YouTube動画で、「どうする家康」17話を勉強
今日は令和5年5月10日。
NHKの大河ドラマに関係するYouTube がけっこうあるなと思います。
大河ドラマを見るだけでなく、並行してYouTubeをみることで
とてもいい歴史の勉強ができるなと思っています。
先の日曜日放映の大河ドラマ「どうする家康 17 三方ヶ原の戦い」は
皆さん、見ましたか。
今から書くことは、それを見ていないとわからない話です。
たとえばこの動画。
YouTube <どうする家康>第17話 徹底解説:武田が家康をおびき寄せ?11話に伏線があった!<三方ヶ原合戦>
ヤギシタ・ドラマ解説です。
45分間のドラマを、しっかり解説してくれています。
武田信玄が浜松城をスルーして、呆気にとられた徳川軍。
どうすると家臣たちと考えて、三方ヶ原台地から下りる
狭い坂道を武田軍が行軍しているときに、後ろから攻めれば、
勝機があると決まり、徳川軍は浜松城を出て、武田軍を追います。
この時にテーマ曲が流れたのです。
お、これは面白いと思いました。
馬に乗って疾走する家康や家臣たち。
明るいテーマ曲が流れている中なので、
家康と家臣たちは、武田軍をやっつけるぞという高ぶった気持ちが
出ていました。
しかし、予想に反して、武田軍は、三方原台地で、
徳川軍を待ち構えていました。
その時に、テーマ曲は止まるのです。
ヤギシタ・ドラマ解説でも、このテーマ曲の使い方を述べていて、
そうそう、その通りと思いました。
動画の15分のところから見てみてください。
次の動画では、武田信玄と父親信虎との関係を勉強できました。
信玄は、父親の信虎を甲斐国から追い出しますが、
2人の関係はそんなに悪くなかったようです。
信虎は、なんと信玄よりも長生きしていました。
信虎は、駿河国に追い出されたのですが、
駿河の今川義元の正妻は、信虎の娘でした。
したがって、信虎は今川義元のお舅殿として、
高い地位につくことができました。
生活費は、なんと追い出した信玄から送られていたそうです。
そして桶狭間の戦いで、今川義元が討ち取られると、
信玄に対して「早く駿河を取れ」と手紙を出していました。
信虎は、桶狭間の戦い以後、駿河から京に移り、
13代将軍の足利義輝の相伴衆となりました。
将軍のお付きの人になったのです。
15代将軍義昭の時には、義昭と信長の関係が悪化したタイミングで、
信虎は信玄に「早く信長を討て」と手紙を出しています。
関係が悪ければ、これらの手紙は出しませんよね。
そして信玄が死んだ翌年に、81歳で亡くなっています。
意外でした。
信虎は信玄と再会することは叶わなかったのですが、
勝頼とは対面しています。
信虎のことを復習できたのは、よかったです。
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