「歴史秘話ヒストリア チャップリン暗殺計画」その3/1931年世界旅行へ出発
今日は令和元年6月8日。
前投稿に引き続き、2019年5月15日放映の
「歴史秘話ヒストリア 五・一五事件 チャップリン暗殺計画」
について書いていきます。
2016年にチャップリンと高野虎一は出会いました。
当時のアメリカにあって、日本人を雇うことは、
アメリカ人からは非難されていました。
なぜか。
当時は、日本からアメリカに来る移民が多く、
アメリカ人の職を奪うということで「反日感情」が
高まっていたからです。
しかし、チャップリンは日本人の高野を差別しませんでした。
なぜか。
それは生い立ちに関係します。
1889年、イギリスのロンドンで、
芸人一家の次男で生まれたチャップリン。
幼い時からチャップリンは、看板俳優として
さまざまな国に行って劇を演じてきました。
その体験が、人を人種や見かけで差別しない心を
養ったと言われています。
チャップリンは、自らを「世界市民」と言っていたそうです。
そして1931年。
チャップリンは運命の旅行に出ます。
聞き書きします。
高野:チャーリー、何かご用ですか?
チャップリン:高野。私は旅に出ることを決めたよ!
仕事はいったんお休みだ。
まずは故郷のイギリス。
ヨーロッパ各国にも行きたいね。
その後は、シンガポール、バリ、最後は日本だ。
高野の生まれ故郷をぜひ見てみたい。
高野:日本へ!?それはすばらしい!
チャップリン:それじゃ、早々手配を頼む。
高野:承知しました。
この旅が、映画「独裁者」制作には欠かせない旅だったのです。
wikipediaには次のように書いてありました。
1931年、トーキー隆盛の中、
サイレントの孤塁を守って3年がかりで撮った
『街の灯』が興行的な成功をおさめ、
人気のピークを迎えていたチャップリンは、
一年半に及ぶ世界旅行へと出立。
Wikipediaにはチャップリンのお兄さんが同行していたことは
書いてありましたが、高野虎一も同行していました。
秘書ですからね。
チャップリンがこの旅行で見たものは次の記事で。
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