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2024年4月13日

2024年4月13日 (土)

本「恰好いい老い方、みっともない老い方」④ べったり一緒にいない

  

今日は令和6年4月13日。

  

前記事に引き続き、

「恰好のいい老い方、みっともない老い方」

(川北義則著/PHP研究所)より、

引用していきます。

 

東日本大震災が起きる前の二〇一〇年のデータで比べてみると、日本

人男性の平均寿命約八〇歳 (七九・六四歳)であるのに対し、健康寿命

は一〇年下がって七〇・四二歳。女性は、平均寿命約八六歳 (八六・

三九歳)で、健康寿命は約七四歳 (七三・六二歳)である。つまり、男

性で約一〇年、女性では約一二年もの間、なんらかの介護を必要とし

ている高齢者が多いということだ。

見方を変えると、おそらく七〇歳前後に、その人の健康寿命を決定づ

けるなんらかの山場があるのではないか。 寝たきりになってしまう人

の多くが、その頃に介護を必要とする病気に罹るのだろう。一方で、

健康に過ごせた人は、八〇代になってもかくしゃくとしている。私の

周囲を見回しても、そんな傾向があるように思う。

このように、無事に山場を乗り越え、自分の健康寿命を平均寿命まで

持っていけた人は幸せだ。男性なら八〇歳、女性なら八六歳まで介護

を必要とせずに過ごせたら、充分に人生をまっとうしたと言える。

それにもかかわらず、「まだお金がいる」と考えて、やりたいことも

我慢するなどバカげている。とにかく平均寿命まで生きたのだ。充分

ではないか。あとはお金を使って好き勝手なことをすればいい、

日本人の平均貯蓄額は、六〇代以降が突出して多い。 二〇一四年の総

務省家計調査によれば、二〇代以下は二六八万円、三〇代でも六一〇

万円に留まっている。ところが、六〇代は二四八四万円、七〇代以上

も二四五二万円の貯蓄がある。ともに二〇〇〇万円以上の貯蓄がある。

これはあくまで平均だから、もちろん五〇〇〇万円、あるいは一億円

以上も持っている高齢者もいるということだ。

そんなに貯め込んでどうするのか。 自分の年齢が平均寿命に達したな

ら、お金は徹底的に使う方向に徹してはどうか。

(166〜167p)

  

「まだお金がいる」とやりたいことを我慢する高齢者には

ならないようにしたいですね。

  

  

私は、高齢者の一番の責務は、「人生とは、それなりに楽しいものだ」

「年をとることは、決して絶望的なことではない」ということを、次の

世代に向けて発信することにあるのではないかと思う。 「下流老人」

などという言葉に脅え、使えるお金も使わず、グチばかり言っていたの

では誰も喜ばない。

(178p)

  

山登りすると、高齢の方に多く出会います。

あの年までは登りたいと思います。

高齢者の行為が、励みになるんですよね。

歩くペースは遅くとも、山を楽しんでいる姿は、うらやましいです。

  

  

「結婚は、デザートより前菜が美味しいコース料理である」と言った

のは、オーマリーである。

若い頃はどれほど燃え上がった男女でも、夫婦として長い年月を過ご

すうちに恋愛感情は薄れていく。定年退職する年齢になれば、結婚し

て三〇年くらい経過していることが普通だろう。ケンカはしなくても、

お互いに「うんざり」という部分がないと言ったら嘘になる。すべて

がマンネリになっているのだ。

それでも、どちらかがあの世に行くまでは一緒にいるのだから、お互

いが少しでも快適に過ごせるような工夫が必要だ。

その工夫とは、いつも「べったり一緒にいない」ということに尽きる。

(186p)

  

いつも「べったり一緒にいない」はふだんの体験で感じます。

適度な距離感が長続きするんだろうなと思います。

どっちが先に死ぬかわかりません、

おそらく自分が先だと思うけど、

「添い遂げる」は魅力的な言葉だと思うし、

成し遂げたいことです。少なくとも私は。

  

今晩は、これで寝ます。

明日は奥さんと登山。

本「恰好いい老い方、みっともない老い方」③ 好奇心を満たすための贅沢をするぞ

   

今日は令和6年4月13日。

  

前記事に引き続き、

「恰好のいい老い方、みっともない老い方」

(川北義則著/PHP研究所)より、

引用していきます。

  

   

印刷会社に勤める四〇代の知人男性が、上顎部のがんに罹ったことが

ある。

耳に水が入ったような違和感があると感じた彼は、会社の近くの耳鼻

科に行った。しかし、薬をもらって飲んだが一向によくならない。三

度目の診察で、「長引くのを放置しておいては心配だから精密検査を

受けてください」と、医者が近くの有名大学病院に紹介状を書いてく

れた。

「大げさだな」と感じながらも従うと、がんが見つかったのだ。手術

のできない場所だったが、早期発見が幸いし、放射線治療で完治した。

彼はまだ四〇代だったから、「まさか自分が」という思いもあったろ

う。医者にすすめられなければ放置してしまったのではないかと思う。

このように、若くてもがんに罹る。とくに若いときは進行が早いから

早期発見が必須だ。もちろん六〇歳を超えたら「いつ、なにが起きて

もおかしくない」という心構えも必要である。

大切なのは、医者まかせにせず、自分の体の変化に敏感でいることだ。

いままで長く生きてきたのだから、「どうもおかしい」という体の変

調が自分自身の経験でわかるはずだ。 それを大丈夫だろうと勝手にス

ルーしてはいけない。  

(122p)

