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2018年12月

2018年12月 2日 (日)

マゼランとマゼラン雲との関係は?

今日は12月2日。

  

いかんなあ、マゼランのことで道草が止まらない。

前投稿に引き続き、マゼランのこと。

  

授業で、「太平洋記念日」「マゼラン」のことを

紹介した後に、生徒から

「マゼラン雲ってありますよね。

マゼランと関係があるんですか?」と尋ねられました。

「きっとあると思うよ」

「ぜひ調べてきてよ」と言いました。

  

その子に調べることを任せたいところですが、

私も、好奇心に負けて調べてみました。

  

マゼラン雲はアニメ「宇宙戦艦ヤマト」で登場しています。

宇宙戦艦ヤマトが目指したのは、

「大マゼラン星雲」にあるイスカンダル星であり、

それを阻止しようとするガミラス帝国の主星ガミラス星も

大マゼラン星雲にありました。

 

マゼラン雲としてWikioediaに次のように書いてありました。

  

銀河系の近くにある2つの2銀河、

大マゼラン雲 と 小マゼラン雲 の総称である。

(中略)

希に、マゼラン星雲 、マゼラン銀河 とも。

(中略)

ヨーロッパ人に知られるようになったのは、

1519年から1522年のフェルデイナント・マゼランによる

世界一周航海に参加したヴェネツイアの

アントニオ・ピガフェッタが記録してからである。

世界一周の航海においては夜も航行しつづけるわけで、

夜間でも進行方角や自船の位置を確認する必要があるわけであるが、

(北半球では北極星を見つければよいのだが、

南半球で緯度が低くなるにつれて北極星は見えなくなるので)

マゼランらは夜空の星々の中に白っぽい星雲(マゼラン雲)を

見つけることでそれを行った、と記されているのである。

ただし、当時は無論「マゼラン雲」とは呼ばれておらず、

この逸話にちなんでその星雲に「マゼラン」の名が

冠されるようになったのはかなり後のことである。

  

111129_m NATIONAL GEOGRAPHIC 天の川と彗星とマゼラン雲

写真の右側、上にあるのが大マゼラン雲。

下にあるのが小マゼラン雲。

  

マゼランとマゼラン雲は関係があるとは思っていましたが、

このような関係であったのかは、予想外でした。

面白かった。

  

明日は生徒の調べを聞いてみよう。

 

今朝は朝からマゼランで道草しました。

Ferdinand_magellan マゼラン Wikipedia

  

  

 

2年後の11月28日が楽しみ/「マゼランの未知なる大陸への挑戦」

 

今日は12月2日。

  

前投稿に続いてマゼランのこと。

 

11月28日「太平洋記念日

マゼラン海峡から太平洋に出た

1520年11月28日にちなんだ記念日。

よく年数を見てください。

あと2年後・・2020年11月28日。

それはちょうど500年!

2年後はきっと太平洋が(ヨーロッパ人に)発見された日から

ちょうど500年ということで、

今年以上に世間が大騒ぎしている気がします。

その頃はきっとまだ社会科教師。

授業で熱く語っているだろうなあ。 

次の曲を流しながら・・・ 

 

  

マゼランについて調べていて出合った曲です。

 海上自衛隊東京音楽隊 Tokyo Band マゼランの未知なる大陸への挑戦
YouTube: 海上自衛隊東京音楽隊 Tokyo Band マゼランの未知なる大陸への挑戦

  

参考:吹奏楽マガジン BAND ROWER 富樫哲佳の吹奏楽曲でたどる世界史

「吹奏楽曲でたどる世界史」・・・魅力的なタイトルです。

「1812年」を思い出します。

ここでも道草8年ぶりの「1812年」/私にとって縁のある曲(2018年11月10日投稿) 

上記「吹奏楽マガジン」から一部引用します。

  

 

