したらの巨木特集 したらの巨木に逢いに行こう!!

このサイトで地図を見ることができます。

設楽町のどこに行けば巨木が見られるかわかります。

今回は3本見たので、その部分の地図を切り取って転載します。

Img_7731

前記事ではアカガシを記事にしました。

今回は「イロハモミジ」と「大杉」です。

  

「イロハモミジ」

Img_3496_2

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Img_3494_2

Img_3495_2

案内柱に書いてある文章を書き出します。

イロハモミジ

私たちには大変なじみのあるカエデとして知られ、葉の裂片が5〜

7個で「いろはにほへと」と7つに数えられることから、名が付い

たと言われている。県内でも指折りの巨木である。

  

青紅葉もいいけど、やはり紅葉も見てみたい木です。

ここも人工林に囲まれて、知る人ぞ知る状態になっていました。

すぐ近くの道からでも見ることはできません。

  

  

次は「山伏塚の大杉」

Img_3499

ここから入っていきます。

ここも樹林に囲まれていて、外からはわからない。

どんな巨木があるのかワクワクするのはいいかな。

  

Img_3504

Img_3503

説明文をここに書き写します。

  

山伏塚の大杉といわれ、逞しく荒々しさを感じさせる。

この木は自然に生えたようで、根元から二本に分かれ

上部は六本の樹幹となっている。

  

根元から2本に分かれているので、幹周りも2つあります。

  

幹周り: 4.65m

   : 6.64m

  

Img_3502

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設楽町が出しているパンフレットには、モデルさんの入った写真が

ありました。この大杉の写真を転載します。

Img_7732

今回の3本の巨木は、どれも予想を上回る大きさでした。

  

巨木観察も楽しいなと思いました。

設楽町の巨木:豊邦のアカガシ/クラガシ(暗樫)と呼ばれていた

    

今日は令和8年3月26日。

   

春休み。ブログの投稿を増やしたいですね。

  

昨年撮影した写真を記事にします。

昨年8月31日に設楽町にある巨木を見てまわりました。

ここに記録として残します。

  

Img_2862

「豊邦(とよくに)のアカガシ」

植林されたヒノキに囲まれて、

なかなか全体像を写しにくい場所でした。

でもよくぞこんな植林された場所で、この木が残されたなとも

思いました。

Img_2863

Img_2864

Img_2868

これは次世代の幼木かな。

Img_2865

ここが主幹。ここから何本かの幹が四方に伸びています。

キラッと奥三河観光ナビ 豊邦のアカガシ

このサイトからの転載です。

Img_7728

「全体は雄たけびをあげているような姿」とあります。

なるほどの表現です。

悲鳴のようにも思います。

これも折れた幹のようです。

Img_2869

Img_2870

案内板の文章を引用します。

幹周り一一・六〇m、根回り一〇・五m、樹高約一八・〇m。日本で

も指折りの大きさ。文化一二年(一八一五)の村絵図に「クラガシ」

と記載されている。

  

「赤樫」ではなく「クラガシ」なんだ。

その村絵地図が見たいですね。

  

「クラガシ」の名前についてGeminiに聞いてみました。

  

結論から言うと、「クラガシ」は漢字で「暗樫(くらがし)」と書き、

この巨木の下が昼間でも暗くなるほど葉が鬱蒼(うっそう)と茂って

いたからだと言われています。

詳しく解説しますね。

🌳 なぜ「暗樫(クラガシ)」と呼ばれたのか?

巨大な樹冠による日陰: 画像の案内板があるのは、愛知県設楽町にあ

る「豊邦のアカガシ」という木です。アカガシは常緑広葉樹で、革質

で厚みのある葉が密に茂る特徴があります。 この木は日本でもトップ

クラスの巨木(枝が四方に約15メートルも広がる)であるため、日光

を大きく遮り、木の下に広い「暗がり」を作っていました。

地元の愛称が定着: その圧倒的な暗さや存在感から、地元の人々の間

でいつしか単なる「アカガシ」ではなく「暗い樫=暗樫(クラガシ)」

と呼ばれるようになりました。

歴史的資料への記載: その呼び名が地元で完全に定着していたため、

案内板にある通り、1815年(文化12年)の村の絵図にも、まるで正

式名称のように「クラガシ」として記録されています。

つまり、生物学的な品種名ではなく、「強烈な日陰を作るほどの巨大

な樫の木」という、この木ならではの特徴を表した地元特有の愛称だ

ったというわけです。江戸時代からそう呼ばれて親しまれてきたと思

うと、歴史のロマンを感じますね。

  

なるほどです。

出典なども教えてもらいましたが、確かなようです。

文化12年の村絵地図を見たいのですが、

Geminiに聞くと、ネット上にはないとのこと。

設楽町奥三河郷土館に行って、調べることを勧められました。

見たいな村地図。

昔はこんなヒノキに囲まれることなく、

住民から目に見える場所だったのではと思います。

  

地図で場所を示します。

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さらに詳細な地図。

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