長く生きてきたのだから、自分の変調に自分で気がつけと言うのは、

なるほどです。長く体とつきあってきたのだから。

気づきたいなあ。

そして信頼するお医者さんとつきあいたいな。

すぐに相談できるようなお医者さん。

8年間通っている内科のお医者さんは、

候補ですね。

  

  

アメリカの心理学者コーエンが、面白い指摘をしている。

五〇代半ばから七〇代前半にかけて、人間はそれまでとはまったく違

うことをしてみたくなるのだそうだ。そういう時期を、コーエンは

「解放段階」と定義している。

五〇代半ばを過ぎれば、自分の人生の残り時間を意識するようになる。

となれば、「なにかやり残したことがあればやっておきたい」と思う

のだろう。

航空会社に勤める知人によると、定年退職後に海外旅行に出かけるシ

ニア層夫婦が、エコノミークラスでなくビジネスクラスに乗ることが

増えたという。ヨーロッパ路線ともなるとかなりの代金になるが、

「何度も行けるものではないので」と奮発する。ホテルの部屋を、ス

イートタイプにする人もいる。 旅行代金プラス二〇~三〇万くらいに

なる。

このような傾向はいいことだと思う。人生は一度限り。そういう気持

ちには素直に従って、やりたいことはやったらいい。そのためにお金

を使っていいのだ。死んでからお金を残しても意味がない。お金は自

分のために使うべきだ。

私たちは、小さいときから「贅沢を言ってはいけません」と育てられ

てきた。贅沢をするのは、下品なことのように思い込んでいる人もい

る。しかし、下品になるかどうかは人による。 正しい贅沢は、恰好よ

く美しいものである。人生の後半に、そういう贅沢を体験すべきだろ

う。かつて戦時中は「ぜいたくは敵だ」と言われたが、平和な世の中

では贅沢は素敵なのだ。

もちろん、無理をする必要はない。なにか一つでいいから、「自分は、

これだけは贅沢をしている」というものがあるといい。

(161〜162p)   

  

好奇心を満たすための贅沢はしたいな。

スマホ、タブレット端末を充実させたいと思っています。

一眼レフカメラも欲しいと思っています。

自転車は諦め気味かな。

いい自転車は諦めて、他にお金を回したい。

  

  

こういう贅沢は、あくまで自分のためのものであって、人に見せびらか

すわけではない。贅沢が下品でみっともなくなるのは、人に見せようと

するからだ。

金持ちにも、庶民にも、恰好いい贅沢ができる人と、みっともない贅沢

しかできない人がいる。恰好いい贅沢ができれば、恰好いい大人になれ

るのだ。

自分がセレブのつもりの女性タレントは、なにかにつけて贅沢自慢をす

る。自宅にどれだけたくさんのブランドバッグや宝石があるかをひけら

かし、あげくはお手伝いさんにそれを盗まれたと嘆く。

はたしてそんな彼女を、どれだけの人が「うらやましい」と思うだろう

か。「彼女のようになりたい」という人は案外少ないのではないか。そ

れは、彼女がちっとも幸せそうに見えないからだ。

人に見せびらかすために贅沢をする人は、贅沢によって幸せは得られな

い。「もっと、もっと見せびらかさなくちゃ」ときりがない。

自分だけ納得する、自分のための贅沢こそする価値があるのだ。

(163〜164p)

   

  

お金を使わずに死んだらもったいない。

そういうことを考えるタイミングに、

自分は来ているのだと思います。

贅沢して、後悔しない毎日を過ごしていきたいなと思います。

  

本「恰好いい老い方、みっともない老い方」② 不快な過去は忘れてしまう権利があなたにはある

    

今日は令和6年4月13日。

  

前記事に引き続き、

「恰好のいい老い方、みっともない老い方」

(川北義則著/PHP研究所)より、

引用していきます。

  

