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2024年4月13日 (土)

本「恰好いい老い方、みっともない老い方」② 不快な過去は忘れてしまう権利があなたにはある

    

今日は令和6年4月13日。

  

前記事に引き続き、

「恰好のいい老い方、みっともない老い方」

(川北義則著/PHP研究所)より、

引用していきます。

  

一方で、一〇〇パーセントの理不尽というのは、会社ではまず起きな

い。道ですれ違った通り魔に刺されるというのは理不尽そのものだが、

会社の人事などは、そこそこ道理にかなっているものだ。なにもかに

も理不尽というのはあり得ない。

「人間は、自分が他人より劣っているのは、能力のためではなく、運

のせいだと思いたいものだ」とプルタルコスは言っている。運のせい

だと考えるから、いつまでも「ついていない」「悔しい」と思う。だ

が、別の見方をすればかえって楽になれる。

私たちは、一日一日経験を積み重ねている。その中には、嬉しい経験

もそうでないものもある。どちらかと言えば、嬉しくないことのほう

が多いかもしれない。

しかし、いずれにしてもそれらは済んだことなのだ。過去である。し

たがって、それを掘り返してつくり変えることはできない。私たちに

できるのは、また別の経験を積み重ねていくことだけである。

日々新たに経験を重ねることこそ人生だが、その新たな経験を、過去

に引きずられることでひどいものにしている人が少なくない。

前述の男性は、なにをやっていても以前、役員になった同期の人間の

ことを憎々しく思い出してしまう。毎日の食事も人生の新たな経験だ

が、それを心から楽しめない。いつも不機嫌な顔をして、妻とはほと

んど会話も交わさずに食べるだけだ。なんというつまらな人生を送っ

ているのかもったいないと思う。

人生の残り時間が少なくなってきたら、過去の悔しい思いなどさっさ

と手放すに限る。どれほど理不尽に思えることでも忘れるべきだ。

(49〜50p)

  

最後の2行がいいですね。

人生残り少なくなったら、過去を手放す。

こういう生き方をしてもいい年になったと思うし、

これだけ年を取った特権だと思います。

  

 

また、自分自身の失敗などもいつまでもくよくよ悔やまないことだ。

約三二年にわたり「笑っていいとも!」の司会を務めたタモリは、長続

きのコツに「反省しないこと」を挙げている。 実にいいアドバイスだ。

完璧を目指し、少しのミスをいちいち反省していたら、とても前には

進めないということだろう。(中略)

誰でもなにかしら「あのときは失敗した」という思いがある。 しかし、

反省すれば時間が元に戻せるというわけではない以上、もう過ぎたこ

とはどうでもいいではないか。

坂口安吾の『不良少年とキリスト』の中に、「人間生きることが全部

である。死ねばすべてなくなる」という一節がある。残された時間が

少なくなった高齢者は、いまを楽しむことだけを考えたらいい。過去

なんかもうどうでもいいではないか。

「久しぶりに、あの店のロールキャベツが食いたいな」

そう思ったら食べに行く。そのために、電車に乗ってわざわざ出かけ

る。そのことに全力を傾ければいい。

過去は変えられないが、その過去にどう関わるかは今日の自分が決め

られる。愉快な過去には積極的にコミットし、不快な過去は忘れてし

まう権利があなたにはある。その権利を大いに行使していくべきだ。

(52p)

  

過去なんかもうどうでもいいではないか。

愉快な過去には積極的にコミット。

不快な過去は忘れてしまう権利があなたにはある。

  

仕事が現役の時には、反省して同じミスを冒さないようにと

心がけます。

ある程度、仕方がないことです。

でもね、今は退職した身。

過去なんてもうどうでもいい、今やっていることに

夢中になる権利が、私にはあるぞと思わせてくれる文章でした。

  

  

いま六五歳の人が、仮に八五歳まで生きるとして二〇年、約七三〇〇

日である。途中で病に倒れてしまうかもしれないから、残された日々

はもっと少ないかもしれない。

七九歳でこの世を去った作家の山田風太郎は、七〇歳を過ぎてから朝

日新聞に「あと千回の晩飯」というエッセイの連載を始めた。食べ物

のことはもちろん、女のことや死生観についてなど幅広く取り上げら

れていて実に面白かった。単行本にまとめられたものがいまは文庫に

もなっているから、興味があったら読んでみてはいかが。

このエッセイのタイトルは、「自分に残された時間はそれほど長くな

かろう」と考えてつけられたのだと思う。もちろん、彼に限ったこと

ではない、すべての生き物にとって、すべての行いは「あと○○回」し

かないのである。

「この世を去るときになって後悔しないように、貴重な日々を精一杯

楽しみたい」

これは、誰もに共通した願いだろう。しかし、願ってはいても、実際

にはなんとなく毎日を過ごしている人が多い。自分の毎日を「楽しく

してくれるもの」を見つけられないのだ。これでは淋しい。

私たちを楽しませてくれるものは、黙って座していて向こうからやっ

て来るものではない。自分で探すしかない。いや、感じ取ると言った

ほうが正確かもしれない。

日本社会は、恵まれている。高齢者が楽しいと感じられることがたく

さんあるが、好奇心がないと気づかない。 本来、好奇心は誰にでもあ

るが、それが活性化されている人と眠ったままの人がいるのだ。

仕事が現役のうちは、関心はもっぱら仕事関係のことに向かっている。

専業主婦であれば、家庭のさまざまな仕事、そして子育てだろう。四

六時中それらに追われて、頭も体も休まるヒマがない。「もっと、自

分の趣味のことも考えたいのに」とグチも出るだろう。

だが、実際にそれらから解放されると、頭が休眠状態に入ってしまう。

どう好奇心を働かせていいかわからなくなる。 

(84〜85p) 

  

教師の仕事は、好奇心がとても役立つと思います。

就いた仕事が良かったと思います。

いやいや、好奇心が役立つから自分で選んだ仕事だと

思っています。

好奇心は自信があります。

この好奇心が、これからの死ぬまでの人生を楽しむ

最強の武器ですね。

私の好奇心は起きています。

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