「脳科学者の母が、認知症になる」⑤ 脳は徹底的に効率化を図るもの
今日は令和2年1月28日。
昨日の記事に引き続き、
「脳科学者の母が、認知症になる」
(恩蔵絢子著/河出書房新社)より引用していきます。
脳の中では、他人と自分を同一視するのが基本ではあるのだが、
人間は発達するに従って、本当に他人のことを理解するために、
徐々に他人と自分との切り離していかなければならない。
この切り離しは、家族など、親しい間柄であればあるほど、難
しいのだと思われる。
脳の中には、たとえば、人が痛みを与えられているのを見ただ
けで、自分が実際に痛みを受けているように活動する部位があ
る。自分の体には直接痛みは受けていなくても、他人が痛がっ
ていると、本当に「痛い!」という反応が自分の中に起こる。
これがいわゆる「共感」の脳活動だ。
この「共感」の脳活動の度合いは、痛みを受けているのが誰か
ということで変わる場合があることが知られている。自分にず
っと優しかった人が、痛みを与えられているところを見れば、
自分に冷たかった人が痛みを与えられているのを見るよりも、
私たちの脳は、ずっと強く共感して「痛たたた!」という活動
をする。
同じように、自分のパートナーや、自分の子どもに何かが起こ
ったときは、赤の他人に対するよりもずっと強い共感を持つこ
とは、想像に難くないだろう。夫婦や親子は脳の中でがっちり
と一体になっていると考えられ、それゆえに、切り離しが必要
になったときには、難しいことがあると思われる。
アルツハイマー病になった後、もともとの関係性が親しければ
親しいほど、その人と自分との切り離しがうかくいかず、「こ
の人には伝わるはずだ」「自分が思っている通りに受け取って
くれるはずだ」と仮定し続けてしまう。
私は、母が自分の意図や感情を汲んでくれることはどうしても
当然だと思ってしまう。だからこそ伝わらなかったときのショ
ックが強いのである。
(129~130p)
この話を読んで思い当たることがあります。
一緒に住んでいる大学生の息子のこと。
結構無茶なことをします。
夜遅く出発して長野県まで自動車で出かけたりします。
気が気じゃなくて、お守りを渡したりして事故らないことを祈り、
無事に帰ってきたらホッとします。
もし、これがどこか遠くの大学に入学して、
そちらに住んでいれば、ここまで心配しないように思えます。
一緒に住んでいるが故に心配になっていると思うのです。
「共感」の度合いが強くなっていると思います。
父親とも長年同居しているので、
父親の変化は当初はショックであり、
早急にどうにかしなければと動いた覚えがあります。
一緒に住んで、顔を突き合わせている家族というのは、
自然と「共感」は強くなり、うれしいこともつらいことも
一緒に感じられるのでしょう。
そもそも脳は、徹底的に効率化を図るものである。
それはこんな実験から説明することができる。
美術館に行って、彫像を見て帰ってくる。このとき、ただ見て
帰ってきた人と、みた上で最後に写真を撮って帰ってきた人と、
どちらの方が後々までその彫像のことを細部にわたって覚えて
いるか、ということを調べた実験がある。
結果は、前者の、ただ見て写真を撮らずに帰った人の方が、彫
像のことを後々まで詳細に記憶していた。写真を撮ると、写真
に残っているから、わざわざ自分の中に残しておく必要はない、
と脳は記憶を手放してしまうのだ。
人の話を録音したり、メモしたり、ということも、写真を撮る
のと同様で、録音機やノートという、脳が記憶の外部装置とし
て使える物があることになるので、脳は記憶を手放してしまう。
(133p)
これは実感としてそう思います。
私はこうやって書き留めていますが、その分、
脳はきっとこれは覚えなくていいなと思っている可能性があります。
そうならないためにも、読み直しが必要なのです。
読み直すことで、脳が「これは必要な情報」と
認識してくれるでしょう。
う~ん、脳の話はやっぱり面白いなあ。
まだつづく。
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