なんと、引き込み線は2本あった/西小坂井駅の歴史
今日は令和6年7月30日。
前記事の続き。
豊川市防災センターに行って、モニターに、
古い地図を表示できる機器の話です。
左側が明治時代の地図です。
すでに東海道本線が開通しています。
西小坂井駅はあったのか調べてみました。
ここでちょっとビックリ。
引用します。
飯田線小坂井駅の西に位置しており、当駅(西小坂井駅)のほうが開
業が遅い。軍需工場の引き込み線用の西伊奈信号場として開設された。
太平洋戦争後に西小坂井駅として開業し、引き込み線は富士紡績小坂
井工場の貨物専用線となった。
引き込み線は、富士紡績のために造られたのではなく、
その前の軍需工場のためだったのです。
その軍需工場は、住友の工場だと、
昔、父親に教えてもらったことがあります。
そこでさらに調べると、このサイトに行きつきました。
ここに全てが書いてありました。
すごいサイトがありました。
そのサイトの冒頭です。
しょうさんは、兵庫県の人。
兵庫県の人が、2011年にこの付近を探索し、
2016年に記事にしていました。
ありがたい。
ネットはすごい。
「記事・画像の無断転用はご自由にどうぞ」とあるので、
サイトのコピーを並べていきます。感謝です。
なんと!引き込み線は2本ありました。
住友金属線がありました。
1961年(昭和36年)の写真です。
私の生まれた年です。
しょうさんの探索した写真です。
廃線マニアの方だとわかるんですね。
これが専用線(引き込み線?)の路盤だそうです。
富士紡績線は1970年ごろまで現役?
え〜と、昭和45年。私は9歳。小学校1年生。
覚えていないなあ。
住友金属線は戦後すぐに廃止。
だから、あの防災センターの地図には載っていなかったわけですね。
13年前の写真。この場所に今でも立てるのかな。
今日はもう遅いので、明日行くぞ。
おそらく、踏切から御津駅方面を撮ったもの。
私も7月22日に撮っています。
向こうの山がアップなので、しょうさんは望遠で撮っているのかな。
住友金属線は、名残りがあるようなので、明日行ってみます。
いかん、いかん、記事をうちながら並行して調べているので、
話が脱線してしまいました。
明治時代の地図でわかるのは、この地域は、
針葉樹林の森が広がっていたことです。
現在、私は、この地図の範囲に住んでいますが、
100年ほど前は、森だったのです。
今じゃあ、家ばっかりなのに。
すごい変化です。
そして「平坂街道」
これが調べると、また面白かった。
別の記事にします。
私が理科教師だと思っている人、
社会科教師っぽいところもあるでしょ。
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