近年、これほど中学・高校の吹奏楽部を中心に、

絶大な人気を得ている曲はない。

各地のコンクールで演奏されているようだし

(すでに全国大会にも2回、登場している)、

さるアンケートでも「邦人吹奏楽作品・人気ランキング」で、

堂々1位を獲得しているほどだ。 

演奏はなかなか大変だが、とにかくカッコイイ曲である。

おおむね急~緩~急~緩/終結部の4~5部構成。

まるで写真集のページを次々とめくるように、

場面が変化して行く。

予備知識なしで、ハリウッド歴史大作映画のサントラとして

聴かされたら、誰でも信じてしまうだろう

(私見だが、≪パイレーツ・オブ・カリビアン≫より

ずっとカッコイイと思う)。中間部の優しげな部分も、たいへん美しい。

文字通り、マゼランの魂が地球のあちこちを飛び回るような

ムードがある。アイリッシュ・ダンス風の部分もある。

クライマックスでも、ケルトの味わいが一瞬見え隠れするので、

もしかしたら作曲者は、マゼランをアイルランドの地へ

行かせたかったのかもしれない。

終結部の盛り上げ方なども、見事のひとことに尽きる。
 
作曲者・樽屋雅徳は、武蔵野音大作曲科卒業。

作曲・編曲のほか、吹奏楽指導も手がけている。

この≪マゼランの未知なる大陸への挑戦≫のほか、

≪マリアの七つの悲しみ≫≪ラザロの復活≫≪絵のない絵本≫

≪星の王子さま≫≪民衆を導く自由の女神≫など、

歴史・文学を題材にした作品が多く、若手注目株ナンバーワンである。

  

作曲をした樽屋雅徳(たるや まさのり)さんは、1978年生まれ。

40歳かな。 

またこの曲について、勤務校の音楽の先生と話してみよう。

 

この1曲で出合った「富樫哲佳の吹奏楽曲でたどる世界史」

はじめに」にこのようなことが書いてありました。

 

なぜか吹奏楽曲には、有名史実を題材にした曲がたくさんあります。

それらがどんな出来事だったのか、なぜ吹奏楽曲になったのか、

そして、演奏する際にどんな気持ちになるべきなのか…

そんなことが、少しでも皆さんの参考になればと思い、

このような連載を始めることにしました。 

また、この連載は、吹奏楽を知らない方々にこそ、

ぜひ読んでいただきたいと思います。

世界中の作曲家たちが、「吹奏楽」なる表現形態で、

これほどたくさんの有名史実を音楽化していることに、

きっと驚かれるでしょう。

 

中には「こんな作曲家、聞いたことないぞ」

「こんな曲、CDになってるの?」

「いったい、どこで演奏されているんだ?」

と感じる方もおられるはずです。

しかし、どれも、楽譜が発売され、CD化され、

コンクールやコンサートなど、

様々な場所で演奏されている曲がほとんどなのです。

つまり「吹奏楽」とは、これほど貪欲に広範に、題材を求め、

次々と新作を生み出している、パワー溢れる楽しい世界なのです。

そんなことを、ぜひ多くの方々に知っていただきたいと思います。

  

なお、私は単なる「吹奏楽好き」な「道楽者」の

音楽ライターでして、専門の音楽教育を受けたわけでもなく、

ましてや世界史の専門家でもありません。

よって、この連載で真面目に世界史を勉強しようなどとは、

くれぐれも考えないで下さい(そんな人、いないか)。

  

  

いやいや、ここに、社会科の授業で使えないかと

思っている人がいますよ。

富樫哲佳の吹奏楽曲でたどる世界史」の連載は、

64回!ここで一覧を見ることができます↓

Photo_9 「吹奏楽曲でたどる世界史」

当然ドレーク海峡を知らず、マゼラン海峡で太平洋へ

今日は12月2日。

  

11月28日は「太平洋記念日」でした。

今日は何の日~毎日が記念日~11月28日には、

次のように書いてありました。

 

1520年のこの日、ポルトガルの航海者マゼランが、

後に「マゼラン海峡」と命名される

南米大陸南端の海峡を通過して太平洋に出た。

天候が良く平和な日が続いたため、

この海をPacific Ocean(平和な・穏やかな大洋=「太平洋」)と名附けた。

マゼラン自身はフィリピンで原住民に殺されたが、

彼の船は初めて世界を一周して帰国し、地球が丸いことを証明した。

  

先日の授業で、このネタで「今日は何の日」クイズをしました。

今回注目したいのは、マゼラン海峡とドレーク海峡の位置です。

 

マゼランの世界一周コースは、下の地図を参照。

Photo コトバンク 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

  

マゼランは、1519年に5隻237人で

ポルトガルを出港して、大西洋を横断。

南米大陸ブラジルの海岸沿いに南下しながら、

西側に抜ける水路を捜しました。

広大なラプラタ川河口ではその水路を発見したと喜びましたが、

遡っても河であったことが判明しました。

Photo_2 Yahoo!地図

青い印が、ラプラタ川河口です。

参照:世界史の窓 マゼラン

 

そして、マゼランは後のマゼラン海峡を発見して、

太平洋に出ます。

Photo_3 講師のネタ帳365

水色の点線がマゼランの航路。マゼラン海峡です。

 

面白いのは、マゼランがもう少し頑張って南下したら、

南米大陸は終わりであって、ぐるっと回りこんで

太平洋に出れるということです。

なぜそうしなかった?

