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2019年6月8日

2019年6月 8日 (土)

介護用紙パンツのはかせ方をほめられました

今日は令和元年6月8日。

  

ケアマネージャーさんが時々やってきてくれて、

介護のアドバイスをしてくれます。

 

昨日も来てくれました。

紙パンツのことを聞きました。

  

父親は紙パンツ生活をしています。

寝ている時にもするのですが、

寝ている間に、紙パンツから外に尿が漏れ出てしまいます。

前回は、夜中の3時くらいに起きて

紙パンツの交換をするといいと

ケアマネージャーさんに教えてもらい、

頑張ってやっていました。

ところが、すでに午前3時の時点で、

紙パンツは尿でいっぱいで、

漏れ出ていました。

今回、現状を言って、もう一度アドバイスを求めました。

 

「パンツのはめ方を見せてください」と

ケアマネージャーさんに言われて、実演しました。

寝る時は3種類のパンツ(パッド)を組み合わせてはかせます。

  

「慣れてますね」「いいですね」

とケアマネージャーさんに褒められてしまいました。

毎日やっていることなので、自分だけでなく、

父親も動きもスムーズでした。

このようなことでも、褒められるとうれしいですね。

ついブログのネタにしてしまいました。

  

 

はめ方の良くないところはなかったので、

逆に困りました。

より丁寧にパンツをはめましょうが結論。

 

  

  

 

介護と仕事の両立ができるかと挑戦してきましたが、

ここにきて私が本格的に?ダウンしてしまいました。

病院で診察を受けて、しばらく休みなさいと言われました。

 

「なんでブログをうっているの? 休みなさいよ」

と、言われそうでビクビクしています。

でも許してください。

ブログを更新するのが、私の病気にはリハビリなのです。

 

 

Item_main02_01 サルバ

介護に携わってみて、

こんなパッドがあることを知りました。

ビックリです。

「歴史秘話ヒストリア チャップリン暗殺計画」その4/世界旅行での体験

  

今日は令和元年6月8日。

 

前投稿に引き続き、2019年5月15日放映の

歴史秘話ヒストリア 五・一五事件 チャップリン暗殺計画

について書いていきます。

  

聞き書きします。

  

ナレーター:まず向かったのは、故郷イギリスをはじめとする

  ヨーロッパ諸国です。

  チャップリンは、歴史に名を残す大物たちと面会。

  政治・経済など世界の諸問題について意見を戦わせました。

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  そんなチャップリンがヨーロッパの旅で衝撃を受けたのが、

  ファシズムの台頭でした。

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ファシズムについてチャップリンはこう書ています。

 

愛国心はかつては世界に存在した最大の狂気だ。

この何カ月かヨーロッパの各国を回ってきたが、

どこでも愛国心がもてはやされていた。

これがどういう結果になるかというと

また新たな戦争だ。

「フランス ジュアン・レ・パンの新聞記事」より 

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映画「暗殺者」の制作意欲はこの頃芽生えたのではないでしょうか。

そしてチャップリンは日本に来ます。

Wikipediaでは、この旅行についてこう書いています。

 

10年ぶりに訪れたロンドンでは

チャーチルや劇作家のバーナード・ショーと、

ベルリンでは『街の灯』のプレミアに招聘した

アインシュタインやマレーネ・ディートリヒと再会を果たす。

1932年、イギリスの植民地であるシンガポールにジャワ、

バリ島を経て兄シドニーとともに日本へ。

神戸や東京を訪問するものの、訪日中にたまたま発生した

国粋主義的な士官によるクーデター未遂事件である

五・一五事件の巻添えになりかける。

「日本に退廃文化を流した元凶」として、

首謀者たちの間でチャップリンの暗殺が画策されていた。

  

チャップリンが日本に来たのは、

1932年(昭和7年)5月14日。

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五・一五事件の前日でした。

 

事件後の裁判の中で、恐るべきことがわかりました。

首相官邸でチャップリン歓迎会がもよされるので、

チャップリンもろともに首相犬養毅を殺すという計画が

あったというのです。

なぜチャップリンも・・・

当時の世情が関係してきます。

  

ナレーター:この頃(チャップリン来日頃)の日本では、

  反米感情が高まっていました。

  前の年(1931年)に日本が起こした満州事変を

  アメリカが激しく避難したためです。

  犬養首相を(チャップリンが)表敬訪問すれば、

  チャップリンの親日ぶりをアピールできます。

  

  

秘書の高野虎一としては、先乗りで日本にやってきて、

犬養首相とチャンプリンとの面会を準備をします。

面会ができたなら、反米感情はやわらぐと考えたのです。

しかし、日本の雰囲気はそんな甘いものではありませんでした。

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小谷:チャップリンを殺害して、日本とアメリカとの間を

  ギクシャクさせるということはある程度(首謀者)たちは  

  考えていたんだと思います。

  海軍的には、日米関係をギクシャクさせれば、

  日本はなんだかんだ口実をつけて

  (海軍にとって不愉快だった)ワシントン海軍軍縮条約から

  脱退できるんじゃないかというような考えがあったのかも

  しれません。

   

チャップリンと犬養首相の面会は、

親米の可能性と反米の可能性を含んだ機会だったのですね。

秘書の高野も迷い、チャップリンも迷い、

チャップリンは、首相官邸に行くことを丁重に断ります。

その晩、犬養首相は殺されます。

  

  

この後、アメリカに戻ったチャップリン。

その続きは、次の投稿で。

「歴史秘話ヒストリア チャップリン暗殺計画」その3/1931年世界旅行へ出発

  

今日は令和元年6月8日。

  

前投稿に引き続き、2019年5月15日放映の

歴史秘話ヒストリア 五・一五事件 チャップリン暗殺計画

について書いていきます。

 

2016年にチャップリンと高野虎一は出会いました。

当時のアメリカにあって、日本人を雇うことは、

アメリカ人からは非難されていました。

なぜか。

当時は、日本からアメリカに来る移民が多く、

アメリカ人の職を奪うということで「反日感情」が

高まっていたからです。

 

しかし、チャップリンは日本人の高野を差別しませんでした。

なぜか。

それは生い立ちに関係します。

1889年、イギリスのロンドンで、

芸人一家の次男で生まれたチャップリン。

幼い時からチャップリンは、看板俳優として

さまざまな国に行って劇を演じてきました。

その体験が、人を人種や見かけで差別しない心を

養ったと言われています。

チャップリンは、自らを「世界市民」と言っていたそうです。

  

  

そして1931年。

チャップリンは運命の旅行に出ます。

聞き書きします。

  

高野:チャーリー、何かご用ですか?

チャップリン:高野。私は旅に出ることを決めたよ!

  仕事はいったんお休みだ。

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  まずは故郷のイギリス。

  ヨーロッパ各国にも行きたいね。

  その後は、シンガポール、バリ、最後は日本だ。

  高野の生まれ故郷をぜひ見てみたい。

高野:日本へ!?それはすばらしい!

チャップリン:それじゃ、早々手配を頼む。

高野:承知しました。

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この旅が、映画「独裁者」制作には欠かせない旅だったのです。

wikipediaには次のように書いてありました。

 

1931年、トーキー隆盛の中、

サイレントの孤塁を守って3年がかりで撮った

『街の灯』が興行的な成功をおさめ、

人気のピークを迎えていたチャップリンは、

一年半に及ぶ世界旅行へと出立。

 

Wikipediaにはチャップリンのお兄さんが同行していたことは

書いてありましたが、高野虎一も同行していました。

秘書ですからね。

チャップリンがこの旅行で見たものは次の記事で。

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