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2024年10月20日 (日)

映画「二宮金次郎」を観ました(2)小説「二宮尊徳スーパースター」

   

今日は令和6年10月21日。

  

前記事の続き。

  

10月14日に、豊橋市公会堂で、

映画「二宮金次郎」を観ました。

二宮金次郎が、なぜ歴史に名を残しているかがわかる映画でした。

  

二宮金次郎の父親は、人のために尽くして、

自分は貧乏になっても構わない、

そんな人だったようです。

そのために、家族は大変な目に遭います。

父親が死んだ後に、残されたものは少なく、極貧となります。

母親は、その極貧の中、死んでいきます。

「人を信じるな」と遺言を残して。

残された金次郎と弟は、別々に親戚にもらわれていきます。

  

金次郎は、人のために尽くすことはよしという父親の考えを

引き継いでいました。

しかし、父親が反面教師となり、ほどこすのではなく、

農民を自立させることを目指しました。

博打などをして働かない者には冷たく、

働く者には援助を惜しみませんでした。

  

映画では、そんな金次郎に対して、反対する農民がおり、

役人が出てきます。

金次郎のやることは、正論だと思うのですが、

正論が通らないのは、利権が絡むとなかなか動かない今の政治と同じです。

苦しむ金次郎。

映画では唐突に、成田山で21日の断食を行います。

あまりに唐突なので、映画を盛り上げるためにフィクションかと

思ったほどでした。

でもこれは事実でした。

  

誰にでも、事情がある。

その事情に従って、行動している。

自分が一番正しいのではなく、

相手にも事情があることを察して、受け入れるべき。

金次郎は、断食によって、こんな考えに至ったようです。

  

上役で、金次郎を追い詰めた豊田正行は、

金次郎への酷い仕打ちでクビになったのだが、

金次郎はそんな豊田も受け入れました。

豊田は、その後は強力な金次郎の支援者になっていきます。

金次郎の素晴らしさはここだと思います。

なかなか真似ができないところです。

勉学に励んだだけではなく、相手の事情にも配慮する度量を

持つことができたのがすごいことだと思います。

映画は、桜町の復興に10年を費やした話が中心でした。

それなのに、金次郎は、600の村を復興させたと言います。

なぜそんな数になるのか不思議です。

きっと、人を育てたのでしょう。

金次郎の実践を学んだ人たちが、各地の復興に貢献したと考えます。

弟子ですね。

その弟子が困った時には、きっとアドバイスをしたのでしょう。

それが600というとてつもない数を可能にしたのでしょう。

  

今回、二宮金次郎について調べていて、

このサイトを見つけました。

久田巻三という方が執筆した二宮金次郎のお話です。

久田さんは、大量の執筆をしており、

それをホームページで公開しています。

鬱と戦って30年・・みたいなことも書いておられ、

きっと至極真面目な方であるだろうなと感じます。

そんな執筆群の中に、二宮金次郎のお話があります。

「二宮尊徳スーパースター」

良かったら読んでみてください。

映画では唐突に感じた成田山での断食が、

しっくりきました。

第四章 蒸発そして成田参籠

この章に書いてありました。

  

映画に出てくる桜町は、現在の栃木県真岡市です。

「真岡」をなんと読むか。

これが難しい。

調べてびっくりです。

次の記事で書きます。  

コメント

いい映画でした。
金次郎のことがよくわかり、その業績のすごさに驚きました。もっと知られてほしいです。
子どもたちに伝えたいと思います。
俳優さんたちの演技も素敵でしたね。

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