 

それは南米大陸の地図を見ているから言えることです。

マゼランの時代、そんな地図はありません。

まだ大陸は続くと考えていて、

発見した水路で西側の海に出ることを

必死に目指しました。

そりゃそうだ。

 

南米大陸の南端と南極大陸の間は、

ドレーク海峡と言います。

マゼランは、ドレーク海峡まで行かずに、

マゼラン海峡を通解したのは、正解だったかもしれません。

ドレーク海峡は世界一の幅を誇る海峡ですが、

危険たっぷりの海峡だそうです。


YouTube: 世界で最も危険な水域ワースト10

「世界で最も危険な水域」のワースト2がドレーク海峡でした。

Photo_4

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Photo_8  

ドレーク海峡を通過する船は、

いたるところに出現する氷山、

130km/hにまで達する暴風。

流れの早い海流、そして視界不良といった

様々な試練を乗り越えなくてはなりません。

パナマ運河を使用する以前のマゼランの時代から、

ドレーク海峡は船を転覆させ続け、

文字どおり船の墓場となっているんです。

  

正確に言うと、「マゼランの時代」は違うかな。

「マゼラン」がマゼラン海峡を通過したのが、

1520年の11月28日。

イギリス人の探検家ドレークが、

海峡を発見したのは1578年。

50年以上のズレがあります。

 

 

  

マゼランは太平洋を横断して

フィリピンまでたどり着きますが。 

その地で、戦死してしまいます。

しかい、部下が航海を続け、

1522年にポルトガルに戻ってきました。

その時に船は1隻、人数は18人でした。

 

ほとんどの生徒は、マゼランを知りませんでした。

マンガ「ワンピース」に出てくるマゼランを知っていました。

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私たちの世代とは、知る順番が逆でした。

 

つづく。  

 

2018年12月 1日 (土)

視力の復活/今日は落語を聞いてきます

今日は12月1日。

  

11月末はあわただしく、”道草”を後回しにしていたら、

4日間も間が空いてしまいました。

今日は”道草”する!

書きたいこと、書き留めておきたいことはたくさんあり。

その中から・・・

そうだ、うれしかったこと。

昨日は人間ドッグに行って、いろいろ検査を受けてきました。

うれしい結果が出たのは、視力検査。

かつては、両目とも視力2.0を記録したのですが、

老眼が進み、老眼鏡なしではすまない生活になってから、

視力もがた落ち。

近くだけでなく、遠くも見えないなあ~

年だからしょうがないかと思っていました。

  

ところが、昨日は「視力検査表」の下の方が、

最初はボケていましたが、ス~とピントが合って、

見えるようになってきたのです。

一番下のランドルト環の切れ目が見えて、少々興奮しました。

全く期待していなくて、

どうせ加齢現象を突きつけられるとおもっていたのに、 

予想外の展開。

結果は右目が1.5・

左目が2.0!

やったね。

衰える一方だと思っていましたが、復活がありました。

 

自分の体の可能性を知って、うれしくなりました。

なぜ視力が復活したのか理由がわかりませんが、

ふだんの生活がプラスになったのでしょう。

よかった、よかった。

3485300x225 ちなみに、ランドルト環の「ランドルト」は、

考案者のフランスの眼科医エドマンド・ランドルトの名前にちなみます。

1909年に発表されたそうなので、

すでに100年以上使われている検査方法なのです。

   

  

自分の体が衰える一方ではなく、

もしかしたら改善されるかもと思えることは貴重。

身体を鍛え、もっと勉強もしたい。

  

今日は朝から部活動でしたが、

主顧問にお願いして抜けさせてもらいました。

今から名古屋に行って勉強してきます。

「教育と笑いの会」に参加してきます。

落語を教育に活かそうという会です。

どんな話が聞けて、体験ができるか楽しみです。

 

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