「八本目の槍」読破/一頻り 零した 途轍 綻ばせた
今日は令和2年7月12日。
この本を読みました。
「八本目の槍」(今村翔吾著/新潮社)
八本目の槍とは、石田三成(佐吉)のことでした。
石田三成が、1000年後まで見通せるような知恵者として
描かれていました。
ちょっと持ち上げすぎだと思う程でした。
やっぱり歴史物は面白い。
社会科教師。
この歴史物の面白さを伝えることができる立場に
今いるんだよなあ。
伝えたい。
教師はお節介なんだよなあ。
この小説では、漢字が気になりました。
現に皆が順に名乗り、一頻り話した後、殿下はぽつんと零した。
(196p)
アンダーラインを引いたところには、ふりがながなく、
読めませんでした。
調べました。
「一頻り」は「ひとしきり」でした。
「零した」は「こぼした」でした。
「零」は「レイ」「ゼロ」と読みますが、
「こぼす」という意味があるのですね。
雨冠なので、水に関わる意味はあるだろうなとは予想しました。
米に換算すすれば実に二千五百万石。途轍も無い額であり、喉か
ら手が出るほど家康が欲するのも理解出来る。
(364p)
そうか「とてつ」は漢字で書くと「途轍」なんだ。
語源が気になります。
語源由来辞典によると・・・
「轍」は「わだち」です。
「途」は「道」を表します。
転じて「途轍」は「筋道」「道理」の意味になります。
そして「途轍もない」は「常識では考えられない」「並外れた」
という意味になるわけです。
「とてつもない」が構造的に理解できました。
小説の最後はこの一文。
市松は雲一つ無い蒼天を仰いで口を綻ばせた。
(394p)
「綻ばせた」は「ほころばせた」と読むのかなと思って調べたら、
正解でした。
「綻」は「ほころびる」「破れる」意味があるそうです。
この漢字を使った熟語がありました。
有名です。
「破綻(はたん)」
なるほどです。
「タン」と読むのは抵抗があります。
「定」の字につられて「テイ」とよみたくなります。
以上です。
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