「本心」①/20年後の世の中を書いた小説
今日は令和5年1月15日。
この本を読みました。
「本心」(平野啓一郎著/文藝春秋)
作者の平野啓一郎さんは、1975年生まれ。
なんと近所の愛知県蒲郡市の出身。
しかし、父親を早く亡くして
2歳からは、母親の実家のある北九州で育ったとのこと。
読後に知った情報です。
今から20年ほど先の近未来の話でした。
母親を事故で失った主人公は、
母親が”自由死”を望んでいたのはなぜか、
その本心が知りたいと考えます。
そこでAIを利用して、仮想空間で〈母親〉を作ってもらいます。
その〈母親〉に情報をインプットしていくことで、
母親の本心を知ることができるのではと考えます。
なかなかワクワクする発想です。
20年後の世界は、”自由死”が認められる世の中でした。
許可が下りたなら死ぬことを選択できるのです。
主人公は、母親が死ぬまで、
ほとんどが親子だけの世界でした。
しかし、母親の死の後に、主人公の生活に、
いろいろな人たちが関わってくるようになります。
そのことにより、主人公の気持ちが揺れ動いていきます。
予想外の展開もあって、面白かったです。
20年後にはこんな世の中になるんだと
垣間見せてくれた小説でした。
449ページ。
久々に読んだ長編小説だなと思いました。
印象に残った文章を引用します。
彼は額に皺(しわ)を寄せて、柔和に破顔した。
(17p)
また「破顔」に出合ったと思いました。
破顔は大笑いではなく、少し笑う意味。
ここでは「柔和に」がついているので、
正しい意味で使われているなと思いました。
死が近づくと、人の思念の中では、過去の川が一筋の流れであるこ
とを止めて、氾濫してしまうのかもしれない。堰を切ったように、
誕生から現在までの存在の全体が、体の中に満ちて来る。肉体には、
その隅々に至るまで、懐かしさの気配が立ち籠(こ)める。
いずれ、この世界から、諸共に失われてしまうなら、肉体が記憶と
陸み合おうとするのも当然かもしれない。
(25p)
老人が、死ぬ前に、以前住んでいた場所を見たいと要求します。
その直後の文章。
昔の思い出の場所に出かけていきたいという気持ちを表現したものか。
死ぬ間際には、過去が氾濫するものなのか。
作家は、想像力で、その境地を想像してしまうのか。
本当はどうなんだろう。
「何にも不満はないのよ。お母さん、今はすごく幸せなの。だから
こそ、ーーーだから、出来たらこのまま死にたいの。どんなに美味
しいものでも、ずっとは食べ続けられないでしょう?あなたはまだ
若いから、わからないでしょうけど、もうそろそろねって、自然に
感じる年齢があるのよ」
(37p)
母親が”自由死”を言い出したのは、70歳手前です。
「もう十分に生きたから」を繰り返す母親が、言った言葉です。
主人公の息子は、母親の本心を知りたいと思います。
これは母親の本心だろうか?
こんなふうに思うのだろうか。
母のライフログをすべて学習したVFは、僕に何か、思いがけない
真相を語り出すのだろうか?母の本心?だから、死にたかったのだ、
と。ーーー勿論、VFに心などない。しかし、僕が訊ねれば統語論
的に分析して、適切な回答をしてくれるのではあるまいか。・・・・
(43p)
VFはバーチャルフィギア。
仮想空間で死んだ母親を作った主人公。
その母親には、母親のライフログをできるだけ覚え込ませました。
そうしたら、母親の本心を、VFが言ってくれるかもしれないという話。
この小説の、この設定がとっても面白い。
僕たちが、何でもない日々の生活に耐えられるのは、それを語って
聞かせる相手がいるからだった。
もし言葉にされることがなければ、この世界は、一瞬毎に失われる
に任せて、あまりにも儚い。(後略)ーーー
(67p)
だから家族は必要なのか。
だから人は日記を書いたり、ブログを書いたりするのか。
つづく
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