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2019年6月 8日 (土)

「歴史秘話ヒストリア チャップリン暗殺計画」その4/世界旅行での体験

  

今日は令和元年6月8日。

 

前投稿に引き続き、2019年5月15日放映の

歴史秘話ヒストリア 五・一五事件 チャップリン暗殺計画

について書いていきます。

  

聞き書きします。

  

ナレーター:まず向かったのは、故郷イギリスをはじめとする

  ヨーロッパ諸国です。

  チャップリンは、歴史に名を残す大物たちと面会。

  政治・経済など世界の諸問題について意見を戦わせました。

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  そんなチャップリンがヨーロッパの旅で衝撃を受けたのが、

  ファシズムの台頭でした。

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ファシズムについてチャップリンはこう書ています。

 

愛国心はかつては世界に存在した最大の狂気だ。

この何カ月かヨーロッパの各国を回ってきたが、

どこでも愛国心がもてはやされていた。

これがどういう結果になるかというと

また新たな戦争だ。

「フランス ジュアン・レ・パンの新聞記事」より 

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映画「暗殺者」の制作意欲はこの頃芽生えたのではないでしょうか。

そしてチャップリンは日本に来ます。

Wikipediaでは、この旅行についてこう書いています。

 

10年ぶりに訪れたロンドンでは

チャーチルや劇作家のバーナード・ショーと、

ベルリンでは『街の灯』のプレミアに招聘した

アインシュタインやマレーネ・ディートリヒと再会を果たす。

1932年、イギリスの植民地であるシンガポールにジャワ、

バリ島を経て兄シドニーとともに日本へ。

神戸や東京を訪問するものの、訪日中にたまたま発生した

国粋主義的な士官によるクーデター未遂事件である

五・一五事件の巻添えになりかける。

「日本に退廃文化を流した元凶」として、

首謀者たちの間でチャップリンの暗殺が画策されていた。

  

チャップリンが日本に来たのは、

1932年(昭和7年)5月14日。

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五・一五事件の前日でした。

 

事件後の裁判の中で、恐るべきことがわかりました。

首相官邸でチャップリン歓迎会がもよされるので、

チャップリンもろともに首相犬養毅を殺すという計画が

あったというのです。

なぜチャップリンも・・・

当時の世情が関係してきます。

  

ナレーター:この頃(チャップリン来日頃)の日本では、

  反米感情が高まっていました。

  前の年(1931年)に日本が起こした満州事変を

  アメリカが激しく避難したためです。

  犬養首相を(チャップリンが)表敬訪問すれば、

  チャップリンの親日ぶりをアピールできます。

  

  

秘書の高野虎一としては、先乗りで日本にやってきて、

犬養首相とチャンプリンとの面会を準備をします。

面会ができたなら、反米感情はやわらぐと考えたのです。

しかし、日本の雰囲気はそんな甘いものではありませんでした。

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小谷:チャップリンを殺害して、日本とアメリカとの間を

  ギクシャクさせるということはある程度(首謀者)たちは  

  考えていたんだと思います。

  海軍的には、日米関係をギクシャクさせれば、

  日本はなんだかんだ口実をつけて

  (海軍にとって不愉快だった)ワシントン海軍軍縮条約から

  脱退できるんじゃないかというような考えがあったのかも

  しれません。

   

チャップリンと犬養首相の面会は、

親米の可能性と反米の可能性を含んだ機会だったのですね。

秘書の高野も迷い、チャップリンも迷い、

チャップリンは、首相官邸に行くことを丁重に断ります。

その晩、犬養首相は殺されます。

  

  

この後、アメリカに戻ったチャップリン。

その続きは、次の投稿で。

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