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2019年5月 3日 (金)

「個別教室のトライ」の動画でスペインの絶対王政の勉強

今日は令和元年5月3日。

 

ドン・キホーテ」関連のことをまた書きます。

スペインとオランダとの関係に興味をもちました。

そしたらこんな動画に出合いました。

個別教室のトライ」の動画です。

 


YouTube: 【世界史】 西欧絶対王政2 スペイン・オランダ (20分)

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20分間、世界史のいい勉強ができました。

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スペイン王カルロス1世は、神聖ローマ帝国の血筋も

受け継いでいたので、神聖ローマ帝国王カール5世として

神聖ローマ帝国も支配していました。

したがって、広大な領地を支配し、

ネーデルランド(オランダ)も傘下にあったのです。

なぜスペインの下にネーデルランドがあったのか疑問に思っていました。

この動画で解決しました。

カルロス1世を受け継いだ王がフェリペ2世

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フェリペ2世はいろいろやっています。

カトリック政策を強化し、

これがネーデルランド(オランダ)独立へとつながります。

マニラを建設し、フィリピンの名前の由来になった王です。

ポルトガルを併合しました。

その結果、ポルトガルの勢いは衰え、

新興のオランダが取って代わってアジアへ進出します。

レパントの海戦でオスマン帝国軍を撃破しますが、

スペインの無敵艦隊はイギリスに敗北。

新大陸からの銀の供給が乏しくなったため、

スペインの絶対王政はフェリペ2世で終わりとなります。 

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17世紀はオランダの世紀

いいタイトルですね。

17世紀。オランダは日本にもやってきます。

日本の歴史とヨーロッパの歴史がつながります。

  

 

ここで「レパントの海戦」が気になり、調べました。

そしたら・・・

世界史の窓 レパントの海戦

このサイトの説明に次のような文章がありました。

 

スペインの『ドン=キホーテ』の作者セルバンテスは

若い頃このレパントの海戦に参加した。

そのことは『ドン=キホーテ』の序文でも誇らしげに書いている。

彼はこの戦闘で火縄銃の銃弾を左胸と左手に三発被弾した。

左手はそのために切断したと本人は言っている。

その後セルバンテスは海賊の捕虜となるという数奇な運命に見舞われる。

 

ほら、「ドン・キホーテ」で始まり、

「ドン・キホーテ」に戻りました。

素晴らしい!

    

つづく

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