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2019年12月24日 (火)

「医者、用水路を拓く」③ 次男を失っていた中村哲さん

今日は令和元年12月24日。

 

前記事に引き続き、

医者、用水路を拓く アフガンの大地から

世界の虚構に挑む」(中村哲著/石風社)より引用します。

  

日本に帰国した折に報ぜられた「アフガン情勢」は、目前にし

た事実と余りに異なるものであった。最も誤解を与えた映像は、

「タリバーンの圧政から解放され、北部同盟軍の進駐を歓呼し

て迎える市民たち。ブルカを脱ぐ女性たちの姿」である。これ

がテレビで繰り返し流された。この映像を見た福岡市の米国領

事は、「アフガニスタンの解放に感銘を覚える」と語ったが、

これは錯覚だった。わずか5年前の1996年9月、タリバン

軍がカーブルを陥(お)として進駐した時も、同じカーブル市

民が歓呼して迎えたのである。ジャララバードでも同様で、私

はその場にいた。殆どの市民たちにとっては、「争いません」

という意思表示以上のものではなかった。

(51~52p) 

  

前記事にも書きましたが、

タリバーンのイメージは「悪」でした。

この本を読んで、少しは中立の立場で

見ることができるようになりました。

  

   

人は思いもせぬ事情に遭遇し、流されてゆく。摂理は推し量り

がたい。時代は、私たち個々の運命と交差しながら、模様を織

り成して流れてゆく。

自分も例外ではなかった。一連の激しい変化の渦中に、その後

の身の回りを決定する出来事があった。2002年12月、脳

腫瘍で死期が近いことを宣告されていた次男の容態が、急速に

悪化し、12月4日、急遽帰国した。(中略)

次男はまだ精神状態が正常だった。前年の2001年6月に脳

腫瘍(悪性神経膠腫/こうしゅ)と診断されていた。(これは小

児には稀な病気だが、2年後の生存率はゼロに近く、死の宣告

に近かった。)折悪しく、旱魃対策、アフガン空爆、食糧配給

など自分の人生でも多忙な時期に当たった。現地と吾が子と、

まるで爆薬を2つ抱えているようで、精神的な重圧になってい

たのである。

(74p)

  

12月27日夕刻。容態が急変。昏睡状態に陥り、深夜に呼吸

が停止した。2分後に心臓が停止、瞳孔が開いて神経反射が完

全に消失、往診で診てもらっていた豊増医師の立会いで「脳ヘ

ルニアによる延髄圧迫・脳死」と判断された。享年10歳。親

に似ず優しい聡明な子であった。

(76p)

  

中村哲さんはアフガニスタンで頑張っている時に、

次男の死という体験もされていたのです。

それを乗り越えての活動だったんですね。

壮絶です。

  

  

タリバーン政権時代にほぼ絶滅に追いやられたアヘン栽培が盛

大に復活したのは、このため(砂漠化)である。ケシは乾燥に

強い上、小麦の約100倍の現金収入を得ることができる。水

欠乏に窮した農民たちは、こぞってケシの作付けを行ったから、

2003年末までに、アフガニスタン一国で世界の麻薬生産の

七割を占めるに至った(2006年には93パーセントに上昇、

2007年には前年比34パーセント増え、世界の麻薬を独占

した。アヘンの主な消費地はヨーロッパとアメリカである)。

(81p)

  

それぞれに事情がちゃんとあります。

水不足で困窮したアフガニスタンの農民はケシを作ったのです。

ケシなら育てることができ、現金が手に入ったのです。

  

つづく

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