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2019年6月15日

2019年6月15日 (土)

「上皇」は略称だったんだ/今の「上皇」、以前の「上皇」

今日は令和元年6月15日。

  

今年の5月7日放映の「林修の今でしょ!講座」も

勉強になりました。

元号が令和になって最初の放映であったこともあって、

皇室に関する疑問を専門家に答えてもらう2時間SPでした。

  

冒頭で、ゲストのカズレーザーさんと

新元号との偶然に驚かされました。 

カズレーザーさんの本名は「和令」と書き、

「かずのり」さんでした。

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カズレーザー:うっすら来てます。

林修:ガンガンじゃないんですね。

カズレーザー:うっすら:::

  忙しくなるぞと思って、気合入れたのが

  すげえ恥ずかしい。

  

そんな会話がありました。

  

さて本題。

乃木坂46の秋元真夏さんの疑問。

Rimg2010  

この疑問に答えてくれたのがこの方↓

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この番組は、放映したその日に見ていました。

数日後、同僚の社会科の先生と話していて、

「上皇」のことが話題になり、

私はこう言いました。

「そうそう、(平成の)天皇が上皇になられたけど、

今回の『上皇』と、教科書に載っている『上皇』は

違うんだって」

相手の先生に聞かれました。

「どう違うの?」

「え~と、どう違うんだったかな」

答に窮してしまいました。

頭に残っていませんでした。

残念なことです。悔しいことでもあります。

テレビ番組からの情報は、こうなりがちです。

すかさずアウトプットしておかないと、

曖昧な記憶になり、知識となりません。

  

皇室ジャーナリストの山下晋司さんが、

わかりやすく説明してくれたのになあ。

今から、山下さんの説明を聞き書きします。

(不明なところは私が修正しています。

 したがって文責は私です)

山下:そもそも天皇の位から退くと

  「太上天皇(だいじょうてんのう)」とか

  「太上天皇(だじょうてんのう)」と言っていました。

  要するに、最上、天皇よりも上という名称が、

  昔からついていました。

  この「太上天皇」と言うのを、

  略して「上皇」と言ってたんですね。

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  で、今回は、天皇の位から退かれて、

  ご存じかどうかわかりませんが、

  象徴の二重構造とか、権威の二重構造の問題って言われるんです。

  天皇だった方が、ご存命でいらっしゃる。

  新しい天皇がいらっしゃる。

  どっちが象徴だとかとか、どっちに権威があるんだとか、

  国民がですね、両方おるぞとなってしまう。

  そういうのは好ましくない。

  やはり、天皇はお一人。

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  ですから、「太上天皇」という名前ではなくて、

  「天皇」と言う名前を使わないようにしようと、

  ですから、略した「上皇」というのを、

  正式な名称にしようということで、

  法律にも「上皇」と書かれたんですね。

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  「上皇」というのは、昔から略称として使ってましたけれども、

  問題は「皇后陛下」だった方。

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  もともとはですね、「皇太后」という名称があったんですね。

  ただ明治以降は、天皇が崩御、お亡くなりになって初めて、

  「皇太后」と言われてきたので、

  今回、上皇陛下はご存命ですから、

  「皇太后」という名称は、好ましくないというので、

  歴史的にも一回も出てきたことがない名称、

  上皇の后ということで、

  「上皇后(じょうこうごう)」というのをですね、

  去年、初めて考えたわけですよ。

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  ですから、「上皇、上皇后両陛下」という言い方になるんですよ。

Rimg1988  

  (中略)

  字で見ますとね、「皇后の上か?」

  って言う方もいらっしゃるんですね。

  ですから、「上皇」で切ってください。

  「上皇の后(きさき)」ですから。

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この説明が、あの時にできていたらよかったのに。

  

でも社会科教師として、教科書の「上皇」が

「太上天皇」の略称である認識が全くなかったのが

恥ずかしいです。

今晩、北海道厚真(あつま)町の番組がある

  

今日は令和元年6月15日。

  

最近昨年の番組を一つ見ました。

2018年11月5日放映の

NNNドキュメント”18 街も人も牛も…北海道ブラックアウト」です。

昨年9月6日午前3時7分に北海道厚真町を震源地に起こった

大きな地震による被害を伝えていました。

厚真町にあった苫東厚真発電所が、地震のために発電ができず、

連鎖して北海道全体で停電(ブラックアウト)が起こりました。

その時の様子を伝えた番組でした。

あらためて、あの地震で何が起こっていたかを知りました。

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厚真町では大きな地滑りが起こり、

多くの家屋が、飲み込まれました。

多発した地滑りは、尋常ではありませんでした。

自衛隊による土砂などの撤去作業が行われているところに向かって、

「頑張れよ」「お父さん」「お母さん」「ばあちゃん」

と声がかれんばかりにだしている兄弟。

実家に住む2人の父親と祖母が生き埋めになっているのです。

Rimg2000  

地震発生20時間後、父親の遺体が発見。

つづいて母親の遺体が発見。

地震発生から2日後に祖母の遺体が発見。

この地震では41人が亡くなりました。

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Rimg2004 ↑ 笘東厚真(とまとうあつま)火力発電所 

北海道では、1か所の発電所が、多くの地域の電力をまかなうと、

そこが停止してしまうと、大型停電になってしまう。

その教訓を生かして、電力の分散化が行われているそうです。

 

実家のあったところにやってきた中村兄弟。

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この地震で大きな被害が出た厚真町という町を、

初めて認識しました。

 

   

今晩、その厚真町の番組があります。

Photo

ETV特集

希望の大地 北海道厚真町 ふたりの開拓物語

6月15日 午後11時~

ETV特集HPより番組紹介を引用します。

 

北海道胆振東部地震の被害を受けた厚真町で、

自宅に戻り農業を再開した夫婦がいる。

松平功さんと信子さん。

2人は傷ついた大地に新たな種をまく。

新たな命が芽吹くことを信じて。

厚真町高丘地区は明治の開拓期、

石川県の人々が新天地を求め渡ってきた

「希望の大地」だった。

その歴史は水害や冷害など自然災害との

苦闘の歴史そのものでもあった。

先祖から受け継いだ大地を慈しみ、

前へと向かう松平夫妻。

そのたくましい姿を見つめる

Photo_2地震発生直後の厚真町空撮

Photo_3厚真町開拓時代の写真(明治時代)

 

 

厚真町のことが知りたいと思いました。

どのような歴史があったのか。

地震の被害以後、現在はどうなっているのか。

社会科教師の血が騒ぐ?

今日、注目の番組です。

  

 

  

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