「長期ひきこもりの現場から」⑰ ひきこもり支援の歴史のなかで繰り返し起きている悲劇
今日は令和2年8月14日。
5月23日の続きです。
これだけ引用する本はなかったです。
「ドキュメント・長期ひきこもりの現場から」
(石川清著/洋泉社)より引用します。
長期重篤のひきこもり問題の解決に対して、僕個人が見る限り、
まだ本当の意味での有効的な解決方法は確立されていない。たしか
に行政ではひきこもり支援の窓口や施設を用意しているし、民間で
ひきこもりを支援する団体も増えている。医療の理解や対応も年々
進歩している。
しかしまだ、長期重篤なひきこもりを抱える家族は、どこに相談
しても十分な対応をしてもらえないケースがある。もちろん、なか
には、熱心な医療機関や支援団体、支援者がいたりする。しかし、
全国のひきこもりを抱える家族や当事者の誰もが、自分たちの希望
や意志を丁寧に汲み取ってくれるような十分な支援を受けられるわ
けではない。当事者が反抗的な態度をとったり、なんの反応も見せ
ないような面倒なケースは、さりげなく避けられ、見捨てられるこ
とがある。少なくともそういう仕打ちを受けた経験をもつ家族は多
く存在している。こうした状況はひきこもり問題の性質上、簡単に
は解消されないのだ。
(277p)
「なんの反応をみせない」ものなのだと
腹をくくらなければいけないのだ思っています。
手紙を渡したり、ドアの前で一方的に話したり・・・
少しでも時間を共有することの積み重ねで、
コミュニケーションが始まると期待したいです。
良心的な医療や支援の側が、まだ十分な対応力や解決力をあま
ねく備えていないことが、僕は多くの家族が、暴力的な手法の団
体にすがってしまう大きな要因のひとつと考えている。長期間の
家族内の問題に疲弊し、心身ともにボロボロになって、しかも孤
立して、どうしようもなくなって、挙げ句の果てに思考停止状態
に陥って、あきらめてしまう。そうなった末に、TVタックルで
放送されたような状況になるのではないかと考えている。
(277~278p)
「家族の疲弊」「家族の孤立」
辛い状況です。
ひきこもりは、本人だけでなく家族も巻き込む、
とっても大きな社会問題です。
重篤なひきこもりのケースで得た印象を、外出や人間関係を形
成できるような比較的軽いひきこもりの人たちに対して抱くべき
ではない。それは誤解や偏見を助長する。
だからといって「大部分の比較的軽いひきこもりの人」は「少
数の長期重篤な人」と「全然違う」のだから一緒にするな、「長
期重篤なケースの人は、大勢の軽いひきこもりに含めない」とい
うのも差別を助長するおそれがある。
ひきこもり支援の歴史のなかで繰り返し起きている悲劇がある。
長期重篤な問題を抱えたひきこもりは、やれ「ひきこもりを定
義しよう」、やれ「ひきこもりを分類しよう」という議論が巻き
起こるたびに、支援の枠から除外されて、”見捨てられて”きた。
比較的軽い症状の人が救済されてきたのである。この哀しい現象
について、全国ひきこもり親の会を設立した故・奥山雅久さんは
「棄民」と称していた。
(280~281p)
ひきこもり支援の哀しい歴史を知りました。
つづく
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