「脳科学者の母が、認知症になる」④ 脳は記憶を編集し続ける
今日は令和2年1月27日。
前記事に引き続き、
「脳科学者の母が、認知症になる」
(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。
「今これをやっているのは私だ」「これは私がやったのだ」と
いう感覚は、脳科学では、「主体性の感覚」と呼ぶ。これは、
人間の幸福に重大な影響をもたらすことが知られている。
主体性の感覚を奪われた人は、たとえば鬱病になりやすい。人
間は何にでも自分の作用を見たがるところがあり、自分が絶対
にコントロールできないランダムな事象、たとえば、宝くじの
ようなものにすら、「自分でよく考えて番号を選べば当てられ
る」と思い込んでいる。たとえ錯覚であっても、物事が自分の
おかげで良くなった、自分の影響を与えられた、と感じること
で、自分の意味を確認する。「自分で物事が決められている」
という実感は大切なのである。それが全く得られないと、自分
は無力だと落ち込んでいってしまうことになる。
(89p)
アルツハイマー型認知症の患者の主体性は奪われやすいのです。
父親は、ショートスティやデイサービスに行くことを、
「仕事」と認識しています。
家族のために働きに行っていると思っているのです。
「もう俺は身体が辛いから、そろそろお前が行けよ」
と父親から声をかけられることもあります。
父親なりに、出かけることに主体性を持たせているのだと
思いました。
全ての人の中に、忘れがたい大事な記憶があるだろう。そうい
う「絶対に忘れない」という自信がある、いつでも鮮明に蘇る
記憶でも、実は新しい経験と共に、また再び思い出すと共に、
変化を受けていると言われている。(中略)
全部覚えている方が良い、記憶は正確である方が良い、と思う
人もいるかもしれない。しかし、脳のサイズが有限だからこそ、
膨大な量の情報の中から少しでも有用なことを抽出しようと、
脳は記憶を編集し続けるのだ。
記憶内容が変わることは、脳が私たちがうまく暮らすために工
夫した結果なのである。
(99~100p)
過去の記憶は都合よく変わっているもんなあ。
自分のために編集されているのだと思いました。
アルツハイマー型認知症で、大きな問題になっているのは、そ
の人の役割を家族は肩代わりすることが増えて、自立した者同
士の関係でなく、依存関係にどうしてもなってしまうというこ
とだ。つまり、アルツハイマー病を患った本人(自己)と家族
(他者)との区別があいまいになってしまうのである。
(中略)
その人の仕事を家族が引き受けすぎて、互いの線引きができな
くなることは、互いにとって、精神的にも、体力的にも苦しこ
とは事実だ。
本人にとって、自分で自分の生活を営めなくなることは、非常
に自尊心を傷つけられる。また、家族にとっても、自分の時間
がとれなくなっていくこと、相手に合わせた生活になっていく
ことは、病気の本人と同じくらい、「自分で自分の人生を導い
ている」という感覚を感じにくくなる。
(中略)
アルツハイマー病では、家族以外のたくさんの人にかかわって
もらって、本人も含め家族一人ひとりが、自分自身の時間を作
ることは、とても大事だ。
(中略)
本人は「家族に自分のことを管理されている」という気持ちか
ら解放されるだろうし、家族の方も自分の人生をちゃんと進め
ている気持ちになれる。
(114~116p)
老々介護のように、2人だけで介護する・介護される状況は、
危険なんです。
まだつづく
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