「偉人たちのあんまりな死に方」2/長く瀉血がよいと思われていた
今日は令和元年7月29日。
前投稿に引き続き、「偉人たちのあんまりな死に方」
(ジョージア・ブラック著/梶山あゆみ訳/河出文庫)から
引用していきます。
16世紀には長生きする者などいない。
35歳を迎えられたら運がいいといわれた。
いろんな疫病に天然痘、想像を絶する悪夢のような病の数々。
医者にはどうすることもできず、人は蠅のように次々と死んだ。
ガリレオは45歳になってから(もちろん同年代の仲間は
すでにほとんどが旅立っている)望遠鏡の制作にとりかかる。
最初はあまりうまくいかず、紙を丸めて覗くのと大差がなかったが、
改良を重ねるうちに倍率20倍のものを完成させた。
これなら現代のおもちゃ屋で売っているものと比べても
見劣りがしない。
ガリレオは望遠鏡を空に向け、そしていくつもの発見をした。
(83p)
そしてついに鉛中毒がこの男をとらえる。
1642年1月8日、ガリレオはイタリアのアルチェトリで
腎不全に斃(たお)れた。77歳だった。
人生を2回分生きたといっていい。
異端者とされたために、ガリレオには盛大な葬儀が許されなかった。
遺体はフィレンツェのサンタクローチェ教会に運ばれ、
物置程度しかない小さな部屋に葬られた。
(中略)
1992年、カトリック教会はガリレオ裁判の誤りを認めて
ようやく正式に謝罪した。死後350年が過ぎていた。
(85~86p)
◆ゴミとともに去りぬ
・モーツァルトの未亡人、コンスタンツェは、
亡夫の未完の楽譜を多数処分してしまった。
・ベートーヴェンの秘書は、ベートーヴェンが筆談に使った
ノート400冊のうち260冊を捨ててしまった。
・ジョージ・ワシントンの妻のマーサは、互いに交わした
恋文をほぼすべて燃やしてしまった。
・クリストファー・コロンブスの遺族は、残された地図や
海図をすべて売りはらってしまった。
(96~97p)
死んでしまえばそんなものですよね。
私が今死んだら、12000番組をこえるビデオテープ、
DVD-R、BD‐Rなんて、処分されちゃうだろうなあ。
実際、11年前に亡くなった母親のものを、
次々に捨てている息子です。
首を刎(は)ねられる間際、マリーは
あやまって執行人の足を踏んでしまう。
そのとき顔を上げてこういった。
「わざとではありませんのよ」。
それが最後の言葉となった。
悪気があってやったのではないというそのひと言が、
マリー・アントワネットの人生すべてを言い表している。
(105p)
(秘書の)リアは農園の監督をしているローリング氏に
手助けを求める。ふたりはワシントンに指示されるまま、
誰もが当然と思うことをした。
先のとがった両刃(もろは)のナイフを取り出し、
ワシントンの腕を深々と切りつけ、
血を流させて鉢に受けたのである。
こうして0.2リットルばかり血液を抜きとった。
これは瀉血(しゃけつ)と呼ばれ、病気の治療法として
古くから用いられている。
悪い血が溜(た)まって体のなかによどんだら、
外に出してやる必要があると信じられていたためだ。
ただし、見落とされている点がある。
ひとつ、これをやると痛いこと。
ふたつ、患者の気分がよけいに悪くなることだ。
そこに長らく誰も気づかなかったらしく、
20世紀の初めになってようやく医者は瀉血をやめた。
(112p)
◆史上初の救急車
ドミニク・ジャン・ラレー男爵はナポレオン専属の外科医であり、
戦場の負傷兵を運ぶために史上初の救急車(当時は馬車)を
1792年に考案した。戦場の救急車をもってしても、
約50万人のフランス兵がナポレオン戦争で命を落としている。
これは当時のフランスの人口の6分の1にあたる人数だ。
1895年には自動車の救急車が誕生し、
1900年にフランス陸軍で使用された。
(125p)
人口の6分の1が命を落としているのは大きい。
でも知らなかった。
こうやって、テレビ番組や本から新しい知識を得ることで、
授業のやり方・内容はきっと変わってくると思う。
新しいネタを伝えたくて、
教師もワクワクして授業に臨めると思います。
しかし、中学校では忙しい。
中学校の先生に、もっと教材研究の時間を!
つづく
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