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2019年7月29日 (月)

「偉人たちのあんまりな死に方」3/1万3143人の登場人物を生み出した小説家

  

今日は令和元年7月29日。

  

前投稿に引き続き、「偉人たちのあんまりな死に方

(ジョージア・ブラック著/梶山あゆみ訳/河出文庫)から

引用していきます。

 

ナポレオン・コンプレックス

「ナポレオン・コンプレックス」とは、

自分に欠点があると思うあまり、

それを補おうとしてほかの方面に過剰な熱意を燃やすことをいう。

ナポレオンの尋常ならざる世界征服欲は、

背の低さを補うために生じたといわれる。

しかし、ナポレオンは当時としては平均的な

身長だった(約168cm)。

とりわけ背の高い親衛隊に囲まれていたため、

低く見えたにすぎない。   (125p)

  

  

1827年3月26日、偉大な音楽家は息を引きとる。

56歳だった。

ベートーヴェンが亡くなると、形見を手に入れようとする

人々が現れ、髪を少しずつ切りとってもち去った。

ある者は誰も見ていないすきをうかがって、

ある者は金を払って、またある者は

正式に死んだとされないうちから。

日が暮れるころ、ベートーヴェンの頭には毛が

1本もなくなっていた

髪の毛を形見にするというのは奇妙な習慣に思えるが、

写真が登場する前の時代にはごく普通に行われていた。

(131p)

  

  

◆結核

結核で亡くなった人は、過去200年だけでも

全世界で約10億人にのぼる。

有史以来、これほど大勢の命を奪った病気はない。

ポーが生きた19世紀には、欧米で7人にひとりが

結核で死んでいた。 (中略)

初めて結核ワクチンが開発されたのは1921年。

今日では抗生物質で治療できるが、それでも世界で

年間ほぼ200万人がこの病気で死亡している。

(143~144p)

  

  

史上初の推理小説

ポーの短編小説「モルグ街の殺人」は、1841年に

『グレアムズ・マガジン』に掲載された。

この作品は推理小説の第1号とみなされている。

探偵名はC・オーギュスト・デュパン。

(144~145p)

  

  

ディケンズ

ディケンズは全部で1万3143人もの登場人物を生み出した。

(155p) 彼は小説家

  

 

2週間後の1881年9月19日、撃たれてから3か月足らずで

ガーフィールドは天に召される。

不運にも、傷口の感染症と敗血症と、心臓発作が息の根を止めた。

三カ月で体重が45キロも減っていた。

解剖の結果、捜していたのとはまったく別の場所から

銃弾が見つかる。

弾は重要な臓器をかすめてもいなかった。

医者が汚い手をどけていれば、ガーフィールドは命を

落とさずにすんだだろう。

20年後の1901年、時の大統領、

ウィリアム・マッキンリーが暗殺された。

大統領を警護するシークレットサービスはまだいなかった。

(162p)  

   

 

ガーフィールドには間に合わなかった医学の進歩

・消毒法の使用・・・1865年(ガーフィールドの

 主治医たちには、清潔にしてばい菌の広がりを

 喰いとめようという発想がなかった。

 アメリカで消毒が広く行われるようになるのは

 1880年代の後半になってからである。)(後略)

(164~165p)

  

  

少年時代のダーウィンは甲虫(カブトムシ)をつかまえたり、

舟底に溜まった泥を集めたり、

木にとまった蛾を獲ったりして遊んだ。

自分がしたことはなんでも記録する習慣があって、

後年にはバックギャモンで2795回勝ったことまで

書きしるしている。  (168p)

  

  

やっほー!自分もやったことを書き記す習性あり。

だからどうなんだは、自分で証明しないとね。

これから、これから。

  

  

つづく

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