「無人島のふたり」⑦ 闘病記ではなく逃病記
今日は令和5年1月1日。
前記事に引き続き、
「無人島のふたり 120日以上生きなくっちゃ日記」
(山本文緒著/新潮社)より引用していきます。
2021年10月13日に亡くなった山本文緒さんの日記です。
8月2日の日記です。
昨日まとめたこの日記の原稿を、S社のSさんに送って読んでもら
った。活字にしたいです、と言ってもらえてほっとした。
送ったのはまだ前半の救急搬送されたところまでだが、改めて読み
返して、これは闘病記ではなく逃病記だなあとしみじみ思った。
(中略)
ただ私はがん宣告を受け、それがもう完治不能と聞いた瞬間に「逃
げなくっちゃ!あらゆる苦しみから逃げなくっちゃ!」と正直思っ
た。それが私にとっての緩和ケアなのかもしれない。しかし、こう
思ったのと同時に、あらゆる苦しみから逃げるのは不可能である、
ということも分かっていたように思う。
今、私は痛み止めを飲み、吐き気止めを飲み、ステロイドを飲み、
たまに抗生剤を点滴されたり、大きな病院で検査を受け、訪問医療
の医師に泣き言を言ったり、冗談を言ったり、夫に生活の世話をほ
とんどしてもらったり、ぐちを聞いてもらったり、涙を受け止めて
もらったりして、病から逃げている。逃げても逃げても、やがて追
いつかれることは知ってはいるけれど、自分から病の中に入ってい
こうとは決して思わない。
(110~112p)
治る見込みがあるなら闘病記になるだろうけど、
余命宣告をされているなら、やっぱり逃げると思います。
現実から逃げたいと思うと思います。
でも私だって、いつかは死ぬことはわかっていることから、
逃げて暮らしていると同じかな。
8月17日の日記です。
私はこの病気になって、そんなに自分の病気について実は調べてい
ない。最初から”治らない”と言われていたというのもあるけれど、
私はがんについて考えるのが恐かった。
がんって何なのだろう。いやそれはウ学的にはもちろん(私でも)
多少はわかっているけれど、ユカさんだけでなく、58歳になれば、
ずいぶん沢山の知人ががんで亡くなっている。
ブラックホールに吸いこまれるように、ひゅっと命がとられている。
ユカさんは強い人だったから、がんに打ち勝とうと最後まで闘って
いた。最後の最後まで新しい治療薬を試そうとしていた。
でも内心は怖かったに違いない。ブラックホールがすぐ足元まで来
ている気がして何度も泣いたに違いない。
最後にユカさんのお見舞いで病室に行った時、彼女はいつもと同じ
笑顔を見せてくれたけれど、車椅子に乗って酸素の管をつけていた。
「これ、お見舞いでもらったわらびもち、おいしいから一緒に食べ
よう」と言って出してくれた。私はあんな風に最後に笑えるだろう
か。
(131~132p)
私はがんが恐いです。がんになりたくないです。
ならないためにはどうしたらいいか、よく考えています。
でも、がんについて意識しすぎると、
がんが寄ってくるような気持ちになります。
がんのことなんかちっとも考えずに、
日々暮らしていたら、結局がんは寄ってこないのではとも思います。
私は、がんと宣告されるまでは、
がんを意識して、調べたりもすると思います。
でも、いざがん宣告を受けたら、山本さんと同じで、
がんから逃げるだろうなあ。
迫りくるブラックホールに吸いこまれたらどうなってしまうんだと、
考えるだけでパニックになりそうです。
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