本「眩(くらら)」① 「富嶽三十六景」を描く決心
今日は令和4年1月30日。
この本を読みました。
「眩(くらら)」(朝井かまて著/新潮社)
上の写真は新潮文庫の写真ですが、
私が読んだのは新潮社の単行本でした。
ドラマ「眩」を見て、いつかは原作を読もうと思っていました。
実行しました。
※ここでも道草 番画〈527〉〈528〉:ドラマ「眩(くらら)北斎の娘」を見た(2021年11月26日投稿)
引用します。
親父どのは住まう場というものにおよそ執着がないだけでなく、と
くに工房にしている部屋は掃除の手が入るのを断じて拒否する。壁
や畳が腐れても平気の平左、軒に蜘蛛の巣が張ればそれを喜んで眺
めるので、「このままじゃ根太(ねだ)からやられる」と家主に追
い出されたこともあった。
家の事に細々と構いつけるのが嫌いなお栄が呆れるほど、親父どの
は混沌を好むのだ。
(48~49p)
「混沌を好む」に魅かれました。
葛飾北斎はそういう人だったんだと思いました。
目を凝らせば、この世のどこもかしこもが色の濃淡で出来ていた。
光が強く当たっているところは色が薄く、暗い場では色が沈む。
そうか、光だ。光が物の色と形を作ってる。
一瞬、わかったような気になって意気込んだ。が、いざ手を動かそ
うとしたら二進も三進もいかない。呻吟(しんぎん)して外を出歩
き、人を見、物を見た。それでも闇雲に下絵を描き続けるうち、目
で見た通りの陰影は色の濃淡で表せるんじゃないかと考えついたの
だ。
(100p)
お栄の特徴は、光の描き方だと聞いた覚えがあります。
この文章は、お栄の境地を表しているのかなと思いました。
葛飾北斎の言葉です。☟
「だが、たとえ三流の玄人でも、一流の素人に勝る。なぜだかわか
るか。こうして恥をしのぶからだ。己が満足できねぇもんでも、歯
ぁ喰いしばって世間の目に晒す。やっちまったもんをつべこべ悔い
る暇があったら、次の仕事にとっとと掛かりやがれ」
(102p)
ドラマ「眩」でも印象に残ったセリフでした。
前進あるのみなんだなあ。
小兎の本音が出た。お栄に婿を取って、自分たち夫婦は隠居をしよ
うという肚(はら)である。
親父どのは、「隠居」と耳にした途端、眉を逆立てた。
「俺は隠居なんぞしねぇと言い渡してあんだろう。俺には描きたい
ものがまだ、山ほどある」
ふだん、「女房には逆らうまい」と言い暮らし、小兎に大きな声を
出すこともない。ところが隠居云々を小兎が持ち出すと、様子が一
変する。病除けの鍾馗(しょうき)のごとき形相になる。
(118~119p)
自分にも隠居したくない活動(仕事)ってないだろうかと思う。
見つけていきたいな。
最近思うのは、ルポです。ルポをずっとやっていきたい。
お栄と善次郎との会話。
「これ、どうだ」
ようやく声を絞り出した。
「何、この青」
「ベロ藍よ。知ってんだろ、南蛮渡りのベルリン藍ってぇ顔料。(略)」
(161p)
ベロ藍の登場シーン。
このベロ藍が登場したことで、富嶽三十六景が生まれます。
「もしかして、とんでもない勝負師かい、三代目は」
すると親父どのは「まあな」と、口の奥をせせるような音を立てた。
「こいつぁ大博奕(ばくち)になる」
「で、親父どのは何を描く」
「富士だ」
すぐに言葉が返ってきて、お栄は目を開いた。
「富士って、前から書き溜めてた、あの富士の山」
「そうだ。隠居した二代目と、いつか景色(けいしょく)物を出そ
うと約束をしてた。
それは知っている。親父どのは小兎を喪って後、ひたすら富士を描
いていたのだ。嘆き哀しむ代わりのように、筆を持っていた。
「江戸者にとっちゃ、富士こそ吉祥(きっしょう)だぁな。俺はも
う一遍、一から描き直して西村屋に渡す」
親父どのはその錦絵で西村屋の困窮を救いたいと考えているのだろ
う。「吉祥」という言葉に力を籠めたような気がした。
「わかった。他の仕事は全部、あたしが引き受ける」
星々を見上げながら、お栄は胴震いをした。
善さん、あたしらは挑むよ。この凶を吉に替えてみせる。
(193~194p)
「富嶽三十六景」を描くことを決心したシーン。
葛飾北斎にしても、一世一代の決心でした。
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