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2023年1月 1日 (日)

「無人島のふたり」⑦ 闘病記ではなく逃病記

     

今日は令和5年1月1日。

       

前記事に引き続き、

「無人島のふたり 120日以上生きなくっちゃ日記」

(山本文緒著/新潮社)より引用していきます。

   

2021年10月13日に亡くなった山本文緒さんの日記です。

   

8月2日の日記です。

  

昨日まとめたこの日記の原稿を、S社のSさんに送って読んでもら

った。活字にしたいです、と言ってもらえてほっとした。

送ったのはまだ前半の救急搬送されたところまでだが、改めて読み

返して、これは闘病記ではなく逃病記だなあとしみじみ思った。

(中略)

ただ私はがん宣告を受け、それがもう完治不能と聞いた瞬間に「逃

げなくっちゃ!あらゆる苦しみから逃げなくっちゃ!」と正直思っ

た。それが私にとっての緩和ケアなのかもしれない。しかし、こう

思ったのと同時に、あらゆる苦しみから逃げるのは不可能である、

ということも分かっていたように思う。

今、私は痛み止めを飲み、吐き気止めを飲み、ステロイドを飲み、

たまに抗生剤を点滴されたり、大きな病院で検査を受け、訪問医療

の医師に泣き言を言ったり、冗談を言ったり、夫に生活の世話をほ

とんどしてもらったり、ぐちを聞いてもらったり、涙を受け止めて

もらったりして、病から逃げている。逃げても逃げても、やがて追

いつかれることは知ってはいるけれど、自分から病の中に入ってい

こうとは決して思わない。

(110~112p)

  

治る見込みがあるなら闘病記になるだろうけど、

余命宣告をされているなら、やっぱり逃げると思います。

現実から逃げたいと思うと思います。

でも私だって、いつかは死ぬことはわかっていることから、

逃げて暮らしていると同じかな。

      

8月17日の日記です。

   

私はこの病気になって、そんなに自分の病気について実は調べてい

ない。最初から”治らない”と言われていたというのもあるけれど、

私はがんについて考えるのが恐かった。

がんって何なのだろう。いやそれはウ学的にはもちろん(私でも)

多少はわかっているけれど、ユカさんだけでなく、58歳になれば、

ずいぶん沢山の知人ががんで亡くなっている。

ブラックホールに吸いこまれるように、ひゅっと命がとられている。

ユカさんは強い人だったから、がんに打ち勝とうと最後まで闘って

いた。最後の最後まで新しい治療薬を試そうとしていた。

でも内心は怖かったに違いない。ブラックホールがすぐ足元まで来

ている気がして何度も泣いたに違いない。

最後にユカさんのお見舞いで病室に行った時、彼女はいつもと同じ

笑顔を見せてくれたけれど、車椅子に乗って酸素の管をつけていた。

「これ、お見舞いでもらったわらびもち、おいしいから一緒に食べ

よう」と言って出してくれた。私はあんな風に最後に笑えるだろう

か。

(131~132p)

   

私はがんが恐いです。がんになりたくないです。

ならないためにはどうしたらいいか、よく考えています。

でも、がんについて意識しすぎると、

がんが寄ってくるような気持ちになります。

がんのことなんかちっとも考えずに、

日々暮らしていたら、結局がんは寄ってこないのではとも思います。

私は、がんと宣告されるまでは、

がんを意識して、調べたりもすると思います。

でも、いざがん宣告を受けたら、山本さんと同じで、

がんから逃げるだろうなあ。

迫りくるブラックホールに吸いこまれたらどうなってしまうんだと、

考えるだけでパニックになりそうです。

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楽餓鬼

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