追悼/早川篤雄さん
今日は令和5年1月3日。
新聞を読む時に、最近必ず見るのが訃報欄。
知っている人が載っていないか、
同年代の人が載っていないか、
そんなことを気にするようになりました。
12月31日朝日新聞朝刊の訃報欄より。
早川篤雄さんを私は知りませんでした。
でも1970年代から福島で原発の反対運動に
取り組んだというところに注目しました。
調べたくなりました。
※福島原発事故から11年 ~宝鏡寺早川住職の子孫へのメッセージ~
2022年3月の記事です。
この記事によると、東電福島第一原発一号機が営業運転を
開始したのが、1971年3月26日。
翌年の2月11日に、早川さんたち地元住民は、
「美しい自然に山川と平和の暮らし、我々と我々の子々孫々の命を守る」
と決議して、住民運動を組織したそうです。
活動歴50年以上の方でした。
原発の危険性を訴え、抜本的安全対策の確立、抜本的防災対策の
確立を求めてきました。
しかし事故は起こってしまいました。
早川さんのメッセージには次のように書かれています。
「『フクシマ』が再び美しい自然の山川、平和な暮らし、命をはぐ
くむ日々を取り戻せるのは、万年単位の未来です。しかし、いま行
われている『復興』のウソ・イツワリを確かな目で見破り、ダマさ
れず、ダマらず、世代を超えて声を上げ続けない限り、ありえませ
ん。」
福島に住んでいると、復興の本当が見えるのでしょうか。
自分も福島の復興を、関心をもって見ていきたいです。
東日本大震災から10年後の2021年3月11日に、
早川さんは、私財を使って伝言館を作りました。
正式名称は「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」
どれも日本人が放射線に被ばくした出来事です。
ここに行く機会があれば、勉強したいです。
※伝言館
ここに原発悔恨・伝言の碑というのが載っていました。
その碑文を書き写します。
電力企業と国家の傲岸(ごうがん)に
立ち向って40年 力及ばず
原発は本性を剥き出し
ふるさとの過去・現在・未来を奪った
人々に伝えたい
感性を研ぎ澄まし
知恵をふりしぼり
力を結び合わせて
不条理に立ち向かう勇気を!
科学と命への限りない愛の力で!
40年の反対運動の挙げ句の原発事故。
悔しかっただろうなと思います。
こんな人がいたことを、新聞の片隅で知りました。
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