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2020年12月 5日 (土)

「孤塁」①2月に福島県に行ったことが理解の助けになった

   

今日は令和2年12月5日。

  

この本を読みました。

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「孤塁」(吉田千亜著/岩波書店)

 

読むきっかけになったのは、新聞記事でした。☟

ここでも道草 吉岡逸夫さんの本等3冊、図書館に予約しました(2020年11月15日投稿)

  

今年2月に福島県に行きました。

ここでも道草 2020福島報告(1)国道288号線を東進/田村市(2020年2月24日投稿)

その時に出向いた大熊町、富岡町、郡山市、田村市が

この本の中に出てきました。

行かなかったけど、双葉町、川内村の町村名は目にしました。

この旅行の体験が、この本の理解の助けになりました。

それとともに、私は知識不足であの場所に行ったんだなと思いました。

知識不足なのに、地元の人たちに話を聞いていました。

赤面です。

2011年3月11日に始まる大変さをあらためて知りました。

  

  

この本は図書館で借りた本。

明日には返す本です。

できるだけ引用したい。

この本を読み返すのではなく、

このブログを読み返すことで、この本のことを思い出せるように。

忘れたくない本です。

  

3月11日のことです。

  

富岡駅周辺も津波で無残な光景が広がっていた。志賀隆充は、四人の

職員のうち一人を津波が見える地点に配置し、「津波が見えたら笛を

吹け」と指示した。消防士一年目の秋元康志(25・富岡町消防署警

防第一係)もこの捜索に加わった。

大津波警報はまだ解除されていなかった。瓦礫は数メートルの高さに

なるところもあった。駅から直線距離で四〇〇メートルほど手前の宮

嶋歯科医院までしか車では行けず、そこから徒歩で捜索に入った。

「声をあげてください!」

「音を鳴らしてください!」

と声をかけ、「みんな、静まれ」とサイレントタイムを作る。慎重に

歩を進めた。「助かる命をなんとか助けたい」という思いがあった。

志賀は、これまでの消防生活も常に「自分の家族を助けに行くのと同

じ」という思いで活動してきたのだ。

津波を知らせる笛が何度も鳴る。そのたびに三人はいったん捜索を中

断し、高い場所へと逃げた。

富岡駅の前までたどり着き、「誰かいますか!」と呼びかけると、風

か地響きか、音が聞こえた。唸り声?人の声っぽいな、と思い、胸の

高さほどあるプラットホームにのぼると、目の前の瓦礫の中に、灰色

の人形(ひとがた)が見えた。腕に電線がからまっている。「うぅ」

という声の主は、その人だった。

志賀は電線を外し、もう一人の職員とホームへ持ち上げようとしたそ

の時だった。「ピーッ」と笛が鳴った。津波が来る。咄嗟に、二人は

その灰色の身体の首根っこをつかみ、ホームの渡り廊下を目指して全

力で走り、階段を駆け上がった。その直後、渡り廊下の下を、どーっ

という音とともに、津波が通り過ぎていった。「うそだろう」。志賀

は、この時もそう思った。すべてが悪夢のような時間だった。

「おんちゃん、泥飲んで、苦しいね」

と声をかけながら泥を落とすと、胸から警察バッチと手帳が出てきた。

瓦礫の中から大きな板を見つけ、それを担架代わりにした。無線で車

が入れる宮崎歯科医院前まで救急車を要請し、瓦礫の山の中を慎重に

運んだ。

(23~24p)

  

サイレントタイムは大事な時間です。

それで発見された警察官。

きっと警察官の責務を一生懸命にやられた方だと想像します。

助かってよかった。

  

  

次の投稿につづく

   

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