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2025年3月26日 (水)

映画「テスラ エジソンが恐れた天才」を見ました

       

今日は令和7年3月26日。

  

気まぐれの毎日。

映画「テスラ エジソンが恐れた天才」(2020年)

見ました。

見るきっかけは、この記事に書いたように、

テスラ社の車を見たことです。

ここでも道草 20250224金時山・長尾山・乙女峠・丸岳⑥ 下山 蛇籠 テスラ(2025年3月24日投稿)

この記事で載せた予告編のスクリーンショットを並べます。

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この映画、ちょっと難しい。

最初、話がよくわかりませんでした。

話があちこち飛ぶし、登場人物の女性アン・モルガンが

現代に蘇って、説明しているし、

壁に貼った大きな写真の前で、お芝居しているし・・

よくわからず。

でのこの独特な雰囲気に慣れてきた、

初めての電気椅子の処刑のところぐらいから、

映画に入れるようになりました。

並行して、テスラについて、電気椅子の処刑についてなど、

調べながら見たのも良かったかと思います。

  

最後は、ほぼ無一文となって孤独に死んでいったテスラ。

でも葬儀には2000人が参加したとのこと。

実績をたくさん残しながら、それが自分の生活を

安定したものにしなかったようです。

エジソンや、投資家モルガンよりも長生きの享年87才。

エジソンの影に隠れたような人であり、

「天才」と呼ばれた人なので、さぞや

早死した方だというイメージでした。違いました。

  

映画に没頭できたきっかけの電気椅子。

奥さんの斧で殺したケムラーが、電気椅子の処刑の第1号でした。

映画では、その処刑の様子が、ケムラーが話したことなど

リアルに再現していました。

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Wikipedia ウィリアム・ケムラーより

エジソンが直流。テスラが交流。

どちらが生き残るか。

「電流戦争」と呼ばれるせめぎ合いの中で、

エジソンが中心になって交流による電気椅子が作られました。

処刑に交流を使うことで、交流を貶(おとし)めようとしたのです。

ケムラーの処刑は、即死とならず、

残酷なものとなりました。

1890年8月6日のことでした。

  

シカゴ万国博覧会。1893年。  

コロンブスがアメリカ発見した400年を記念して行われた

シカゴ万国博覧会。

ここでテスラの交流は、エジソンの直流を叩きのめします。

そんなところも映画で描かれていました。

ただ不思議なことに、エジソンがスマホを見ているシーンが

ありました。

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スクロールもしていました。

む?

やっぱりちょっと難しい映画でした。  

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