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2019年10月29日 (火)

「雪虫の飛ぶ日」④/「宮田号」と「ノーリツ号」について

  

今日は令和元年10月29日。

  

雪虫の飛ぶ日 新十津川物語6

(川村たかし著/偕成社)からの引用です。

  

主人公のフキの孫の兄弟、和彦と幸彦(さちひこ)が

あいへのお祝いの自転車をめぐって、言い合っています。

  

(幸彦)「でもさ、自転車はノーリツ号のほうがはやいんだぜ。」

(和彦)「ばっか、この宮田号のほうが上等だい。」

  

ここで私の好奇心のアンテナにピピッと来ました。

自転車で「宮田号」と言えば、宮田自転車のことか?

「ノーリツ号」ってあるのか?

  

調べました。

まずは宮田自転車について。

いろいろ調べましたが、墨田区教育委員会の

「宮田製作所跡」の説明板が参考になりました。

10c29e4b542e1dd6601b97976c830de3 菊川三丁目町会

これを読むと、鉄砲づくりから自転車づくりに

移ったことがわかります。

明治36年(1903年)には、

アメリカの自転車をモデルにした「旭号」を

内国勧業博覧会に出品しています。

  

恭之助があいに自転車をプレゼントしたのは、

昭和7年(1932年)の春のことです。

宮田自転車はすでに存在しています。

残念ながら「宮田号」なる名前は検索でひっかかりませんでしたが、

おそらく、宮田自転車の自転車でしょう。

 

  

「ノーリツ号」は存在するかどうか。

写真でひもとく街のなりたち 明治期に始まった産業

☝ ここを見るとわかりました。

名古屋にあった岡本自転車工業が、大正時代から

「ノーリツ号」を作っていました。

「雪虫の飛ぶ日」の話の中に出てきてもおかしくないです。

  

昭和自転車 Vintage Japanese Bicycles

☝ ここを見ると、岡本自転車工業が、

明治36年(1903年)に

「最初の国産自転車を完成した」とあります。

宮田自転車が「旭号」を出品した年です。

  

日本の自転車史にとって、明治36年(1903年)は

重要ですね。

  

   

本を読んで、それがきっかけに好奇心が動いて

新たなことを知るのは面白い。

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