日めくりより/ロシアが正教会になった理由 カトリックと正教会の分裂
今日は12月20日。
地理の授業で、ヨーロッパを教える時に厄介なのが、
キリスト教の三大宗派です。
はっきり言ってよくわかりません。
教科書にはこのような図がありました。
資料集にはこのような表がありました。
(浜島書店)52p
この表によると、キリスト教は11世紀に
正教会とカトリックに分裂しています。
カトリックとプロテスタントの分裂は、
歴史上有名で、知っていました。
「免罪符」「宗教改革」などの単語が思い浮かびます。
しかし、正教会とカトリックの分裂に関しては、
あまり記憶にありません。
あらためて調べてみました。
Wikipediaを見ると、時代は11世紀よりも前、
ローマ帝国の時代に遡ります。
ローマ帝国は、キリスト教を公認しました。
そのローマ帝国が東西に分裂したのが、西暦395年。
このローマ帝国東西分裂によって、同じく東西に分裂した
キリスト教教会の関係が希薄になり、長い年月の間に、
考え方・儀式のやり方などが食い違ってきたようです。
その結果、互いに相容れなくなり、1054年(11世紀)に、
それぞれの教会の主が、相手を破門する出来事がありました。
これが分裂したいきさつのようです。
人間関係は、希薄になるのは良くないのですが、
キリスト教のような、同じ聖書を経典にしている宗教でも、
希薄が故に、別れ別れになってしまうのですね。
正教会にはいろいろあるようですが、
ロシア正教会に関して、日めくりの写真を載せます。
ロシアがキリスト教国になったのは、
酒のためだった?
ウラジーミルとは、キエフ大公ウラジーミル1世(聖公)のこと。
彼がキリスト教に改宗したいきさつは、
次のサイトも詳しいです。
少し引用
ウラディミルは、987年、内訌※のため助けを求めてきた
ビザンツ皇帝に援軍を送ったが、
その代償として皇帝の妹を妻にほしいと要求した。
皇帝は承諾したが、実行をしぶった。
そこでウラディミルはビザンツ領だったクリミア半島の
砦ケルソネソスを占領して、約束の履行を迫った。
妹アンアはいっそ死んだ方がいいと抵抗したが、
兄からビザンツ帝国を救うことになると説得されて、
泣く泣くウラディミルと結婚した。
約束どおりウラディミルはケルソネソスをビザンツ帝国に返還し、
キエフに帰って5人の妻と800人の妾と縁を切り、
異教の神々の偶像を川に投げ捨て、
洗礼を受けた後に新妻へのプレゼントとして、
家臣その他を強制的にドニェプル川に連れて行き、
集団で洗礼を受けさせた。
酒だけがキリスト教への改宗の理由ではないようです。
※内訌(ないこう)=内紛
ビザンツ帝国は、東西ローマ分裂後のローマ帝国東側の国。
つまり正教会側。新しい奥さんへのプレゼントのために、
改宗したとも言えそうです。
キリスト教の三宗派に関する知識が、
今晩少し増えました。
人間が絡んできて、
少しは生きた知識になってきたかな。
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