一方で、一〇〇パーセントの理不尽というのは、会社ではまず起きな

い。道ですれ違った通り魔に刺されるというのは理不尽そのものだが、

会社の人事などは、そこそこ道理にかなっているものだ。なにもかに

も理不尽というのはあり得ない。

「人間は、自分が他人より劣っているのは、能力のためではなく、運

のせいだと思いたいものだ」とプルタルコスは言っている。運のせい

だと考えるから、いつまでも「ついていない」「悔しい」と思う。だ

が、別の見方をすればかえって楽になれる。

私たちは、一日一日経験を積み重ねている。その中には、嬉しい経験

もそうでないものもある。どちらかと言えば、嬉しくないことのほう

が多いかもしれない。

しかし、いずれにしてもそれらは済んだことなのだ。過去である。し

たがって、それを掘り返してつくり変えることはできない。私たちに

できるのは、また別の経験を積み重ねていくことだけである。

日々新たに経験を重ねることこそ人生だが、その新たな経験を、過去

に引きずられることでひどいものにしている人が少なくない。

前述の男性は、なにをやっていても以前、役員になった同期の人間の

ことを憎々しく思い出してしまう。毎日の食事も人生の新たな経験だ

が、それを心から楽しめない。いつも不機嫌な顔をして、妻とはほと

んど会話も交わさずに食べるだけだ。なんというつまらな人生を送っ

ているのかもったいないと思う。

人生の残り時間が少なくなってきたら、過去の悔しい思いなどさっさ

と手放すに限る。どれほど理不尽に思えることでも忘れるべきだ。

(49〜50p)

  

最後の2行がいいですね。

人生残り少なくなったら、過去を手放す。

こういう生き方をしてもいい年になったと思うし、

これだけ年を取った特権だと思います。

  

 

また、自分自身の失敗などもいつまでもくよくよ悔やまないことだ。

約三二年にわたり「笑っていいとも!」の司会を務めたタモリは、長続

きのコツに「反省しないこと」を挙げている。 実にいいアドバイスだ。

完璧を目指し、少しのミスをいちいち反省していたら、とても前には

進めないということだろう。(中略)

誰でもなにかしら「あのときは失敗した」という思いがある。 しかし、

反省すれば時間が元に戻せるというわけではない以上、もう過ぎたこ

とはどうでもいいではないか。

坂口安吾の『不良少年とキリスト』の中に、「人間生きることが全部

である。死ねばすべてなくなる」という一節がある。残された時間が

少なくなった高齢者は、いまを楽しむことだけを考えたらいい。過去

なんかもうどうでもいいではないか。

「久しぶりに、あの店のロールキャベツが食いたいな」

そう思ったら食べに行く。そのために、電車に乗ってわざわざ出かけ

る。そのことに全力を傾ければいい。

過去は変えられないが、その過去にどう関わるかは今日の自分が決め

られる。愉快な過去には積極的にコミットし、不快な過去は忘れてし

まう権利があなたにはある。その権利を大いに行使していくべきだ。

(52p)

  

過去なんかもうどうでもいいではないか。

愉快な過去には積極的にコミット。

不快な過去は忘れてしまう権利があなたにはある。

  

仕事が現役の時には、反省して同じミスを冒さないようにと

心がけます。

ある程度、仕方がないことです。

でもね、今は退職した身。

過去なんてもうどうでもいい、今やっていることに

夢中になる権利が、私にはあるぞと思わせてくれる文章でした。

  

  

いま六五歳の人が、仮に八五歳まで生きるとして二〇年、約七三〇〇

日である。途中で病に倒れてしまうかもしれないから、残された日々

はもっと少ないかもしれない。

七九歳でこの世を去った作家の山田風太郎は、七〇歳を過ぎてから朝

日新聞に「あと千回の晩飯」というエッセイの連載を始めた。食べ物

のことはもちろん、女のことや死生観についてなど幅広く取り上げら

れていて実に面白かった。単行本にまとめられたものがいまは文庫に

もなっているから、興味があったら読んでみてはいかが。

このエッセイのタイトルは、「自分に残された時間はそれほど長くな

かろう」と考えてつけられたのだと思う。もちろん、彼に限ったこと

ではない、すべての生き物にとって、すべての行いは「あと○○回」し

かないのである。

「この世を去るときになって後悔しないように、貴重な日々を精一杯

楽しみたい」

これは、誰もに共通した願いだろう。しかし、願ってはいても、実際

にはなんとなく毎日を過ごしている人が多い。自分の毎日を「楽しく

してくれるもの」を見つけられないのだ。これでは淋しい。

私たちを楽しませてくれるものは、黙って座していて向こうからやっ

て来るものではない。自分で探すしかない。いや、感じ取ると言った

ほうが正確かもしれない。

日本社会は、恵まれている。高齢者が楽しいと感じられることがたく

さんあるが、好奇心がないと気づかない。 本来、好奇心は誰にでもあ

るが、それが活性化されている人と眠ったままの人がいるのだ。

仕事が現役のうちは、関心はもっぱら仕事関係のことに向かっている。

専業主婦であれば、家庭のさまざまな仕事、そして子育てだろう。四

六時中それらに追われて、頭も体も休まるヒマがない。「もっと、自

分の趣味のことも考えたいのに」とグチも出るだろう。

だが、実際にそれらから解放されると、頭が休眠状態に入ってしまう。

どう好奇心を働かせていいかわからなくなる。 

(84〜85p) 

  

教師の仕事は、好奇心がとても役立つと思います。

就いた仕事が良かったと思います。

いやいや、好奇心が役立つから自分で選んだ仕事だと

思っています。

好奇心は自信があります。

この好奇心が、これからの死ぬまでの人生を楽しむ

最強の武器ですね。

私の好奇心は起きています。

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

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がん治療で悩むあなたに贈る言葉