「歴史秘話ヒストリア チャップリン暗殺計画」その4/世界旅行での体験
今日は令和元年6月8日。
前投稿に引き続き、2019年5月15日放映の
「歴史秘話ヒストリア 五・一五事件 チャップリン暗殺計画」
について書いていきます。
聞き書きします。
ナレーター:まず向かったのは、故郷イギリスをはじめとする
ヨーロッパ諸国です。
チャップリンは、歴史に名を残す大物たちと面会。
政治・経済など世界の諸問題について意見を戦わせました。
そんなチャップリンがヨーロッパの旅で衝撃を受けたのが、
ファシズムの台頭でした。
ファシズムについてチャップリンはこう書ています。
愛国心はかつては世界に存在した最大の狂気だ。
この何カ月かヨーロッパの各国を回ってきたが、
どこでも愛国心がもてはやされていた。
これがどういう結果になるかというと
また新たな戦争だ。
「フランス ジュアン・レ・パンの新聞記事」より
映画「暗殺者」の制作意欲はこの頃芽生えたのではないでしょうか。
そしてチャップリンは日本に来ます。
Wikipediaでは、この旅行についてこう書いています。
10年ぶりに訪れたロンドンでは
チャーチルや劇作家のバーナード・ショーと、
ベルリンでは『街の灯』のプレミアに招聘した
アインシュタインやマレーネ・ディートリヒと再会を果たす。
バリ島を経て兄シドニーとともに日本へ。
神戸や東京を訪問するものの、訪日中にたまたま発生した
国粋主義的な士官によるクーデター未遂事件である
五・一五事件の巻添えになりかける。
「日本に退廃文化を流した元凶」として、
首謀者たちの間でチャップリンの暗殺が画策されていた。
チャップリンが日本に来たのは、
1932年(昭和7年)5月14日。
五・一五事件の前日でした。
事件後の裁判の中で、恐るべきことがわかりました。
首相官邸でチャップリン歓迎会がもよされるので、
チャップリンもろともに首相犬養毅を殺すという計画が
あったというのです。
なぜチャップリンも・・・
当時の世情が関係してきます。
ナレーター:この頃(チャップリン来日頃)の日本では、
反米感情が高まっていました。
前の年(1931年)に日本が起こした満州事変を
アメリカが激しく避難したためです。
犬養首相を(チャップリンが)表敬訪問すれば、
チャップリンの親日ぶりをアピールできます。
秘書の高野虎一としては、先乗りで日本にやってきて、
犬養首相とチャンプリンとの面会を準備をします。
面会ができたなら、反米感情はやわらぐと考えたのです。
しかし、日本の雰囲気はそんな甘いものではありませんでした。
小谷:チャップリンを殺害して、日本とアメリカとの間を
ギクシャクさせるということはある程度(首謀者)たちは
考えていたんだと思います。
海軍的には、日米関係をギクシャクさせれば、
日本はなんだかんだ口実をつけて
(海軍にとって不愉快だった)ワシントン海軍軍縮条約から
脱退できるんじゃないかというような考えがあったのかも
しれません。
チャップリンと犬養首相の面会は、
親米の可能性と反米の可能性を含んだ機会だったのですね。
秘書の高野も迷い、チャップリンも迷い、
チャップリンは、首相官邸に行くことを丁重に断ります。
その晩、犬養首相は殺されます。
この後、アメリカに戻ったチャップリン。
その続きは、次の投稿で。
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