「無人島のふたり」⑨ 「明日また書けましたら、明日」
今日は令和5年1月2日。
前記事に引き続き、
「無人島のふたり 120日以上生きなくっちゃ日記」
(山本文緒著/新潮社)より引用していきます。
2021年10月13日に亡くなった山本文緒さんの日記です。
8月17日の日記です。
先日S社のSさんからもらった12年前の写真をよく見る。
私の隣には元担当編集者のユカさんがおっとり優しく、ご本人の人
柄がよく出ている花のような笑顔で立っている。きれいな髪と内側
から発光するような白い肌は、彼女に幸せしかもたらさないように
見える。
でもユカさんはこの6年後の2015年にがんで亡くなってしまっ
た。
面倒見のよいユカさんのまわりにはいつも人が多かったので、それ
だけ悲しんだ人も多くて、私もユカさんの死に打ちのめされたうち
の一人だった。
元気にあふれ、スポーツが好き(得意)で、人に気を配り、楽しい
ことが好きで、仕事が好きで、おいしいものが好きで、犬が好きで、
笑うことが大好きだったユカさんが、まさか、よりによってがんで
死ぬなんて、とショックを受けて、長い時間立ち直れなかったのに、
今度は私だなんて。
(130~131p)
「よりによってがん」の表現に注目。
幸せしかもたらさないようなユカさんを襲ったがん。
それは幸せの対極にあるとても酷な病気という意味だろうか。
治すことが難しく、余命を宣告されるがん。
なんと恐ろしい病気と人類は対面しなくてはならなくなったのか。
「今度は私だなんて」
容赦ないがんの性質を表していると思います。
先日のサークルで、教えてもらったこと。
人間の体では、毎日5000個のがん細胞ができています。
その都度、制がん物質が、そのがん細胞を殺しているのです。
5000勝0敗ならば、がんにはなりません。
殺しそこなったがん細胞が、塊となってがんになるのです。
薄氷を踏むような危うさで、私たちの健康は維持されているのです。
上の文章の続きです。
私はこの病気になって、そんなに自分の病気について実は調べていな
い。最初から”治らない”と言われていたというのもあるけれど、私は
がんについて考えるのが恐かった。
がんって何なのだろう。いやそれは医学的にはもちろん(私でも)多
少は分かっているけれど、ユカさんだけでなく、58歳にもなれば、
ずいぶん沢山の知人ががんで亡くなっている。
ブラックホールに吸いこまれるように、ひゅっと命をとられている。
ユカさんは強い人だったから、がんに打ち勝とうと最後まで闘ってい
た。最後の最後まで新しい治療薬を試そうとしていた。
でも内心は怖かったに違いない。ブラックホールがすぐ足元まで来て
いる気がして何度も泣いたに違いない。
最後にユカさんのお見舞いで病室に行った時、彼女はいつもの笑顔を
見せてくれたけれど、車椅子に乗って酸素の管をつけていた。
「これ、お見舞いでもらったわらびもち、おいしいから一緒に食べよ
う」と言って出してくれた。私はあんな風に最後に笑えるだろうか。
(131~132p)
私は今はがんに対して関心が高いです。
それはきっと、現在がんでないからです。
少なくともがんと言われていないからです。
がんが客観視できるのです。
実際にがんになったら、山本さんのように、
がんについて考えることが恐くなってしまい、逃げると思います。
もちろん、なってみないとわからないのですが、
山本さんの日記が参考になります。
今のうちにがんについて勉強して、予防できるなら実行。
がんになった人の話をたくさん知って、
本当にがんになってしまった時の生き方を
シュミレーションしておきたい。
そんなことを考えています。
10月4日の日記です。
昨日から今日にかけてたくさんの妙なことが起こり、それはどうも
私の妙な思考のせいのようだ。これでこの日記の二次会もおしまい
になる気がしている。とても眠くて、お医者さんや看護師さん、薬
剤師さんが来て、その人たちが大きな声で私に話しかけてくれるの
だけれど、それに応えるのが精一杯で、その向こう側にある王子の
声がよく聞こえない。今日はここまでとさせてください。明日また
書けましたら、明日。
(168p)
この日記が最後です。
山本さんは、9月21日の日記で、この日記の中締めとしたい、
これ以後は二次会でと書いています。
その二次会が終わることを的中させています。
そこに恐れの気持ちはないように思います。
眠くて、意識が遠のく感じです。
本当の最後はこうなってほしいです。
まるで毎日布団に入って寝るように、眠って死を迎えたいです。
「明日また書けましたら、明日」
最後まで書くことにこだわった作家らしい締めの言葉です。
以上、「無人島のふたり」からの引用は終了です。
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