「偉人たちのあんまりな死に方」3/1万3143人の登場人物を生み出した小説家
今日は令和元年7月29日。
前投稿に引き続き、「偉人たちのあんまりな死に方」
(ジョージア・ブラック著/梶山あゆみ訳/河出文庫)から
引用していきます。
◆ナポレオン・コンプレックス
「ナポレオン・コンプレックス」とは、
自分に欠点があると思うあまり、
それを補おうとしてほかの方面に過剰な熱意を燃やすことをいう。
ナポレオンの尋常ならざる世界征服欲は、
背の低さを補うために生じたといわれる。
しかし、ナポレオンは当時としては平均的な
身長だった(約168cm)。
とりわけ背の高い親衛隊に囲まれていたため、
低く見えたにすぎない。 (125p)
1827年3月26日、偉大な音楽家は息を引きとる。
56歳だった。
ベートーヴェンが亡くなると、形見を手に入れようとする
人々が現れ、髪を少しずつ切りとってもち去った。
ある者は誰も見ていないすきをうかがって、
ある者は金を払って、またある者は
正式に死んだとされないうちから。
日が暮れるころ、ベートーヴェンの頭には毛が
1本もなくなっていた
髪の毛を形見にするというのは奇妙な習慣に思えるが、
写真が登場する前の時代にはごく普通に行われていた。
(131p)
◆結核
結核で亡くなった人は、過去200年だけでも
全世界で約10億人にのぼる。
有史以来、これほど大勢の命を奪った病気はない。
ポーが生きた19世紀には、欧米で7人にひとりが
結核で死んでいた。 (中略)
初めて結核ワクチンが開発されたのは1921年。
今日では抗生物質で治療できるが、それでも世界で
年間ほぼ200万人がこの病気で死亡している。
(143~144p)
史上初の推理小説
ポーの短編小説「モルグ街の殺人」は、1841年に
『グレアムズ・マガジン』に掲載された。
この作品は推理小説の第1号とみなされている。
探偵名はC・オーギュスト・デュパン。
(144~145p)
◆ディケンズ
ディケンズは全部で1万3143人もの登場人物を生み出した。
(155p) 彼は小説家
2週間後の1881年9月19日、撃たれてから3か月足らずで
ガーフィールドは天に召される。
不運にも、傷口の感染症と敗血症と、心臓発作が息の根を止めた。
三カ月で体重が45キロも減っていた。
解剖の結果、捜していたのとはまったく別の場所から
銃弾が見つかる。
弾は重要な臓器をかすめてもいなかった。
医者が汚い手をどけていれば、ガーフィールドは命を
落とさずにすんだだろう。
20年後の1901年、時の大統領、
ウィリアム・マッキンリーが暗殺された。
大統領を警護するシークレットサービスはまだいなかった。
(162p)
◆ガーフィールドには間に合わなかった医学の進歩
・消毒法の使用・・・1865年(ガーフィールドの
主治医たちには、清潔にしてばい菌の広がりを
喰いとめようという発想がなかった。
アメリカで消毒が広く行われるようになるのは
1880年代の後半になってからである。)(後略)
(164~165p)
少年時代のダーウィンは甲虫(カブトムシ)をつかまえたり、
舟底に溜まった泥を集めたり、
木にとまった蛾を獲ったりして遊んだ。
自分がしたことはなんでも記録する習慣があって、
後年にはバックギャモンで2795回勝ったことまで
書きしるしている。 (168p)
やっほー!自分もやったことを書き記す習性あり。
だからどうなんだは、自分で証明しないとね。
これから、これから。
つづく
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